南イタリアに行ってからどのくらいの時間がたつのでしょうか?
旅行に行った後に写真や、資料を調べてみますと、観光したところが、とてつもなく素晴らしいところなんだ!とわかります。何を言ってるのか!と皆さんからお叱りを頂戴しそうですが、自覚が足りないようです。
南イタリアのポンペイの写真や資料をみていましたら、「こんなに凄いところに行ってきたのか!」と自分でも呆れています。
その反省を込めて、今日はポンペイについてお伝えしたいと思います。
ポンペイは、皆さんも学校で習ったと思いますが、西暦79年といいますから今から2000年近く前にヴェスビオス火山の大噴火によって、火山灰の下に埋まった商業都市だったそうです。
また、場所がナポリの南西25㎞といいますから、近くにはカプリ島、ソレント、アマルフィ海岸などの見所が沢山あります。
ポンペイに行きますと、東西800㍍、南北600㍍の市街地の中で、公共広場のフォロを中心としたところに案内されます。
そして、印象的なのは、荷車の轍が残る石畳の道が碁盤の目のように規則正しく続いていて、その両側に居酒屋、公衆浴場、パン屋、市場、円形劇場、闘技場、神殿などが建ち並んでいることです。
しかも、驚くことに、上下水道まで整備されていましたので、今と変わらない生活をしていたことになります。
特に、アポロの神殿、ヴェッティ邸(列柱、華麗な中庭など)、悲劇詩人の家(犬のモザイク)などが見所ということです。しかし、小生は、説明を受けているときは「ふん、ふん」などとわかったふりをしていましたが、見た場所が多くて名所を特定できない、というのが正直なところです。
また、建物だけではなく、犠牲となった住民も息絶える瞬間そのままの姿で残っており、その数、1000体と世界遺産の本にはでています。
なぜ、息絶える瞬間そのままの姿が残っているかといいますと、「固く締まった火山灰に覆われた後、肉体が朽ちてできあがった空洞に石膏を流し込み、人の形を、亡くなった状態のままに再現したもの」だからです。
でも、金網のネットで覆われた場所に、当時の小物道具などとともに人の形をした白い石膏人形のようなものが横たわっていましたが、本の説明のような「子をかばう母親」とか「かばいあう恋人」、「家族を励ます父親と一家」、「座り込む男」などの涙を誘うものばかり、というものは残念ながら見あたりませんでした。
事前に勉強して現地で説明した方に聞いてみたかったものです。
さて、ポンペイは、世界文化遺産に登録(97年)されていますが、正式には「ポンペイ、エルコラーノおよびトッレ・アヌンツィアータの遺跡地区」となっているようです。
エルコラーノは、ポンペイの西15㎞にあり、港があるローマ貴族の別荘地、高級リゾートとして栄えた街で、ポンペイと同じくヴェスビオス火山の噴火で埋もれた街です。
井戸掘りに農夫が発見した海沿いの瀟洒な街で、保存状態が良く、モザイクとフレスコ画が印象的な「鹿の家」などがあるそうです。
トッレ・アヌンツィアータも、同じく大噴火で埋まった悲運の街だそうです。ここは、ポンペイの西2、5㎞にあるネル帝の后ポッパエアの別荘があるそうです。
私たちのツアーでは、ポンペイのみ、しかも。ポンペイも半分しか見学していないのです。もったいない話ですね。
週間世界遺産(講談社)を見ますと、エルコラーノのモザイク絵や、トッレ・アヌンツィアータのフレスコ絵が色鮮やかで、ここにも是非、行ってみたいものだと思いました。