mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

クロアチアなどへの旅行記

2016年01月23日 | 旅行記
 昨日、旅のデザインルーム社から「旅のデザインルームだより」の冬号が届きました。
 この冊子の2ページ目に「柳沢正の対コラム⑨」という記事がありましたが、思わず「なるほど!」といいたくなりました。
 何がなるほど!かといいますと、記事の内容が「感動のクロアチア」となっていている上に、記事の中身が小生の気持ちを表していると感じたからです。
 クロアチアといいますと、小生は2010年5月に阪急交通社のお世話になって12日間の旅を楽しんだのですが、その旅の中で小生の記憶に鮮やかに蘇る地名が2つありました。
 一つが「ドブロヴニク」で、もう一つが「プリトビヴィツェ湖群公園」でした。
 旅のデザインルーム社の記事にあったのは、このうちの「プリトビヴィツェ湖群公園」ですが、小生が、なぜ「なるほど」とうなったかといいますと、記事がプリトヴィツェ 湖群公園の美しさとともに人間の感覚の儚さ?を言っているからかもしれません。

 記事の中身は次のようです。
 「どのような自然も間近に見ようが俯瞰しようが、本来きっと素晴らしく美しいものに違いない。見慣れたものでも、何かしら人の惹きつける要素を持っていて、見る側の心の状態が美の感覚に正直にそのまま反映されていくだけのものかも知れない。しかし、クロアチアのプリトビヴィツェという世界遺産はいい意味でその例に従わない。仮に浮かない気持ちを抱えたままでそこを訪れたとしても、恐らく誰もがその美しさに一気に惹きつけられ、逆に心の方が高揚していってしまう、そういう力をこのカルストは持っている。」 と人間の心の儚さというか頼りなさと言ったらよいのか適切な言葉が見つかりませんが、その人間の心に従わないのがクロアチアのプリトビヴィツェだと言っているのです。

 そして、記事は、「私には経験がある。昔アフリカのサバンナでオリックスという動物をやっと1頭だけ見た時、ああ、あれがそうかと、もちろん感動し、後で数頭が現れた時にはもうちょっと感動し、群れになって現れたらさらにもうちょっと感動し、しかし、何回もこれが続くと、もはや感動しなくなっている自分の心。感動し続けるというのは難しいことだ。人間の感覚の悲しいところはそこにある。しかし広範囲にわたるこの滝と湖の恐るべきパノラマは一日中、自分の感動に休息というものを与えてくれなかった。」
 と結んでいます。

 要は、どんな美しいものも何度か見ていると感動しなくなる(それが人間の感覚の悲しいところ)が、プリトビヴィツェ湖群公園は例外だと言いたかったのでしょう。
 実際にヨーロッパのいくつかの名所・旧姓を訪問したことがある小生も「人間の感覚の悲しいところ」があるという点も、そして、プリトビヴィツェ湖群公園が例外だった思えるのですから不思議です。

 なお、小生は、現在、そのプリトビヴィツェ湖群公園などを訪ねた旧ユーゴスラビアの旅行記を執筆中で、近々、皆さんにご覧いただくことができそうです。
 本日の巻頭写真は、プリトビヴィツェ湖群公園にしました。