mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<エフェソス古代遺跡3>

2019年04月30日 | 旅行記
 ◆ エフェソス古代遺跡3

 ▲ クレテス通り・ヘラクレス門・トラヤヌスの泉など

<Mugio>
 クレテス通りは、ヘラクレス門からケルスス図書館までの通りで、ローマ帝国領となった紀元前2世紀から紀元後2世紀頃の建造物が並んでいるみたいだね。
<Mugiko>
 そうなの?でも、実際に南門から歩いてみると、同じ通りのように見えるわ。

 <クレテス通り>


 <ヘラクレス門>


<Mugio>
 そうなのさ!だから入口付近にあったオディオンからケルスス図書館までだという説もあるそうだ。ちなみに、通りの名前になっているクレテスとは、聖職者のことらしいね。
<Mugiko>
 ところで、相変わらずボケ写真になっているけれど、これが本当に半神半人の英雄といわれるヘラクレスが描かれている門なの?

 <頭部がない石像>


 <トラヤヌスの泉>


<Mugio>
 通りには頭部がない石像があったけれど、これは、街の有力者が変わると、頭部を切り替えたためだという話だけれど・・・。
 下の写真のトラヤヌスの泉は、ローマ皇帝トラヤヌスに捧げるために紀元1世紀につくられた泉で、正面には皇帝像が置かれ、足下には水道水が流れていたそうだ。
<Mugiko>
 あら!見てきたような言い方だけれど?
 屋根の跡のようなところがあるけれど、2階建てだったのかしら?
 ところで、通りの向こうには「テラスハウス」という高級住宅の跡があるはずよ。

 <テラスハウスのモザイク床?>


<Mugiko>
 テラスハウスというのは、紀元前1世紀に建てられた高級住宅の跡のことで、モザイク模様の通路があったようね。
 この写真の床がテラスハウスの床なのか確信がもてないのよ。もし、違うなら「ごめんなさい!」ということね。
 ところで、「スコラスティキアの浴場」を撮影したものはないの?
<Mugio>
 先ほど、スコラスティキアの浴場の場所を「テラスハウスの後ろにある」という説明をしてしまったけれど、これは間違いで次に出てくる「ハドリアヌス神殿」の斜め後ろ、トラヤヌスの泉に接している小道の向こう側にあるというのが正しいようだね。

 <スコラスティキアの浴場の門?>


 <その左側に建つ列柱>


<Mugiko>
 あら!先ほど写真がないような言い方だったけれど、上の写真も「?」付だから「スコラスティキアの浴場」なのか自信がないということ?
<Mugio>
 まあ、そういうことだけれど、間違いないと思うな。この辺りは、複雑すぎて、どういう遺跡があるのかよく分からなかったな。近くには「娼館」もあるはずなんだけれど・・・

 <ハドリアヌス神殿>


<Mugiko>
 ハドリアヌス神殿は、2世紀前期(138年?)エフェソス市民クインティリアスがローマ皇帝ハドリアヌスに捧げた神殿です。
<Mugio>
 バカに丁寧になったね。
 女神ディケ、メドゥーサその他の神々や、皇帝の姿、緻密な柱の彫刻が特徴の神殿だってさ。
<Mugiko>
 この写真を大きくした次の2枚の写真をみれば「女帝ディケのレリーフ」と「メドゥーサのレリーフ」がよく分かるわ。

 <破風中央にあるディケのレリーフ>


 <奥の門にあるメドゥーサのレリーフ>


<Mugio>
 ところで、話がハドリアヌス神殿の写真に戻って申し訳ないが、この写真の右側に見えている階段を上っていくと、「スコラスティキアの浴場」があるということだ。
<Mugiko>
 でも、こういう話をしていると、事前にもう少し勉強してから旅行すべきだったと反省しているわ。
<Mugio>
 そうだね。さて、この次はエフェソス古代遺跡観光のメインイベントとでも言うべき「ケルスス図書館」だね。


 <以上で本日の記事は終了です。次回は「エフェソス古代遺跡4」としてケルスス図書館、大劇場などをお伝えします。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<エフェソス古代遺跡2の続き>

2019年04月28日 | 旅行記
 昨日はエフェソス古代遺跡2を途中で突然中止してしまいました。
 今日は、その続きの「バシリカ」からお伝えします。

 ◆ バシリカ

<Mugiko>
 先ほどあなたが「ドミティアヌス神殿」だといってた「バシリカ」だけれど、入口付近のもの以外に「上のアゴラ」とオディオンの間に3本の柱があったわ。
<Mugio>
 ところで、アゴラは上下2カ所あるというけれど、その意味は、集会や宗教行事、市場などに利用されていた「広場」のことだそうだ。
 また、「バシリカ」とは、簡単に言えば、ローマ様式の列柱建築のことだと思うけれど、当時は取引や式典に使っていたというから、その建物も見たかったものだね。

 <3本の列柱>


 <オディオン手前の2本の列柱・・・遺跡見学のスタート時に見えた光景>


<Mugiko>
 円頭には力の象徴である雄牛の頭の彫刻があったという話を聞いたけれど、私が撮影したものにも雄牛の頭のような彫刻が混じっていたわ!
<Mugio>
 それは、たぶん別のものだと思うな。
 列柱の上には、「雄牛に頭の彫刻があった」とか、「姿は分からない」などと聞いているので、現在はないはずだよ。
<Mugiko>
 オディオンの隣に見える手前に2本の柱、後ろの3本の柱は何かしら?

 プリタネイオン(市庁舎) 

 <市公会堂の柱>


 <後ろの3本の柱>


<Mugio>
 ここは、地球の歩き方では「市役所」と表示されている遺跡で、訳し方がいくつかあるそうだ。「公会堂」とか「市議会堂」とういう表示をしているものもあるみたいだね。
<Mugiko>
 「プリタネイオン」というのは、古代ギリシャ都市にあった公共の建物のことらしいわよ。
 ここは、元々はアルテミスの礼拝堂だったけれど、紀元前3世紀に公共の建物として修復されたようね。
<Mugio>
 アルテミスは、ギリシャ神話に登場する狩猟・貞潔の女神で、後に月の女神となったアテーナー、ヘステェアと並んでギリシャ神話の3代処女神として著名(ウキペディア)だというが知らなかったな!
 ところで、上の写真の2本の柱の方は、間違いなくプリタネイオンだけれど、下の写真の3本の柱の方もプリタネイオンなのかな?
<Mugiko>
 何だかよく分からない話だけれど、エフェソスがアルテミス女神崇拝の一大中心地であったことは確かで、ここから出土した胸に卵形の装飾をした外衣の像が考古学博物館に展示されているそうよ。

 ◆ ドミティアヌス神殿と碑文博物館

<Mugiko>
 次はあなたが入口付近で間違えたドミティアヌス神殿だけれど、写真がボケってしまってその特徴である2本の柱がはっきり写っていないのよ。
 また、上のアーチの部分の通路には、3000以上の碑文が収められているという碑文博物館があるという話を聞いたけれど、分からなかったわ。

 <ドミティアヌス神殿>


<Mugio>
 この神殿は、ローマ帝国のドミティアヌス(在位81~96年)に捧げられたものだけれど、彼は独裁傾向が強く、末期は疑心暗鬼が強くなって有力者を処刑し、キリスト教徒を迫害したので、元老院により彼の業績は否定され、記録も抹殺されたそうだ。
 2本の柱の間には、彼の像があったらしいよ。

 ◆ ポリオの泉・メミウスの記念碑

<Mugio>
 市庁舎を過ぎると、通りの右側にポリオの泉とドミティアヌス神殿が見えてきたけれど、残念ながらポリオの泉は撮影していなかったみたいだ!
 と思ったら、ドミティアヌス神殿の左側に丸い輪のようなものが見えているけれど、これが「ポリオの泉」だね。
 さて、次に主要な見どころであるクルスス図書館に向かっている通りの様子をご覧いただきましょう。(ヘラクレス門から始まるクレテス通りにつながっています。)

 <右側にメミウスの記念碑!>


 <ヘルメスのレリーフ>


<Mugiko>
 上の写真には、遠方に「メミウスの記念碑」が見えているわ。
 下の写真は、近くにあった商売の神「ヘルメスのレリーフ」で、この神は「羊飼いの神」でもあったので、羊も描かれているわ。
 そして、左手に月桂樹の冠を持っている勝利の女神「ニケのレリーフ」もこの辺りにあったわ。

 <ニケのレリーフ>


 <メミウスの記念碑>


<Mugio>
 メミウスの記念碑にも歴史があって、紀元前86年にローマの重税に反対して市民が暴動を起こし、ローマ人が虐殺されたが、その後、スラという皇帝が
鎮圧したそうだ。
 そして犠牲になった霊(ローマ兵や市民?)を慰めるために建てたのが「メミウスの記念碑」だという話だよ。

 <同じくメミウスの記念碑>


<Mugiko>
 記念碑には、スラ、息子のガイウス、孫のメミウスのレリーフがあるというけれど、下の写真のどこにその人物なのか描かれているのか分からないわ?
<Mugio>
 二人しか写っていないけれど、腹の部分が崩落しているレリーフが息子のガイウスかな?
<Mugiko>
 さあ?知らないのだから聞かないで!


 <本日の記事は、これにて終了します。次回は、同じくエフェソス遺跡の「クレテス通り、ヘラクレス門、テラスハウス」などをお伝えします。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<エフェソス古代遺跡2>

2019年04月27日 | 旅行記
 前回に引き続きエフェソス古代遺跡の模様をお伝えします。

 ◆ エフェソス古代遺跡2

 ▲ 水道管

 スタート直後から通路(クレテス通り)の両側に広がる列柱などを見とれて古代ロマンに浸っていましたら、右側に半円形のオディオンが見えてきました。
 でも、こうした光景に目を奪われていますと、面白い光景を見逃すところでした。
 それは、足下に広がっていました。

 <足下の構築物は?>


 おそらく水道管ではないでしょうか?
 2000年前にこのような近代的なものがあったのですから驚きです。

 ◆ オディオン(コンサートホール)

<Mugio>
 エフェソス古代遺跡の南の入口から見えた最初の光景が「ヴァリウスの浴場跡」という有名な遺跡だったのだから驚きだね!
<Mugiko>
 そのヴァリウスの浴場跡は2世紀につくられたローマ式浴場で、床暖房や熱水浴室、マッサージ室、脱衣場などがあったというから、まるで日本のスーパー銭湯みたいね。
<Mugio>
 ヴァリウスの浴場跡の隣には、「オディオン」があったはずだけれど・・・丘の傾斜を利用した1500人収容の半円形のコンサートホールだから、屋根付きの小劇場といったところかね?

 <オディオン>


 <オディオンの観覧席>



 <次に「バシリカ」を説明しようとしましたが、急用ができましたので後日、レポートしたいと思います。>
 

トルコ一周とカッパドキアの旅<エフェソス古代遺跡>

2019年04月25日 | 旅行記
 昨日に引き続き聖母マリア教会の次に訪問したエフェソス古代遺跡についてお伝えします。

 ◆ エフェソス古代遺跡
 ということで、10時10分頃聖母マリアの家を後にしてエフェソス古代遺跡に向かいました。
 ところで、このページでは、訪問した町の名前を勝手に「エフェソス」といってますが、正式には「セルチュク((SELCUK)」という人口25万人の町のようです。
 エフェソス古代遺跡があまりにも有名なものですから、町の名前も同じだと勘違いしたようです。
 町の見どころとして、遺跡以外に聖母マリア教会、エフェソス考古学博物館、聖ヨハネ教会、アルテミス神殿跡、7人の眠り男の洞窟があるそうです。


 ▲ 入口付近(上のアゴラ、ヴァリウスの浴場跡)

<Mugio>
 10時20分過ぎにはエフェソス古代遺跡に到着したから、聖母マリアの家からは「近い!」という感じだね。
<Mugiko>
 私たちは、エフェソス古代遺跡の南口から入場して、緩い坂道の両側に広がる古代遺跡を見学しながら、北入口まで歩くコースになっているようね。
<Mugio>
 南入口付近で撮影したビデオの写真がボケてしまって、入場口の赤い建物や「上のエゴラ」付近の様子が分からなくなってしまったよ!

 <南入口>


 <「上のエゴラ」付近>


<Mugiko>
 でも、何とか雰囲気は伝わりそうだから良かったわ。
 ここから緩い坂道の両側に広がる遺跡を見学しながら、北口まで歩いて行くということね。

 <遺跡見学のスタート>


 <遺跡の右側の遠景>


<Mugio>
 通路の両側に広がる遺跡の数々が綺麗に整備されていて、昔の街がこのようになっていたのか疑問だけれども、観光客が見学しやすいように整備した!ということかな?
<Mugiko>
 などといってますが、「とにかく素晴らしい遺跡だ!」と絶賛していたのは、どこのどなたでしょうか?
 ところで、団体客は南から、個人的にバスなどで訪問する客は北口から見学することになっているようね。
 私たちは、ツアー客だから南口からで、山側に見える遺跡(遺跡の右側の遠景)は、トンネルようなものが見る「ヴァリウスの浴場」ということかしら?
<Mugio>
 そうかも知れないが、両側に広がる遺跡群に圧倒されて、何が何だか分からなかったな!

 <整然と並ぶ遺跡の柱>


 <美しく並んでいる!>


 <通路の両側にズラリと!>


 <整備しすぎて世界遺産を逃した?>


<Mugiko>
 それにしても、見やすいように綺麗に整備されているわね!
 でも、これが原因で世界遺産に登録されなかったという説もあるみたいね。
<Mugio>
 そうかね?世界遺産ではないかも知れないが、この遺跡は世界最大級と言っても良いくらいの古代遺跡だと聞いたよ。
 何でも、紀元前2000年頃からすでに、アナトリアの地母神キベレの神殿を持つ集落があったということだよ。そんな想像もつかない昔に文明があった!ということに驚いちゃうよ。
<Mugiko>
 そうよね。でも、そのすごさを説明している「地球の歩き方」などを読んでも、歴史が古すぎるし、また、多くの栄枯盛衰があったようで理解しがたい!というのが正直なところだわ。
<Mugio>
 紀元前4世紀のアレキサンドロス大王による東方遠征でギリシャ風の文化(ヘレニズム文化)が広がったとか、紀元前2世紀に共和国ローマの支配下に入ったとか、紀元前1世紀の帝政ローマの基礎を築いた「ユリアス・カイサル(シーザー)」が暗殺された後権力を握った「マルクス・アントニウス」と愛人関係になった女王「クレオパトラ」が逢瀬を重ねたのもエフェソスであるなどという話だと思うけれど、よく分からないね。
<Mugiko>
 その後もエフェソスは、古代ローマ帝国の地中海交易の中心としてローマ、アレキサンドリア(エジプト)とともに世界3大都市と「いわれるほど繁栄したというから凄いわね。
<Mugio>
 世界史を勉強しなければ分からないけれど、ローマ帝国といえば、私たちも名前ぐらいは知っている「シーザー」や、シーザーを暗殺した「ブルータス」、悪名高き「ネロ皇帝」などもエフェソスを訪れているそうだね。
<Mugiko>
 そうなの?自分の無知に恥じ入るばかりだわ。
<Mugio>
 ところで、肝心な遺跡のことだけれど、<遺跡見学のスタート>という題名をつけた写真の遺跡は、土台部分を残すのみとなっているドミティアヌス神殿(11代ローマ皇帝を祀った神殿)のようだね。
 その隣には「ポリオの泉」が、そして反対側には<入口のエゴラ付近>という題名をつけた写真にうつっている遺跡は、当時世界最大の浴場だった「ヴァリウスの浴場跡」のようだ。
<Mugiko>
 ところが、この神殿は、「ドミティアヌス神殿」ではないみたいよ。
 この遺跡は、パジリカという建築様式のひとつで、中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を側廊によって取り囲むもの(ウキペディア)だと思うわ。
 {パジリカは、身廊と側廊は列柱によって分けられる」というから2本の柱は、その列柱じゃないかしら?
 それに、ドミティアヌス神殿は、入口付近よりもっと先にあるみたいだわ。

 <本日の記事はこれにて終了です。次回は、エフェソス古代遺跡2として遺跡の続きをお伝えします。それではこれにて!>

トルコ一周とカッパドキアの旅<クサダシの朝とエフェソス古代遺跡>

2019年04月24日 | 旅行記
 今日は「トルコ一周とカッパドキアの旅(2010.10.10~30)」からクサダシの朝(10.24)の模様をお伝えします。

 ◆ クサダシの朝とエフェソス古代遺跡

<Mugio>
 おはよう!昨日の夜は楽しかったね。
<Mugiko>
 そうね。皆さんと親しくお話ができて、旅の楽しみが膨らんできた感じだわ。
 今日はモーニングーコールが7時30分で、朝食は30分早い7時00分からだから、ロビー集合・出発が9時00分となっているけれど、添乗員のS子さんから電話がある前に起きてしまったわ。

 <クサダシの朝>


<Mugio>
 分かった。速いもので挙は旅行7日目、お天気も私たちを歓迎するように「トルコ晴れ」のような感じだね。
<Mugiko>
 昨日はホテルの部屋からエーゲ海に沈む夕日を楽しみ、さらに、夕食後にはホテルのプールサイドでクサダシの夜景が見られたので、本当にラッキーだったわ。
<Mugio>
 そうだね。さあ、今日も良い旅ができそうだ。
 早速、慣れてきたトルコの朝食に行こうか!たまにはご飯と味噌汁が欲しいけれど・・・・・。

 <クサダシの朝食>


<Mugiko>
 トルコはどこに行っても彩り豊かな野菜が豊富ね。
<Mugio>
 そうだね。
 ところで、今日は午前中が「エフェソスの古代遺跡」、午後から「聖母マリアの家」を訪ねることになっているが、どんなところなんだろうね?
<Mugiko>
 古代文明が好きな人には、たまらなく魅力的なところのようね。
 ところで、見る順序が逆になったみたいよ。

 ◆ 聖母マリア教会

<Mugio>
 ということで、ホテルを9時00分に出発して、先に聖母マリア教会に向かいました。
 なぜ、聖母マリア教会を先に見学することにしたのか分からないが、聖母マリア教会は、エフェソス古代遺跡に隣接しているらしいよ。
<Mugiko>
 ホテルから30分ほど走ると、古代都市エフェソスへの起点となる町セルチェク(SELCUR)に入ったわ。この町を通り抜けてくねくね曲がる山道を登ると、谷間にエフェソス遺跡が見えてきて、その先の山頂付近に近づくと鬱蒼とした樹木に囲まれた「聖母マリア教会」があるらしいわ。
<Mugio>
 本当だ!樹木が多く、まるで別荘地のようだね。
 聖母マリア教会は、キリストが磔刑になった後、聖母マリアがエフェソスで過ごしたという家のことのようだね。

 <教会手前の郵便局>


 <洗礼のためのプール>


<Mugiko>
 私たちは訪問しなかったけれど、近くに聖ヨハネ教会があるようで、聖ヨハネが聖母マリアを連れてエフェソスを訪れたということのようね。
 この聖母マリア教会は、その存在が初めから知られていたわけではなく、19世紀に神の啓示を受けたというドイツ人修道女が語ったことにより発見されたらしいわ。
<Mugio>
 ということは、ここが正式にキリスト教徒の聖地としてバチカンに認められた、ということになるのかな?

 <聖母マリア教会>


 <同じく>


 <聖母マリアの像>


<Mugiko>
 そうらしいわ。毎年、バチカンの代表者が参拝するほか、歴代のローマ法王も巡礼にきているということのようね。
<Mugio>
 教会の中に入ると、礼拝所には聖マリア像が置かれ、壁にも聖母マリアが描かれ、ローマ法から送られたというネックレスなどが置かれているはずだけれど、撮影禁止になっていた!
<Mugiko>
 何だか威張っているように聞こえるけれど、中から出て下ったところには聖水が湧いていて、先を争うように水を手にとって頭や身体に振りかけていたでしょう!
<Mugio>
 そうだったかな?日本ではお参りする前に水で手を清めるので、まるで日本の初詣でのような話だね。

 <大量のおみくじ>


<Mugiko>
 ところで、入口付近に郵便局があるけれど、どうしてここにあるのかしら?
 それに、日本のおみくじのようなものを下げる場所まであって、何か願いでも書いてあるのかしら?
<Mugio>
 郵便局の方は、ここから手紙を出すと、聖母マリアのスタンプを押してくれるということだから、記念になるということだろうね。
 石垣にぶら下がっていた「おみくじ」は、日本と同じように願掛けをしているかもしれないね?


 <本日の記事はここまでとします。次は、「エフェソス古代遺跡」です。ではまた!>