mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

中欧ロマン紀行<ウィーンのホテルの事件?>

2018年09月30日 | 旅行記
 昨日に続き、スロバキアのブラチスラバからオーストリアのウィーンに向かうところの話を申し上げます。

 まずは、ウィーンのホテルシェーブルンの様子をご覧ください。

 <ホテル シェーブルン>


 <細長い間取りの部屋>


 ホテルに到着後、夕食までに時間があるので、一休みしてから二人でシェーブルン宮殿を見に行くことにしたのですが、ホテルのすぐそばだと思っていた距離が意外と遠くて、おまけに人通りが少ないこともあり、怖くなって途中で引き返してしまいました。
 だらしないね!

 さて、このホテル、ロビーがウナギの寝床みたいだと思っていたら、階段の奥に広々とした待合室がありました。
 そこで、Hさんから部屋番号、モーニングコール、朝食時間と場所、集合時間などの説明を受けた後、それぞれの部屋に直行しました。
 ところが、彼がエライコト、!どこまで続く迷路路(めいろじと呼んでね。)ぞ!なかなか部屋に行き着きません。別館という話であるが、こちらの方が古そうである。

 やっとの思いで部屋に着いたら、今度はドアが開かない。
 普通のキーだから廻せば良いはずだけれど、いくら廻しても開かない!
 まいったね、これには。

 しかし、この部屋には何かあるのか?「風呂場で危うくあの世行き事件」や「水浸し引越事件」があったのです。
 ところで、ホテルの外のレストランでいただいた夕食の「子羊のカツレツ」は。美味しかったのですが、その後の記憶が曖昧で、「風呂場で危うくあの世行き事件」が食後なのか前なのか思い出せない。

 でも、この日に「風呂場で危うくあの世行き事件」が起こったことは間違いないが、このホテルは、迷路の割には部屋が広い。といっても、部屋もウナギの寝床みたいに細長い。そして、最大の特徴がトイレとバスルームが別になっていることである。
 「うん、これは良い!」と思っておもむろに風呂に入るが、仰向けに寝ないとお湯が身体全体に行き渡らない。
 不便だな!と思いながら、備え付けの石けんで身体を洗い、頭にシャワーを使いながら石けんを所定の位置に戻そうとしたら、サー大変。
 片足が滑ってバランスを失う。
 湯船に転倒か?と覚悟したら、なんと!我が身体は、湯船の縁に後ろ向きに倒れて行くではないか!
 そこから湯船を乗り越えて頭から床に直撃か?と思ったら、重いお尻のお陰で尾てい骨あたりが床に当たり、大音響とともに尻餅をついてしまう。
 痛みをこらえながら、何とか起きようとするが、身体が動いてくれない。

 その音を聞きつけたかみさん、大きな声で驚きと心配の言葉を発するが、小生は、大事なところを抱えて懸命に起きようとする。
 笑いたいけれど、痛みが邪魔をして笑うに笑えない一幕でした。
 幸い、脳血管系の病で倒れたのではないことが判明し、かみさんも一安心。
 以上が事件の内容ですが、くだらない?そうですね。

 それにしても、ヨーロッパのお風呂とトイレは使いづらいよね。


 
 <以上が本日の記事です。次回はウィーン市内観光をお伝えします。それでは、これにて失礼します。>
 


中欧ロマン紀行<ブラチスラバ観光>

2018年09月29日 | 旅行記
 本日は、ウズラの顔を見たくない!に続き中欧ロマン紀行をお伝えします。

<旅行3日目 ブラチスラバ観光>

 翌日、朝食を恐る恐る食べに行くと、これが普通のバイキング(ばい菌じゃないよ)、帰国してから考えると、朝食はウィーンが一番ひどかったね。
 なにしろ、パンやハム、それにソーセージ以外は何もない。
 ウィーンじゃなくて「ウゥーン」だね。まぁ、それは後日のことですが・・・

 さて、こうして朝方を過ごしていますと、出発時刻には予定通りバスが迎えに来ました。
 スロバキアの通貨は「コルナ」である。そういう名前の車(コロナ?)もありますが、両替しないようにといわれたよね。
 ああ、肩がコルナ。

 ブラチスラバ城、聖マルチン教会、聖エリザベス教会などを見学しましたが、撮影した教会がどの教会なのか分からず、帰国してから苦労しました。
 まず、ブラチスラバ城をご覧ください。

 <ブラチスラバ城>


 <同じくブラチスラバ城>


 (中欧ロマン紀行では、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアの4カ国を実質5日間で巡るものでしたから、ゆっくりできませんでした。
 だから、撮影している時間がなかった?のか手元に良い写真が残っていませんので、ご容赦いただきたいと思います。)

 <現地ガイドとの打ち合わせ?>


 <聖エリザベス教会>


 上の写真は、怖そうなおじさんが待っていて、打ち合わせをしているようですが、良く分かりません。
 聖エリザベス教会は、学校の隣にあったかわいらしい水色の教会でしたから良く覚えています。

 ここから、しばらく旧市街地を歩きますと、その途中に道路に面白い銅像があったり、名物の「わら人形」を販売している店などがありました。
 小雨が降っていてお天気は良くありませんでしたが、これらの店を見ながら「ゆったり」流れるような時を過ごしました。

 <旧市街地をゆったりと歩く>


 <おかしな像>


 <同じく遊び心満点の像>


 小雨が降っているためでしょうか?街は静かで落ち着いているという印象ですが、やはり、ここもヨーロッパですね。
 長い歴史と文化を感じさせる街並みでした。

 さて、この日は午後からウィーンへ戻ることになりますが、その間、63㎞、何が待っているのかと思いましたら、添乗員のHさんがとんでもないことを言い出しました。
 曰く「実はお客さんの中で、本日が誕生日の方がいます。Mさんです。皆さん!ハピー・バースディの歌をうたってお祝いしましょう!」
 イヤー、まいったね。
 Mさんとは小生のことである。
 恥ずかしいがうれしくもある。
 みんなで合唱して、その後に挨拶、おまけに記念のワインとカードをいただいてしまった。
 Hさんの気配り、人柄に感謝するのみである。

 さて、ヨーロッパには国境がないと思っていたら、EUに加盟していない旧共産圏の国々との間には、ちゃんと関所がありました。
 怖いポリスマンみたいなおじさんがバスに乗り込んできて、パスポートの写真と本人を見比べながら、確認しています。
 ブタベストからブラチスラバに行くときも同じでした。

 この検問所でヨーロッパの統一通貨であるユーロと我が愛する万札を両替したよね。
 それにしても、1ユーロ135円ぐらいで、万札も頼りない限りですね。

 ウィーンのホテルシェーブルンに着いたのは、夕方でした。


 <以上で、本日の記事は終了します。次回は、ウィーンのシェーブルン宮殿観光などについてお伝えします。それでは、またお目にかかりましょう!>
 

中欧ロマン紀行<ハンガリーのブタベスト観光>

2018年09月25日 | 旅行記
 昨日に引き続き中欧ロマン紀行の2日目に訪れましたブタペスト観光からお伝えします。

 次の写真は、ホテルの部屋から早朝に撮影したブタベストであるが、ホテルが郊外にあるためか、朝が早すぎるのか、人や車の量が少ない。

 <朝靄のブタベスト市内>


 ホテルの朝食は慎ましやかであるが、野菜や果物もあり、まぁ、こんなものか?
 ロビーに8時50分に集合し、ブタベスト市内観光へ50人乗りぐらいの大型バスで向かうが、天気は曇り、それほど寒くはない。
 マーチャーシー教会、英雄広場、ゲルトの丘、漁夫の砦などを見学する。
 
 次の写真は、漁夫の砦と英雄広場である。
 特に、漁夫の砦は、高台にあり、その美しさは格別である。

 <漁夫の砦>


 <英雄広場>


 ハンガリーは共産圏であったので、その首都であるブタベストに見るべきところはないと思っていたが、認識不足である。
 その歴史、街並みの美しさ、人々のまじめさ、本当に良い国だよ!ブタベストに敬意を表して乾杯!といいたいところである。

 そのブタベスト(ブタがペストにかかっている訳ではありません。ストではなく、ストです!)は、ドナウ川を挟んで、ブタ地区とベスト地区に分かれているそうです。
 ところで、かみさんは、この砦でデッサン画を買い求めていました。
 「好きだよね!かみさんは。」
 ところで、ツアーご一行さんの最初にして最後の集合写真もここで撮影したが、行方不明になっています。

 <バスから見えたブタベスト市内>


 <朝霧に遮られた?!>


 <漁夫の砦から市外地を見下ろす、HPには掲載していません!>


 ハンガリー民族は、もともとは遊牧民で、アジアのモンゴル人と同じような生活スタイルをしていたと聞いたが、早い話が他のヨーロッパの人々とは生活スタイルが違う!ということなのかな?

 名前も姓を先にし、名を後にするそうだから、まるで日本人みたいだね。
 現地の添乗員さんは、流ちょうな日本語だと思ったら、旦那さんが日本人だって。
 半日しか滞在できないのが、とても残念なブタベストでした。

 ところで、午後からはバスで200㎞のところにあるスロバキアの首都ブラチスラバに向かうが、昼ご飯は、どこで何をいただいたのかな?
 パンフには、名物の「グヤーシュ」と「ハンガリー風スープ」とあるから、ブタベストでいただいたことは間違いないが、どうも思い出せない。
 ジャガイモ料理だったかな?旅の楽しみを忘れるようでは、小生も修行が足りないね。
 場所は、「ああ、またここに来た!」という記憶があるので、パプリカ、刺繍、フォアグラなどを販売している土産やの近くであることは、間違いないと思う。

 <ブタベストのお土産や 旅路>


 さて、午後からバスでブラチスラバに向かったのであるが、移動時間を利用して自己紹介することになった。
 ここで、16人のうち、我が家を入れて7人(3組)が埼玉県から参加したということが判明した次第である。

 ところで、スロバキアは、1993年にチェコスロバキアから独立した国だそうですが、知ってましたか?
 ツアーでこの国に立ち寄るのは珍しいと添乗員のHさんが説明していました。
 舌をかみそうな名前のブラチスラバですが、ここに夜、到着したものだから、さて、どんな夕食が出るのか?と、どきどき胸をときめかしていたら「何もなし!」だって、そりゃないぜ!
 話が見えない?説明しましょう!
 ブラチスラバのホテルは、観光地である旧市街から離れているアメリカ風の「ホリディ イン」である。
 この名前、世界中にあるような気がするのは小生の勘違いでしょうか?
 だから、ホテルのレストランは、おいしさ満点と誰もが思っていました。

 ところが、である。何と今日は休みであるというのである。
 これには、Hさん大慌て、食事の方法を伝授する。

 一つ目は、歩いて数分のところにコンビニがあるから、そこでサンドイッチでも買ってきて。

 二つ目は、旧市街地にレストランがあるから、ここからタクシーでどうぞ。

 三つ目は、このホテルと交渉した結果、レストラン風の飲み屋さんみたいな店で食事を出してくれる。
 ただし、メニューは3つしかないよ。

 サー、お好きなものをどうぞ、となるが、どれが良いのか判断がつかず、困ってしまった。

 最初はコンビニが良いかな?と思っていたが、どなたも行かない様子に断念することにした。
 これが悪かった。
 親子連れの3人と年配の夫婦にあわせて「ホテルコース」を選んでしまったから、サァー大変(ドジョウが出てきて、こんにちは!ではありませんよ。)。

 メインディッシュが3種類、一に「七面鳥」、二に日本では卵しか食べたことがない「ウズラ」、三が「サーモンのステーキ」である。

 これだけ聞くと何が大変なのか分からないが、その大きさ、その美味しさ、「オウマイゴッド」である。
 小生など、もう、ウズラの顔も見たくない!(ウズラの顔を見たことはないよ!)
 これも旅の楽しさですよ。



 <以上ので本日の記事は終了です。次回は、ブラチスラバ観光の模様をお伝えします。それでは、また!>
 
 


中欧ロマン紀行<紀行に参加して>

2018年09月24日 | 旅行記
 このブログに次の旅行記をどこにしようかな?と迷ったのですが、ちょっぴり古い「中欧ロマン紀行」にしました。
 この旅は、2003年12月27日から翌年の1月3日までの8日間にわたってオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアを訪問した旅です。
 まず、タイトルにある感想文みたいな文章をご覧ください。

 ■ 中欧ロマン紀行に参加して

 2003年12月27日から2004年1月3日までの8日間、かみさんと二人で昨年のイタリア旅行に続き夢のヨーロッパ旅行に出かけた。
 ちょっと人気がなさそうなコースで心配であったが、かみさんの強い希望でこのコースを選び大正解であった。
 この旅行記は、出発からの軌跡をたどって写真と一緒に記録しておくことである。
 うまく、記憶がよみがえるか不安であるが、まぁ、何とかなるでしょう!

<旅行1日目(我が家から成田空港、ウィーン、ブタペストへ)>
 朝、五十肩の痛みで目が覚める。
 昨日は、5時起床、6時出発と予定をたてていたが、外が妙に明るい。
 もしや雪では?!と思ったが、その通りで激しい降り方である。
 でも、道路を見ると、わずかに積もっている程度であり、車で成田空港に行くことに不安はなく再び寝てしまう。

 肩の痛みと時刻が気になったのか?再び目が覚めると、一面、銀世界である。
 かみさんが車で行くことに反対するな!と思いながら小生も迷っている。
 外に出てみると、ミカンの木が雪の重みで垂れ下がるなど、かなり雪が積もっていることを確認するが、なおも道路の状況を未練がましく確認する。
 かみさんと話し合い、車では無理だと思い、電車で行くことにするが、時間が気になり、京成上野駅に電話したり、パソコンで時刻表を確認したり大慌てである。

 それでも、日暮里駅で予定のスカイライナーに乗ることができ、成田空港に8時30分ごろ到着する。
 集合時刻が9時25分であるので、指定のDカウンターに荷物を置いて2階のレストランに朝食を食べに行く。
 あまり美味しくないのに、やたらに高いそばをいただく。

 受付が始まり、添乗員のHさんと初対面。受付と軽い説明の後、スーツケースを航空会社のカウンターに持って行く。
 その後、参加者16名が全員集合し、Hさんの説明を受ける。
 ツアーのメンバーはどのような人々であろうか?と気になるが、老若男女混合である。
 添乗員のHさんは、ベテランの中年女性という感じであるが、この人、風邪気味なのか?咳をしていて、体調不良ではないのかと心配になる。

 イラク関連で出国手続きが厳しいと聞いていたが、いつもと変わらないと思う。
 飛行機は、オーストリアとANAの共同運行便とのことであるが、実質はオースラリア航空の運行で、2人の日本人スタッフが乗っている。
 
 これから、12時間から13時間という長いフライトが始まり、トイレや食事、飲み物などが日本式ではないのかなどと考えていたら、飛行機は北に向かって飛んでいるいるではないか!
 ロシアのウラジオストックあたりから西進し、下界は一面の銀世界である。

 最初の食事は、日本風で食べやすい。お客の多くが日本人?だからであろうか?
 幸い、二人の席は、一番後ろの二人用の席でトイレにもスムーズに行くことができた。

 そうこうしているうちに、無事、オーストリアのウィーンに到着するが、ここからが大変である。
 ハンガリーのブタベストに行くため乗り換えるのであるが、その待ち時間がなんと!5時間である。

 空港内の免税店巡りで時間を潰すしかないが、かみさんは有名なチョコレートを買いに、小生はたばこが吸える場所探しである。
 ここで、かみさんの渋い顔を押しきって、1万円札をユーロに両替するが、これが後で大いに役に立つことになる。
 ウィーンの空港は、成田空港のような人混みではなく、きわめて静かで落ち着いている。

 <ウィーンの空港にて>


 こうして暇つぶしをして、やっとウィーンからブタペストに行く飛行機に乗ったが、フライト時間は1時間ぐらいであったろうか。
 この飛行機は、プロペラ機でCAさんも客商売に慣れていないのか?愛想のないこと!、チョコレートやミネラルウオーターなどのサービスがあったが、「くれてやる!」という雰囲気である。

 現地時間は、日本よりも8時間遅れているが、成田空港を出発してから19時間から20時間がかかって、やっとブタペストに到着したのである。
 空港では、現地の女性ガイドさんが迎えに来ていたが、「是非、ブタベストの夜景を見学して欲しい。」ということで、寒いけれども、「国会議事堂」や「くさり橋」などを見学することができた。
 ブタベストの夜景は、実に美しく、幻想的でさえあった。

 <幻想的なくさり橋>


 <同じくブタベストの夜>


 この写真は、ライオンの像で有名な「くさり橋」であるが、海外旅行には、いつも亡き母を連れて行った。
 このような光景を是非、見せたいと思ったが、亡くなってからは、母の写真を持って行っている。
 今回も、かみさんの配慮で同行する。
 85才まで海外旅行に行ったのだから、天国では笑っていると思う。
 かみさんの配慮に厚く厚く感謝するのみである。

 その後、ホテルに到着したが、規模の小さいホテルのようである。
 待合のロビーで添乗員のHさんから翌日の説明や、電話のかけ方などの説明を受け、鍵を受け取り、部屋に向かう。

 部屋は間取りが小さいが、「こんなものでしょう!」と納得。
 それにしても、ベッドがシングルで小さい。
 かみさんが夜中に落ちないか心配である。寝相が悪い小生のが落ちる?
 それと、バスルームには化粧品などなく、タオルしか置いていない。
 明日が早いので、早く寝ようとしたが、時間が良く分からない。
 
 国際電話をして、親戚に電話してみると、案の定、ビックリしている。
 無事、到着の知らせを入れて、料金が心配なので早めに切ってしまう。

 小生は、五十肩の痛みで時々、目が覚めるが、かみさんは、良く寝ているようである。


 <本日の記事は、これにて終了です。次回は、ハンガリーのブダペスト観光です。それではまた。>
 
 
 

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<最終回:ウィーン市内観光>

2018年09月21日 | 旅行記
 長らくお伝えしてきました旧ユーゴスラビア4カ国の旅も本日の記事で終了です。

<Mugiko>
 今日(2010年6月2日、旅行11日目)は午前中にウィーン市内を観光して無宇高に向かって帰国の予定になっているのね。
 予定が沢山入っていて大変だけれど、決められた時間はきっちりと守りましょうね。
 昨日、Aさんから説明があった出発までの予定は、モーニングコールが6時00分、荷物回収が7時00分、朝食がE階で7時15分から、ロビー集合・出発が8時00分となってるわ。
<Mugio>
 もう帰国か!早いものだね。それでは、早速、「ウィーンの朝」をレポートしたいところだけれど、昨日、君がホテルの感想みないなことをいってしまったので、僕からは何もないな。肝心な朝食の撮影もしていなかったよ。 
<Mugiko>
 それじゃ、出発!といきましょうか。
<Mugio>
 お天気は小雨で「今日はどうかな?」などと考えながら集合時間の8時前にバスに乗って待っていたら、メンバーの何人かが8時を過ぎても集合してこないという事態なっちゃったので、「「何があったのか?」と「はらはら」しながら待っていました。
 なぜ、「はらはら」したのかといえば、シェーンブルン宮殿の入場時刻が決められたいて、その時刻を過ぎると「キャンセル」されてしまうということだったからね。
<Mugiko>
 結局、15分ぐらいの遅刻だったけれど、エレベーターが込んでいて乗れなかった、ということのようね。 
<Mugio>
 エレベータが混んだ原因が中国の修学旅行生が大勢いて乗れなかったという話だから、このホテルのグレードがあまり良くないということだね。
 階段を使うということも考えられるけれど、どこに階段があるのか分かりづらい建物だったね。
 火事などの緊急の事態を考えれば、非常口や階段の位置なども確認しておくべきだったとは思うけれどね。
<Mugiko>
 でも、現地ガイドの「せいこ」さんの賢明な努力もあって、キャンセル扱いにならず、何とか宮殿を見学できたのだから良かったわ。

 <シェーンブルン宮殿>


 <同じく宮殿の右方向>


<Mugio>
 僕たちがシェーンブルン宮殿を見学するのは3回目だから、特にコメントすることはないと思うけれど、何か言いたいことは?
<Mugiko> 
 1回目は、2003年12月27日から2004年1月3日までの期間で旅した「中欧ロマン紀行」というツアーで宮殿を見学したのよね。
 その旅行記では、この宮殿が金色に輝いているとか、マリア・テレジアが改築したなどという説明をしていて、文面からあなたの感激ぶりが伝わってくるわ。
<Mugio>
 2回目が、2005年7月30日から8月6日までの期間で見学した「オーストリア大周遊」というツアーでこの宮殿を訪問したよね。この旅行記では、ウィーンとハプスブルク家の説明、宮殿愛撫の部屋の歴史などを説明したね。
<Mugiko>
 今回の旅でも宮殿の内部を見学したけれど、撮影禁止になっていたので、あの煌びやかな部屋の数々を撮影できなかったのが心残りね。
<Mugio>
 宮殿の中を約1時間見学して、10時ぐらいから正面で記念撮影したり、宮殿の周りにある庭園を覗いたりして宮殿を後にしました。

 <宮殿の正面にて?>


 <庭園の草花>


 <宮殿の裏側>


 <同じく裏側>


<Mugiko>
 宮殿の見学が終了すると、王宮などがあるウィーン中心部に向かったわ。
<Mugio>
 帰国便の出発に間に合わせるためとはいえ、忙しくて参ったね!
<Mugiko>
 本当にそうだわね。王宮と自然史博物館、美術史美術館を外から大急ぎで見学して「さようなら!」とい感じね。
<Mugio>
 旅行社としては、ちょっこと見せて「ウィーンに、もう一度どうぞ!」ということかな?

 <自然史博物館>


 <美術史美術館>


 <王宮の入口>


 <王宮の裏側>


<Mugiko>
 その意味では、私たちも自然史博物館を見ていないから「いつかは行きたいな!」という気持ちが沸いてきたので、良い企画だったのかも知れないわね。
<Mugio>
 これらの建物なdの内容については、オーストリア大周遊の旅行記で詳しく説明しているので、省力するね。
<Mugiko>
 この後、私たちは、ウィーン発13時55分のOSー0051便で成田空港に向かいました。
 明日(6月3日)の8時05分に到着です。

 <以上で、旧ユーゴスラビア4カ国の旅の旅行記は終了です。次に、この旅の編集後記みたいな雑感を掲載します。>


<編集後記>
 12日間という長い期間の旅行は初めてでしたから、多少、不安はあったのですが、見るも聞くものが新鮮で楽しい旅行ができました。
 旧ユーゴスラビアは、ヨーロッパの火薬庫などいう話を聞いていましたので、「どうかな?」と思っていたのですが、これまた杞憂に終わりました。
 旧ユーゴスラビアの国々は、ごく大雑把にわかりやすく言いますと、「イタリアの東側に位置する」ということになりますが、これから旅行先として益々魅力が増していくと感じました。
 特に、ドヴロブニクとプリトヴィツェ湖畔国立公園は、期待以上の素晴らしい景色が待っていました。

 また、この二つ以外の街々も歴史・文化が香る中で美しい景観に恵まれていて、「こんなところがあるのか!」と感嘆したものです。
 そして、第一次世界大戦の引き金となった事件現場を訪問したり、内戦の傷痕と復興を目のあたりにするなど、人間のありようや歴史の重さを勉強させていただいた重いです。

 ところで、いつの旅でも、私たちから「どの国のどこが良かったのか?」などという質問をし、また、逆に同様の質問されたりすることがあるのですが、今回の旅では、プリトヴィツェ湖畔国立公園が他の観光地などと違い「感動に慣れない」というか、「何度見ても感動する」という思いが残りましたので、この旅のハイライトは、プリトヴィツェ湖畔国立公園であると思いました。

 このように見るもの聞くものが新鮮なクロアチアをはじめとする旧ユーゴスラビアへの旅は、皆様に是非、おすすめしたい旅先だと感じたものです。
 
 最後に、この旅では添乗員のAさんに大変お世話になりました。
 また、この旅で親しく接していただいたツアー参加者の皆さま、本当にありがとうございました。
 厚く厚く感謝申し上げます。


 海外旅行を愛する皆様へ

                                              2016年1月28日 
                                              Mugifumi