mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

ルーマニアのシギショアラからシク村までの光景

2016年12月29日 | 旅行記
 今日は、シギショアラのホテルを8時15分にホテルを出発してバイア・マーレに向かいます。

 という書き出しで始まるのは、ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記の旅行日11日目の状況です。
 続けて旅行記を引用します。

 長距離移動の一日となりますが、旅も後半に入って疲れが出ないかな?
 シギショアラの朝の様子は、とくに「これ!」といったものはありませんが、6時45分モーニングコール、7時30分朝食とスーツケース搬出ですから、早めの支度となりました。

 ホテルを予定通り8時15分に徒歩で出発して、(坂道を歩いて)城壁外のバスに向かいました。
 シギショアラから(昼食予定の)シク村までは、目算で140㎞ぐらいでしょうか。
 その間、どんな光景が待っているのか楽しみですが、記憶にないのです。
 疲れて寝ていた?そうかもしれませんね。

 <シギショアラ出発直後の光景>


 <秋色の沿道>


 出発直後は「何かないかな?}とバスから見える光景を一生懸命眺めていました。
 「秋色の沿道」と題した写真は、8時45分ごろ撮影したもので、ちょっとボケていますが、ルーマニアの秋が感じらえるものとなっています。
 10時過ぎにガソリンスタンドでトイレタイムを取りますが、そこまでの光景をもう2枚ほどご覧いただきましょう。

 <電柱と線路>


 <丘陵地帯に見えた教会のような建物>


 2枚とも9時過ぎに撮影したもので、ルーマニアの中央部を走る道路から見えた景色です。
 このようななだらかな丘陵地帯が続いている光景を「ヨーロッパの原風景」というのでしょうか?

 ところで、帰国してから「地球の歩き方」に書いてある地図を眺めていましたら、シク村までに着くまでに2か所の町(村)の名前が判明しました。
 一か所目が「トゥルグ・ムレシュ(Targu Mures)」という町で、シギショアラからバスで約1時間、距離にして50㎞弱といったところにある町です。
 ここを左折しますと、人口33万人のクルージ・ナポカ(Cluj Npapoco)や、フエディン(Huedin)という町などを通ってハンガリーに行くことができます。
 二つ目が日本語で何と表現するのでしょうか?「Reghin(レギン?)」という町で、1か所目のトゥルゲ・ムレシュから30㎞弱距離にある町です。
 この町を左折(西北)しますと、シク村に向かいます。また、右方向(東北)に向かいますと、スロバキアで耳にした「ビストリツァ」という名前の町に向かいます。

 私たちは、これらの町を経由してシク村に向かったのだと思いますが、ほかの道路を通ってシク村に行くこともできるようです。
 先ほど申し上げた「トゥルグ・ムレシュ(Targu Mures)」という町から「Reghin(レギン?)」という町に行かずに左折する道路があり、その沿線にバルディシュティとかハチウという町などを通ってシク村に向かうこともできるようです。

 このように、細かいことを申し上げたのは、シギショアラからシク村までに見えた景色が何という地名なのか?知りたいこととシク村で何が見られるのか?と関連しているからです。
 
 シク村は、クレージ・ナポカからは、北東(草原地帯でメゼーシェーク地方という)に30㎞のハンガリー人が生活している村でですが、クレージ・ナポカから西方50㎞の範囲にハンガリー人が多く暮らす地域(カロタセグ地方という)とは別な地域です。

 このうち、歌や踊り、衣装、民芸品、室内装飾(これらのことをフォークロアという)どれをとってもほかにはない特徴のあるものばかりで、ブタペストから多くの愛好者が訪れるのは、カロタセグ地方のナーダシュ流域の村々で、私たちが訪れるシク村があるメゼーシェーク地方ではないそうです。
 
 したがって、私たちは、「煌びやかでとても美しい!」と評判の衣装を見ることはできませんが、次にルーマニアを訪問した時には是非、見てみたいものです。
 しかし、私たちが訪問したカロタセグ地方のシク村でもハンガリーの伝統的な衣装や室内装飾を見ることができましたので、大満足です。

 話が、どの道を通るのか?からハンガリー人の生活圏の話に逸れてしまいましたが、シギショアラから約50分走って到着した「トゥルグ・ムレシュ」に戻っていただいて、その様子をご覧ください。

 <トゥルグ・ムレシュの光景>


 <同じく>


 <同じく>


 次に、10時10分ごろお邪魔したガソリンスタンドと出発直後の近くの光景をご覧ください。

 <トイレ休憩のガソリンスタンド>


 <バス停?>


 次に、ガソリンスタンドから40ぐらい走ったところから見えた工場のような建物と橙色の紅葉などをご覧ください。

 <煙突が見える工場>


 <ルーマニアの紅葉>


 <同じく>


 こうして、ルーマニアの景色を楽しみながらシク村に向かったのですが、シク村には13時20分過ぎに到着しました。
 早速、その模様をお伝えしたいところですが、いささか疲れてきましたので、本日の記事はこれにて失礼したいと思います。

ルーマニア・ピエルタンの要塞教会とシギショアラ散策(自由行動)

2016年12月26日 | 旅行記
 昨日に続きピエルタンの要塞教会からお伝えします。
 この日の昼食は、教会の近くにあるる「UNGLERUS]というレストランです。

 <レストランの外観>


 メニューは、「自家製パスタの入ったチキンスープ」、「子牛肉のグヤーシャ(煮込み料理)」、「自家製チーズパイ」となっていますが、「パプリカの酢漬け」のような料理も出てきました。

 <チキンスープ>


 <子牛肉のグヤーシャ>


 <自家製チーズパイ>


 <パプリカの酢漬け>


 レストランでいただいたものを全て記事にしたのは、美味しかったから?
 ではなく、どれも見た目は悪くないのですが、すべて「イマイチ」でした。

 続いて、昨日約束しました要塞教会の全景ですが、壁の厚みが分かるものと建物の全景の二つををご覧ください。

 <壁が厚い!>


 <世界遺産ピエルタンの要塞教会>


 レストランでの楽しいひと時が14時過ぎに終了しますと、シギショアラに戻りました。
 シギショアラに戻りますと、ホテルのベッドで一休みして、その後、街をぶらぶらと散策することにしました。
 小さな街で、午前中観てしまった場所もあり、また、どこを見たらよいのかという迷いもありましたが、ローマカトリック教会がある北に向かうことにしました。

 <ホテル近くの土産物店>




 ぶらぶら歩きの割には、面白い写真がとれました。

 <修道院教会>


 <市役所>


 <同じく奥から>


 <市役所前の広場>


 <美しい!正教会>


 さて、次は18時にフロントに集合してヴラド・ドクトルの家(レストランCASA VLAD DRACUL)で夕食です。
 メニューは、「トマトスープ」、赤ピーマンの肉詰め、アイスクリーム(ベリーソース)となっていました。

 <トマトスープ>


 <赤ピーマンの肉詰め>


 <アイスクリーム>


 味ですが、どれも美味しくいただきました。料理のテーマが赤になっているのでしょうか?そためか、小生も赤ワインを珍しく2杯もいただいてしまいました。
 このように料理も良かったのですが、ドラキュラの姿をした支配人が出てきたり、絵が飾ってあったりで雰囲気を盛り上げていたのが印象的でした。

 <ドラキュラだぞ!>


 <ヴラド・ツェベシュ像>


 前に、ブラン城の初代王様はワラキア公ヴラド1世であると申しあげました。そして、ヴラド1世の子供がヴラド・ドクトルという方で、この王様は、1431年から35年の4年間、ハンガリー王によってシギショアラに幽閉されていました。その子供(3代目)が「串刺し公」といわれたヴラド・ツェベシュで、この家で生まれています。
 ドラキュラのモデルとなったのは、ヴラド・ツェベシュですが、ドラキュラの名前は、父親のヴラド・ドクトルに因んでいるようです。

 明日(10月26日、旅行11日目)は、シギショアラからバイア・マーレという町に向かうことになっています。

 これにて、本日のブログを終了します。

 



 


ルーマニアのピエルタン

2016年12月25日 | 旅行記
 ブログの記事を再開しました。
 最近、年賀状の作成に時間を使ってしまい、ブログの記事まで手が回りませんでした。
 
 今日は、旅行10日目にシギショアラから訪問した世界遺産「ピエルタンの要塞教会」についてお伝えします。
 シギショアラからピエルタンまでは南西に30㎞弱ですが、その間に「これは!」といった光景は見えなかったのですが、旅の徒然にバスから見えた光景をご覧ください。

 <シギショアラからピエルタンに向かう途中で>


 <同じく道路工事>


<ピエルタンの要塞教会直前の景色>


 こうして、ピエルタンの要塞教会に到着したのですが、「LIBRARIE・BOOK・SHOP」という看板がかかっている建物の階段を上って要塞教会に着きました。

 <ブックショップという表示の建物>


 <建物の階段>


 ブックショップから要塞教会に入る?そうなんです。ホテルを11時に出発して12時すぎに到着しましたが、階段を上ると、秋の黄金色に染まった教会の庭にでました。

 <要塞教会を染める黄葉>


 <黄葉の美しさに感動!>


 これでは、世界遺産の要塞教会の見学ではなく、黄葉見学だ!ということになりますが、後ほど、教会の方も出てきますのでご安心を!
 続いて、大きすぎてカメラに収めきれなかった教会の建物と赤い屋根が連なるピエルタンの街並みをご覧ください。

 <教会の建物の一部>


 <ピエルタンの街並み>


 私たちは、裏側から教会に入ったようで、落ち葉が舞い落ちる通路を左に回りながら教会の建物と外側に広がるピエルタンの街並みを見学しました。
 左側を進んでいきますと、人がゆったり歩ける大きな通路や見張り塔のような三角形の屋根がついた建物が視界に入ってきました。

 <広場のようなな正面通路>


 <正面から見えた街並み>


 このような要塞教会は、この地域にいくつもある、ということですが、壁が3重になっているのは、ここだけだそうです。
 周囲を分厚い壁で囲んだ理由は、オスマン朝の襲撃に備えるためだったそうです。

 ところで、見張り塔のような建物は、正面から見ますと、左右に二つあり、奥の見張り塔には、何かを語っている修道女の人形が置かれていました。
 奥の見張り塔というのは、教会を正面から見て左側になりますが、要塞教会の全体が分かる写真を後ほど掲載したいと思います。

 また、この奥の見張り塔には、建物の外側に木造の階段が設置されていましたが、好奇心旺盛な小生は、この階段に上ってピエルタンの街を眺めました。

 <見張り塔からの街並み>


 <同じく>


 この後は、教会の中に入って見学しました。幸い、この教会は撮影禁止ではありませんでした。

 <教会の正面>


 <キリスト像>


 <パイプオルガン>


 教会内部の正面には、縦長の窓とキリストなどが描かれた彫刻の楯(イコノシスタス?)が置かれていました。また、反対側にはパイプオルガンがありました。
 滞在時間が約10分という短いものでしたが、静かで厳かな空間が広がっていました。

 この後、教会の中を出ますと、教会の外側にはトンネルような空間や、のぞき窓、さらに時計がついている見張り塔のような建物(裏側にある3つ目の塔)などを見学して、昼食をいただくために教会近くのレストランに向かいました。

 <トンネンル>


 <のぞき窓>


 ところで、細長い建物を勝手に「見張り塔」と書きましたが、このような細長い建物が5つはあったのです。
 さて、昼食のレストランですが、その様子は、要塞教会の全景とともに次回レポートしたいと思います。

 本日は、これにて失礼します。



 

 

ルーマニアのシギショアラ散策2

2016年12月19日 | 旅行記
 前回は、シギショアラ散策の最初の部分だけお伝えしました。
 シギショアラにある9つの見張り塔のうち、「靴職人の塔」と「ブリキ職人の塔」の写真などをご覧いただきましたので、今日は、まず、9つの塔について説明します。

 9つの塔とは、「時計塔」のほかに
 ◆ ブリキ職人の塔(Turnul Cositorilor) 
 ◆ 皮なめし職人の塔(Turnul Tabacarilor)
 ◆ 綱職人の塔(Turnul Franghierilor)
 ◆ 精肉業者の塔(Turnul Macelarilor)
 ◆ 毛皮職人の塔(Turnul Cojocarilor)
 ◆ 仕立業者の塔(Turnul Croitorilor)
 ◆ 製靴職人の塔(Turnul Cizmarilor)
 ◆ 鍛冶職人の塔(Turnul Fierarilor)

 この名前を見ますと、どのような商工業が発展したのか、また、商工業者が自ら街を守ろうとしたことが分かると思います。

 小高い丘の上にある美しい旧市街の大きさは、目算で南北400㍍、東西200㍍の80,000㎡といったところでしょうか。
 私たちは、この小さい街をホテルから歩いて散策したのですが、方向音痴なものですから、どこをどう歩いたのか良く覚えておりません!
 などといってますが、ホテルの左方向に小さな広場があり、そこから前回のブログで写真を掲載しました「製靴職人の塔」、「ローマカトリック教会」を、次に<ブリキ職人の塔>を見学しました。

 そして、ここから街をぐるりと散策して、街のランドマークである「時計塔」に向かったのですが、その間の楽しい・美しい光景をいくつかご覧いただきましょう。

 <共産党時代の国民車>


 <人間の目のような屋根>


 <同じく>


 <街角でおばあさんを見送る>


 <時計塔に近づく>


 赤い車は、共産党時代のものだといいますから珍しいものを見た思いです。
 次の人間の目のような屋根ですが、街のあちこちで見かけました。監視や屋根裏部屋の明り取りでしょうか?
 「街角でおばあさんを見送る」というのは、街を散策していましたら、地元のおばあさんが歩いていて、私たちが思わず駆け寄り声をかけたのですが、気さくで素朴な姿に感動して後姿を見送った、というシーンです。

 こうして、散策しているうちに時計塔の前の広場に着きました。この近くには「ヴラド・ドクトル(2代目の王)の家」がありますので、「時計塔」とともにご覧いただきましょう。

 <ヴラド・ドクトル(2代目の王)の家>


 <時計塔前の広場>


 <街のシンボル時計塔>


 ヴラド・ドクトル(2代目の王)の家は、現在、カサ・ブラド・ドクトルという名前のレストランになっていて、私たちも夕食をこのレストランでいただきました。
 写真には、「CASA VLAD DRACUL TERASA」という大きな表札がありますが、こちらは私邸の入口なのでしょうか?
 「時計塔前の広場」に見える左端の黄色い壁は、レストランの入口になっています。
 また、「時計塔」ですが、右側に写っている建物のうち、手前の薄茶色の建物が大砲や槍などが展示されている「中世武器博物館」です。

 この後は、時計塔の中の階段を上ってテラスから「赤い屋根が連なる美しい街」の光景を見学しました。テラスは、時計塔の尖塔の下に黒い空間が見えていますが、そこがテラスになっていました。

 時計塔は、14世紀半ばに建設されました。塔の屋根の4つの小塔がありますが、裁判の自治権を象徴するものだそうです。現在の建物は、1676年の大火後に再建されたもので、1894年には屋根の大規模な吹き替え工事が行われ、現在みられる色鮮やかなタイルが貼られました。
 17世紀に作られたからくり時計は、今も動いていて、機械仕掛けの人形が出てきて時を知らせるようになっています。
 城壁内に面している時計盤と下街をむいている時計盤とでは、出てくる人形が異なっています。前者は、平和、正義、法、昼夜などを象徴する人物になっており、後者は、月曜に対応するディアーナ、火曜に対応するマールスなど1週間を表すローマ神話の神々になっています。
 また、時計塔の内部は、1899年に設置された「歴史博物館」になっていて、古代ローマ時代の生活用品や家具、手術道具など様々な物品を展示しています。

 こうした時計塔の中ですが、テラスから見えたシギショアラの美しい町並みをご覧ください。

 <赤い屋根が連なる>


 <修道院教会>


 <東京への方向と距離を示す盤>


 <こちらにも赤い屋根が!>


 <子供たちの大きな歓声が>


 時計塔の見学が終わりますと、ホテルの前を通って土産やなどを見ながら歩き、屋根付きの木造階段を上って「山上教会」に向かいました。
 山上教会は、城壁の南側に位置していて、現在、ドイツ語学校となっている山上学園が隣にあります。

 <屋根付きの木造階段>


 この階段ができた1642年当時は、300段だったのですが、現在は175段になっています。冬場に礼拝堂や通学に、丘に登る人々のために作った階段ですが、屋根は雪よけのためでしょうか?

 <山上教会の前>


 <山上教会>


 階段を上りますと、1345年建立、1525年完成の山上教会がありました。
 この教会は、トランシルバニア地方のゴシック建築の代表的な建物と評価されていて、建築当初のカトリック聖堂から1547年にルーテル派の教会堂になったそうです。
 内部には、14世紀から15世紀の美しい壁画などが残っているそうですが、残念ながら中には入りませんでした。

 ところで、「山上教会の前」の写真は、右側の建物が山上教会ですが、樹木に隠れている建物は何だと思いますか?
 この建物が、9つの塔の一つである「綱(つな)職人の塔」です。この塔は、13世紀に建造されたシギショアラ最古の部類に属する塔で、保存状態の良さが評価されています。

 帰り際に、教会から屋根付き木造階段の外観が見えましたので、ご覧ください。

 <屋根付き木造階段>



 では、本日はこれにて失礼します。

 




 

  

ルーマニアのシギショアラ散策

2016年12月15日 | 旅行記
 今日は旅行10日目、シギショアラという高台の城郭都市のようなところにあるホテルで朝を迎えました。
 昨日、ホテルの部屋割りが悪い!というような一悶着があったホテルシギショアラですが、小生の独断と偏見でホテルの評価を申し上げますと次の通りです。
 まず、部屋の大きさ、十分とは言えませんが、スーツケースを置ける面積はありましたので、「まぁまぁ」でした。浴槽やシャワーなどの水回りは、「お湯が濁っている」、「一斉に使たためか出が悪い」ことから、「不可」といいたいところでですが、「こんなものでしょう!」という評価でした。
 ベッドは、シングルで、また、部屋から外を見ることはできませんでした。(無理に小さい窓をこじ開ければ可能?)
 したがって、総合点は、高くはないと思いますが、古い街にある古いホテルですから、設備面などで近代的なホテルの劣っているのは、やむを得ないのではないでしょうか?
 城壁内という旧市街に宿泊できるということに意義があると考えるべきで、城壁内にあるホテルとしては、評価が高いホテルだと思います。
 なお、不満の原因は、エレベーターがないため低層の部屋に泊まりたいのに、最上階(4階?)で、しかも部屋の天井の一部が斜めになっている屋根裏部屋のような造りになっていたことのようです。
 私たちの部屋?最上階の同じつくりの部屋でした。

 <斜めの天井がある部屋>


 <ホテルの外観>


 さて、本日は7時30分モーニングコール、同じくホテル0階のレストランで朝食、9時00分にロビー集合です。
 ホテルから徒歩で時計塔やドラキュラの生家などシギショアラ旧市街を散策して、その後、バスでピエールタンという町に向かいます。ピエールタンで昼食後、世界遺産の要塞教会を見学してシギショアラに戻り、自由行動となっています。(うれしい2連泊!)

 まず、野菜がちょっと足りなかった朝食をご覧ください。

 <ゆで卵、箔、ソーセージなどの朝食>


 ここで、シギショアラの勉強。
 シギショアラは、トランシルバニア地方の中心に位置するルーマニア人が観光客に必ずすすめる町だそうです。
 中世の面影を色濃く残した町並みは、観光地化されていない素朴な魅力が残るといいます。
 その歴史は、1191年にハンガリーのクラウスという王の命で、ザクセン人(ドイツ?)が入植したことに始まり、15~16世紀の繁栄の絶頂期には15のギルドを持つ城塞都市だったそうです。
 町の創成期における多数のドイル系移民の影響が、山上教会やドイツ学校、ルーマニア語、ドイツ語の二つの名前がついた建物に表れているそうです。
 また、この町が世界文化遺産に指定されたのは、中世ドイツの建築様式と要塞の数が多く、保存状態が十分に良好であると評価されたことによるそうです。

 さて、その見どころですが、城塞都市としての防衛機能を担った「防壁」と「見張り塔」、そして、中世の景観を保持している「赤い屋根の民家群」だそうです。
 中でも、時計塔は、現存する見張り塔の一つですが、ひときわ目立つのでシギショアラのランドマークと言っても良いと思います。

 まず、その時計塔をご覧ください。といいたいところですが、時計塔については、後ほど、詳しく申し上げますので、ホテルから歩いて見えた光景からご覧ください。

 <時計塔が正面に!>
 
 
 <ホテル近くの小さな広場>


 <製靴職人の塔>


 <ローマカトリック教会>


 <ブリキ職人の塔>


 <こんなところも>


 <もう一つ!>


 これらの写真を説明できれば「うれしい」のですが・・・
 製靴職人の塔とブリキの塔は、9つの塔のうちの二つですが、9つの塔の説明の時に内容を申し上げたと思います。

 本日のブログは、これにて失礼します。
 それでは、またお会いしましょう!