昨日は、スロバキアのことを報告しましたが、その中で、チェコとスロバキアが連邦を解体し、2つの国家が誕生した話をしました。
このことをビロード離婚、というそうです。チェコスロバキアの社会主義政権が倒れて民主化が達成された時に、流血を免れたことから「滑らかな布」のような革命という意味で、「ビロード革命」と言ったそうです。
チェコとスロバキアが離婚する際にも流血騒ぎがなかったことから、連邦を解消して、分離することを人間にたとえて「離婚」と言ったのでしょう。
もともと、一緒になりたいと思って連邦を組織した国ではなく、1992年の連邦議会で、経済改革の進め方や連邦の将来像について意見が対立し、連邦の解体になったようです。
それでも、両国の関係は、政治的にも経済的にもうまくいっているようで、特に、両国がEUに加盟してからはパスポートやビザがなくても自由に両国間を移動できるようになったそうです。
まぁ、夫婦がお互いの考え方や財布の中身を覗いて、喧嘩して別れたが、別れて相手を冷静に見たら、その立場や良さが分かってきた、と言うところでしょうか?
でも、再婚はないようですよ。
さて、次は、あの感動的な美しさの街、チェスキー・クルムロフを紹介したいと思います。
その幻想的な美しさについては、小生のホームページ「中欧4カ国の旅の(4)チェスキー・クルムロフhttp://www.geocities.jp/sinainaruike/sub7-4.html」をご覧下さい。
チェスキークルムロフは、で、お城を中心とした優れた建築物と文化財で有名なチェコの南ボヘミア州の小さな世界遺産の街であります。
街の中心部をモルダウ川という美しい流れがあったと記憶していますが、クルムロフの意味が「川の湾曲部の湿地帯」ということだそうですから、「なるほど」とうなずいたものです。
この街の歴史も複雑で、神聖ローマ帝国領ボヘミア王国の時代からオーストリア・ハンガリー帝国時代を経てチェコスロバキア領となっています。
問題は、神聖ローマ帝国時代から続いたドイツ系住民とチェコ系住民の融和が、オーストリア・ハンガリー帝国時代からおかしくなったことであります。
学校教育などでドイツ系とチェコ系を分離するなど民族主義の主張が強まり、さらに、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊するとチェコスロバキア領となったため、多数を占めていたドイツ系の住民の不満が高まったようであります。
そして、これに乗じたようにナチス・ドイツがチェスキー・クルムロフを含むボヘミアのドイツ語圏地域の併合を強行した、そうです。
さらに、第2次世界大戦で、ドイツが敗戦すると、チェスキー・クルムロフは、チェコスロバキアに復帰し、その結果、ドイツ系住民は、市民権と私有財産を没収され、故郷からの追放、という誠に無慈悲な政策が行われた結果、ドイツ人、チェコ人の共存の時代は、終わってしまったのです。
その後は、ソ連による共産党の時代に入るのですが、その話は、プラハのところでしたいと思います。
今日は、世界遺産の美しい街、チェスキー・クルムロフについてお伝えしました。