今日の新聞(朝日新聞)で気になる記事がありました。
それは、「ルポにっぽん」と題するシリーズものの記事ですが、今回は「墓じまい 涙の散骨」という見出しがついていました。
「墓じまい」とは何かな?と思ったのですが、想像通りお墓を撤去することでした。
記事のお墓を撤去した男性(80)には、父と母、次男の遺骨が入っていたそうですが、墓から遺骨を取り出して灰のようになるまで細かく砕いて、住み慣れた呉の海に散骨したそうです。
なぜ、そういうことをするのか?といえば、それは「自分の次は誰が墓を守るのか」という難問への答であるということです。
この方の場合には、東京に会社勤めをする一人息子がいるが、もう呉には戻らないと気持を確かめていて、「私の代でけじめをつけないと、子どもに迷惑をかける」と悩んでいたそうです。
そして、新聞記事で海や山に散骨して弔う「自然葬」を知り、「これなら、納得して墓じまいができる」と気持が固まった、といっています。
小生の家も、先祖代々の墓ではなく、父の代からのお墓ですから、この方と事情がよく似ています。
幼くして病気でなくなった二人の兄、父と母の4人のお墓ですが、兄弟が健在ですから、この方のように深刻に考えたことはありませんでした。
でも、よく考えて見ると、小生には子どもがいませんので、この方より深刻な状況だといえるかも知れません。
記事の最後に出てくる男性の言葉が印象的です。
「母に申し訳ない気持(母と男性がお金を出しあって、一家の墓を建てたから)と、責任を果たした気持と。複雑じゃ・・・」
驚いたことに、わが家のお墓が立派な石で建てられているのは、母がそうしたからで、この点もこの方とよく似ているのです。
新聞の最後に出てくる問題意識の言葉が印象的です。
「子孫への継承を前提とした日本の墓はいま、家族のかたちの多様性とともに岐路に立っている。」
でも、小生には散骨はできないと思います。無責任のようですが、兄弟やその子どもたちに託するよりないようです。
墓のことだけではありません。この課題は、生きてきた証と死後に備えた身辺整理をどうするのか、という重い課題をつきつけているように思えてならないです。
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