今日は、パリから行く小さな旅の旅行三日目シャイとバルビゾンの模様をお伝えします。
<7月18日(日)ミレーの落穂ひろいの舞台となった村シャイとバルビゾン、そしてフォンテーヌブロー城>
この日は、朝9時の出発でホテルからバスに乗り込みパリを脱出するが、現地のガイド(50歳くらいの痩せた女性)がフランスを説明する際に日本と比較しながら、いかにフランスが素晴らしいかを強調していた。
しかも、教えてやる!という感じで会話を聞いていて不愉快でならなかった。
どうして自分の母国である日本の歴史がフランスに劣っているような説明をするのか、また、私たちがフランスのことを知らないことを馬鹿にするような話し方をするのか理解に苦しむばかりである。
前回、パリに来た時にもバスの中にカメラを置いたまま降りてしまい、取りに戻ろうとしたら、現地ガイド(フランス語のような日本語を使う日本人男性)に「バスにはない!」の一点張りで遮られ、誠に不愉快な思いをしたが、これならフランス人ガイドの方がよっぽど良いのに!と思ったものである。
今回の旅でも、ルーブル美術館へオプショナルツアーで参加した人の話で「小泉首相の批判などを聞かされたが、絵を見に来たのであって関係のない政治の話を聞かされ、何のために高い料金を払ったのか誠に不愉快であった」というような話を聞いたが、どうしてフランスにいる日本人ガイドは、このような態度をとるのか、場合によっては旅行代理店に投書しようかと思ったものである。
などという不愉快な話は、このくらいにして、旅の楽しい思い出を記しましょう!
まず、パリからシャイ村までの景色であるが、車窓から眺める景色は、右も左も一面の金世界である。(金が地面に転がっているということではありませんよ。)
<金色、銀色?の麦畑>
写真のように、道の両側には丘陵のようななだらかな土地が続いており、そこには金色ではなく、土色の麦畑が多少の例外(家畜用の緑のトウモロコシ)を除き、延々と続いているのである。例の彼女の説明によれば、フランスは小麦の生産が世界で5番目で、1位はアメリカではなく、中国だそうである。
さて、バスの中ではこの間、多くの人が時差ボケと疲れでお休みでしたが、小生は興奮しているのか?ビデオカメラを回しながら首を右に左にと大忙しである。
そうこうしているうちに、シャイ村に到着である。1台も車が置いていない駐車場でバスを降りて、古い時計台のような建物とその周辺を見学したのである。
<時計台のような建物>
<草花が咲き乱れる通路>
人がいない寂しいところで、ミレー何を感じていたのか?小生のような凡人には理解できないが、落穂ひろいに出てくる彼が愛した「フランスの田舎の雰囲気を理解しろ!」ということかな思い、地名を確認しようとガイドに声をかけたら、何を聞いているのか!といわんばかりの態度で、
彼女「シャイよ!」
小生「はあー?どこですか?」
彼女「シャイ!」
小生大声で「シャイ!」
という会話になったのであるが、その後がありました。
バスに乗るや、彼女はマイクを取って「皆さん、日程表があるはずだから事前によく確認してください。」だって!
小学生の修学旅行じゃあるまいし、ここで小生、またもカチンときた次第である。
しかも、日程表を見ると載っていないじゃないか!
「まあまあ、興奮しなさんな、旦那さん!」とかみさんの顔が笑っていました。
ここからバスに揺られてしばらく行くと、ミレーが愛したという「バルビゾン村」に到着したのである。
ここは、溢れるような緑の中に別荘地が並び、日本で言うと軽井沢といった感じである。
バスから眺めていますと、役場あり、レストランあり、などと説明を受けましたが、撮影に夢中で残念ながらほとんど覚えておりません。
<バルビゾン村>
バスから降りたところは、フォンテーヌブローの森に続いているというが、ここから村の中心部に向かって散策となりました。
村の中心部の道路は、対面交通ができないような狭いものでしたが、観光客が歩きやすいようになっている、ということでしょうか?
ミレーの館の前で記念撮影ができたのですが、かみさんに叱られそうですのでカットしました。
<ミレーの館の周辺>
バルビゾンの見学が終わりましたので、フォンテーヌブローの森に行くのかな?と思ってましたら、森ではなくお城に向かったのです。
<次の訪問先フォンテーヌブロー城については、次回にお伝えします。それではこれにて失礼します。>
<7月18日(日)ミレーの落穂ひろいの舞台となった村シャイとバルビゾン、そしてフォンテーヌブロー城>
この日は、朝9時の出発でホテルからバスに乗り込みパリを脱出するが、現地のガイド(50歳くらいの痩せた女性)がフランスを説明する際に日本と比較しながら、いかにフランスが素晴らしいかを強調していた。
しかも、教えてやる!という感じで会話を聞いていて不愉快でならなかった。
どうして自分の母国である日本の歴史がフランスに劣っているような説明をするのか、また、私たちがフランスのことを知らないことを馬鹿にするような話し方をするのか理解に苦しむばかりである。
前回、パリに来た時にもバスの中にカメラを置いたまま降りてしまい、取りに戻ろうとしたら、現地ガイド(フランス語のような日本語を使う日本人男性)に「バスにはない!」の一点張りで遮られ、誠に不愉快な思いをしたが、これならフランス人ガイドの方がよっぽど良いのに!と思ったものである。
今回の旅でも、ルーブル美術館へオプショナルツアーで参加した人の話で「小泉首相の批判などを聞かされたが、絵を見に来たのであって関係のない政治の話を聞かされ、何のために高い料金を払ったのか誠に不愉快であった」というような話を聞いたが、どうしてフランスにいる日本人ガイドは、このような態度をとるのか、場合によっては旅行代理店に投書しようかと思ったものである。
などという不愉快な話は、このくらいにして、旅の楽しい思い出を記しましょう!
まず、パリからシャイ村までの景色であるが、車窓から眺める景色は、右も左も一面の金世界である。(金が地面に転がっているということではありませんよ。)
<金色、銀色?の麦畑>
写真のように、道の両側には丘陵のようななだらかな土地が続いており、そこには金色ではなく、土色の麦畑が多少の例外(家畜用の緑のトウモロコシ)を除き、延々と続いているのである。例の彼女の説明によれば、フランスは小麦の生産が世界で5番目で、1位はアメリカではなく、中国だそうである。
さて、バスの中ではこの間、多くの人が時差ボケと疲れでお休みでしたが、小生は興奮しているのか?ビデオカメラを回しながら首を右に左にと大忙しである。
そうこうしているうちに、シャイ村に到着である。1台も車が置いていない駐車場でバスを降りて、古い時計台のような建物とその周辺を見学したのである。
<時計台のような建物>
<草花が咲き乱れる通路>
人がいない寂しいところで、ミレー何を感じていたのか?小生のような凡人には理解できないが、落穂ひろいに出てくる彼が愛した「フランスの田舎の雰囲気を理解しろ!」ということかな思い、地名を確認しようとガイドに声をかけたら、何を聞いているのか!といわんばかりの態度で、
彼女「シャイよ!」
小生「はあー?どこですか?」
彼女「シャイ!」
小生大声で「シャイ!」
という会話になったのであるが、その後がありました。
バスに乗るや、彼女はマイクを取って「皆さん、日程表があるはずだから事前によく確認してください。」だって!
小学生の修学旅行じゃあるまいし、ここで小生、またもカチンときた次第である。
しかも、日程表を見ると載っていないじゃないか!
「まあまあ、興奮しなさんな、旦那さん!」とかみさんの顔が笑っていました。
ここからバスに揺られてしばらく行くと、ミレーが愛したという「バルビゾン村」に到着したのである。
ここは、溢れるような緑の中に別荘地が並び、日本で言うと軽井沢といった感じである。
バスから眺めていますと、役場あり、レストランあり、などと説明を受けましたが、撮影に夢中で残念ながらほとんど覚えておりません。
<バルビゾン村>
バスから降りたところは、フォンテーヌブローの森に続いているというが、ここから村の中心部に向かって散策となりました。
村の中心部の道路は、対面交通ができないような狭いものでしたが、観光客が歩きやすいようになっている、ということでしょうか?
ミレーの館の前で記念撮影ができたのですが、かみさんに叱られそうですのでカットしました。
<ミレーの館の周辺>
バルビゾンの見学が終わりましたので、フォンテーヌブローの森に行くのかな?と思ってましたら、森ではなくお城に向かったのです。
<次の訪問先フォンテーヌブロー城については、次回にお伝えします。それではこれにて失礼します。>