我が家では毎年、近くの寺に初もうでに出かけていますが、祈願する際に般若心経をお坊さんといっしょに読み上げています。
般若心経に何が書いてあるのか分かりませんが、お坊さんの声と太鼓の音に合わせて大きな声で般若心経の文字を読んでいますと、何だかほっとします。
その時には「いつかは般若心経の本でも読んでみよう!」と思うのですが、しばらく時間が過ぎますとすっかり忘れてしまいます。
ところが、先日、近所の本屋に行きましたら、般若心経のことを書いた本が目に留まったものですから、頭の片隅にあった「本を読みたい」という気持ちを思い出しました。
その本は、「超訳 般若心経“すべて”の悩みが小さく見えてくる」というもので、三笠書房から出版されています。
本をパラパラめくって軽く読んでみたのですが、「うん、これは分かりやすい!」と感じたのです。そして、文庫本ですから値段も571円(税別)とお安いのです。
著者は境野勝悟(さかいの・かつのり)さんという方で、円覚寺龍隠庵会首をされているそうです。
さて、この本の中身ですが、それは、最初のページの「はじめ」に言い表されていると感じましたので、その文章を引用します。
たった二百六十二字に凝縮された”仏教の真髄”
たくさんのお経を読まなくて、いい。
般若心経が、よくわかれば、あったいう間に、仏教の真髄が、つかめる。
幸いなことに、般若心経は、たった二百六十二文字。とても短い。
が、ここに書かれている生きた知恵を、チョットひねり出し、うまく自分のものにすると、すごくつらい環境にありながらも、とても楽しい生き方に、ふと、目覚めることができる。
ずーっと前から、観音さまや仏さまは、人以外の尊いお方だと、勘違いしていたが、実は、観音さまや仏さまは、人そのものであった。
この真実を知ったとき、わたしは、胸が、ぎゅっと、ひきしまった。
空海も白隠禅師も、「即身是仏」。
つまり、わたしたち人間の身心の中に仏が存在している、と、般若心経は、声高らかに、ハッキリいい切っている。
般若心経は、ごく普通の生活をしているわたしたちに、やさしく寄りそってくれる。座禅が組めなくてもいい。きびしい戒律を守れなくてもいい。あなたは、いまのあなたのままで、深く悟ることができる・・・・・と。
まことに型破りな教えである。
仏像に恋をする仏像ラブ。コケの庭を眺め、ひたすら打ちこむ写経。
そんなムードから一歩踏みこんで、般若心経の意義を発見したら、まさに、鬼に金棒だ。
というものですが、これを読んでどのように感じますか?
般若心経の意義を発見したら、普通の生活をしている私たちにも仏が存在していることが気づく、ということでしょうか?
そして、次のページに般若心経全文の現代語訳があり、あの呪文のような漢字の意味を解説しています。
最初だけ、申し上げますと次のようです。
仏説魔訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅
蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄
<現代語訳>
あなたが、苦しみや悩みから解放されて、安らかで幸福な毎日を送りたいなら、般若心経にあるすごく簡単な修行をすれば、いい。だんだん修行が深まると、なぁんだ、頭の中に記憶された善と悪の考えは、もとは、一切なかったんだ、と頭の中をカッラと空っぽにすることができる。
「五蘊は皆空」だ。頭に集まったゴチャゴチャの記憶を空にせよ・・・・・ということだ。
となっています。
ところで、小生がおもしろい!と感じたのは、この262文字の現代語訳の次に出てくる第1章から第6章の人生の教訓みたいな解説文です。
例えば、第1章の「こだわらない」そして、自由になるの「1 観 価値観のはかなさを注視せよ」では、「◎「正しいか」「正しくないか」にとらわれない」という副題がついています。
その中身は、最後に書いてある部分でしょうか?
「時に、人間が命がけで固執する考えや価値観のむなしさを注視せよ。そのはかなさを「観」破れ!たかが「正しい」「正しくない」という考えが違っているだけで起こる世間の悲惨な姿を「観」破れ!
小生なども自分の価値観に固執する方でしたから、「なるほどな!」と感心したものです。
このように、この本は、小生にとっては、まことに面白い本だと思いました。
今日の巻頭写真は、オランダのキューケンホフ公園です。
般若心経に何が書いてあるのか分かりませんが、お坊さんの声と太鼓の音に合わせて大きな声で般若心経の文字を読んでいますと、何だかほっとします。
その時には「いつかは般若心経の本でも読んでみよう!」と思うのですが、しばらく時間が過ぎますとすっかり忘れてしまいます。
ところが、先日、近所の本屋に行きましたら、般若心経のことを書いた本が目に留まったものですから、頭の片隅にあった「本を読みたい」という気持ちを思い出しました。
その本は、「超訳 般若心経“すべて”の悩みが小さく見えてくる」というもので、三笠書房から出版されています。
本をパラパラめくって軽く読んでみたのですが、「うん、これは分かりやすい!」と感じたのです。そして、文庫本ですから値段も571円(税別)とお安いのです。
著者は境野勝悟(さかいの・かつのり)さんという方で、円覚寺龍隠庵会首をされているそうです。
さて、この本の中身ですが、それは、最初のページの「はじめ」に言い表されていると感じましたので、その文章を引用します。
たった二百六十二字に凝縮された”仏教の真髄”
たくさんのお経を読まなくて、いい。
般若心経が、よくわかれば、あったいう間に、仏教の真髄が、つかめる。
幸いなことに、般若心経は、たった二百六十二文字。とても短い。
が、ここに書かれている生きた知恵を、チョットひねり出し、うまく自分のものにすると、すごくつらい環境にありながらも、とても楽しい生き方に、ふと、目覚めることができる。
ずーっと前から、観音さまや仏さまは、人以外の尊いお方だと、勘違いしていたが、実は、観音さまや仏さまは、人そのものであった。
この真実を知ったとき、わたしは、胸が、ぎゅっと、ひきしまった。
空海も白隠禅師も、「即身是仏」。
つまり、わたしたち人間の身心の中に仏が存在している、と、般若心経は、声高らかに、ハッキリいい切っている。
般若心経は、ごく普通の生活をしているわたしたちに、やさしく寄りそってくれる。座禅が組めなくてもいい。きびしい戒律を守れなくてもいい。あなたは、いまのあなたのままで、深く悟ることができる・・・・・と。
まことに型破りな教えである。
仏像に恋をする仏像ラブ。コケの庭を眺め、ひたすら打ちこむ写経。
そんなムードから一歩踏みこんで、般若心経の意義を発見したら、まさに、鬼に金棒だ。
というものですが、これを読んでどのように感じますか?
般若心経の意義を発見したら、普通の生活をしている私たちにも仏が存在していることが気づく、ということでしょうか?
そして、次のページに般若心経全文の現代語訳があり、あの呪文のような漢字の意味を解説しています。
最初だけ、申し上げますと次のようです。
仏説魔訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅
蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄
<現代語訳>
あなたが、苦しみや悩みから解放されて、安らかで幸福な毎日を送りたいなら、般若心経にあるすごく簡単な修行をすれば、いい。だんだん修行が深まると、なぁんだ、頭の中に記憶された善と悪の考えは、もとは、一切なかったんだ、と頭の中をカッラと空っぽにすることができる。
「五蘊は皆空」だ。頭に集まったゴチャゴチャの記憶を空にせよ・・・・・ということだ。
となっています。
ところで、小生がおもしろい!と感じたのは、この262文字の現代語訳の次に出てくる第1章から第6章の人生の教訓みたいな解説文です。
例えば、第1章の「こだわらない」そして、自由になるの「1 観 価値観のはかなさを注視せよ」では、「◎「正しいか」「正しくないか」にとらわれない」という副題がついています。
その中身は、最後に書いてある部分でしょうか?
「時に、人間が命がけで固執する考えや価値観のむなしさを注視せよ。そのはかなさを「観」破れ!たかが「正しい」「正しくない」という考えが違っているだけで起こる世間の悲惨な姿を「観」破れ!
小生なども自分の価値観に固執する方でしたから、「なるほどな!」と感心したものです。
このように、この本は、小生にとっては、まことに面白い本だと思いました。
今日の巻頭写真は、オランダのキューケンホフ公園です。
久々にお邪魔しました。
般若心経を覚えようと思ったのですが、挫折しました。
覚えることが大事ではなく、中身を知ることが大事なのですよね。
お話にありましたように、般若心経を覚えるのは難しいと思いますので、小生は、せめて何が書いてあるのかを理解したいと思っていました。
しかし、この本の最後「107般若の世界」というところを読みますと、それも必要ないようです。
「般若心経は、その時、鈴虫とか松虫とか、谷川のせせらぎを聞いているのと、まったく同じ感化力をもって、心の安らぎを支えるハミングとなる。意味の力ではない。自然音となって響きわたって、抜苦や与楽の慈悲の妙音となる。」
と書いているからです。
それでも、小生は、意味を知りたいのですが・・・・