mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

福沢諭吉:現代語訳「学問のすすめ」

2010年09月23日 | 本と雑誌

 先日、福沢諭吉の「学問のすすめ」を紹介しましたが、ほんのさわりのみの紹介になってしまいました。

 そこで、今日はその初編(第1編)について報告したいと思います。

 初編の題名は「学問には目的がある」です。

 そして、最初にあの有名な言葉「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が出てきます。

 「人権の平等と学問の意義」について述べているところです。

 『「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。

  つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世を過ごしていけるようにしてくれているということだ。』

 いかがですか?この文章を読んだ感想は?小生などは、人の有り様をこれほど的確に表現している文章はない、と感心してしまいました。「天は・・・」の言葉を解説しているこの文章に「なるほど!」と唸ってしまったということです。

 しかし、そういう天が与えた人の平等がどうして実生活では差が出るのでしょうか?

 それを福沢諭吉は、次のように述べています。

 『 しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も金持   ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。

  その理由は非常にはっきりしている。『実語教」という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である。」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるのだ。』と断じています。

 池上さんではありませんが、「そうなのか!」と感嘆しませんか?「そんなことあまりにも当たり前だ!」とお考えの方がいれば、小生の教育に対する考え方が甘かった、そして、もっと学ばなければならない、ということだと思います。

 「学問のすすめ」は、最初の部分をちょっと読んだだけでも、このように素晴らしい本だと感じてしまいました。

 これから、じっくり読んで、また皆さんに報告したいと思います。 


天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

2010年09月19日 | 本と雑誌

 皆さんは「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉をご存じだと思います。

 そう、福沢諭吉が書いた「学問のすすめ」の最初に出てくる言葉です。

 明治の啓蒙思想家で慶應義塾の創始者でもある福沢諭吉の名前は、一万円札の肖像になっていることから現代でも、何方でも知っていると思います。また、その思想は、現代でも大きく評価されていると思います。

 しかし、小生もですが、この「学問のすすめ」という本を読んだことがないという方が意外と多いのではないでしょうか?

 この本は、1872年(明治5年)から1876年(明治9年)にかけて全17編の分冊として発行され、1860年(明治13年)に合本し一冊の本として出版されたそうです。

 当時の本は、文語体で書かれていたそうですが、それでも初版の発行以来九年間で70万冊も売れたそうですから、いかに優れた内容だったがわかろうというものです。

 小生などが文語体の本を読んでも意味を理解するのに四苦八苦すると思いますが、こういう状況を理解しますと、なんとか読んでみたいと思うのが人情です。

 幸い、本屋に行きましたら、その現代語訳が出版されていました。

 今日は、その出だし(初編・・・学問には目的がある)を紹介しようと思いますが、かみさんが「買い物に行く!」と向こうで叫んでいますので、後日、あらためて紹介します。


トルコの情報

2010年09月17日 | 旅行記

 午前中、3日ぶりにスポーツジムで汗を流してきました。

 サボっていたのか?そうではありません。ジムが二日間休みだったのです。

 運動の効果って、もしかしたら休んでから出てくるのでしょうか?今日は身体が妙に軽いからですが、残念ながら体重は減っていませんでした。

 ところで、トルコの勉強を始めました。

 なぜ、トルコが良いのか?よくわからないのですが、ツアーで一緒した方々や添乗員さんの話を総合すると、「とても良いところだよ!」と言う答がかえってきます。

 そこで、今日は、トルコの基本的な情報についてお伝えします。

 まず国名ですが、「トルコ共和国」で、国旗は「月星章旗」です。地が赤でイスラムの象徴である三日月と星が白く描かれています。白地に赤く、の日本とは反対の色使いですね。

 首都はアンカラで1923年にイスタンブールから遷都したそうです。国土面積は81万4578平方㎞といいますから、日本の約2,1倍です。アジア側とヨーロッパ側にまたがっていますが、ヨーロッパ側の面積は、約3%にすぎません。

 EU加盟を目指していますが、どうなりますか?

 人口は、約7116万人ですから、日本の方が5000万人ぐらい多いということになります。

 人種としては、トルコ族は中央アジアから入ってきた人々ですが、混血が激しく、黒髪で色の浅黒い人もいれば、たいへんアジア的な人も、金髪で碧眼の人もいます。個々の身長差も大きいが、平均は日本人よりやや高いそうです。

 公用語はトルコ語で、日本語と同じアルタイ語族に属していますので、文法はかなり似ているそうです。また、文字はローマ字が1928年にそれまでのアラビア文字に代わり採用されたそうで、発音と表記の差が少ないので、日本人にも馴染みやすそうです。

 政治は大国民会議の一院制で、大統領はアブドゥッラー・ギュル氏(2007・8・27~)、首相はレジェップ・タイイップ・エルドアン氏(2003・3・14~)だそうですが、小生は、もちろん知りませんでした。

 日本と違って国のトップの任期が長いですね!

 教育は、日本の小中学校を合わせたシステムで、8年制(6~14才)で、公立校は無償だそうです。高校は3年制(普通高校のほかに職業、芸術、宗教専門校など)で、大学も整備されているようです。

 宗教はイスラム教が98%ですが、穏健なスンニー派が大多数を占めています。いわばイスラム教の国ですが、信教の自由が憲法で保証されていて、他のイスラム教国のように国教とされていないようです。

 祝祭日は、5日間と少ないようですが、宗教休日というものがあります。一つは、シェケルパイラム(砂糖祭?)と言ってラマザン’断食月)明けの日から3日間が休日だそうです。

 ラマザンは、イスラム暦第9月だそうですが、イスラム暦がどのようなものなのかわかりませんので、具体的に何月何日なのか不明です。08年の例では、9月28日(午後)~10月2日だそうです。

 もう一つがクルバン・バイラム(犠牲祭)と言って、イスラム暦第12月10日からの4日間が休日です。ゆとりある者は、羊など犠牲に捧げた肉を貧窮者に施すならわしがあるそうです。

 さて、次に気候などですが、これらについては、次の機会にレポートしたいと思います。

 「そんなことより、トルコの見所をレポートしろ!」という声が聞こえそうですね。


心の大掃除:みえるものだけにこだわらない

2010年09月16日 | 人生

 昨日、ホームページの掲示板を見ましたら、大変嬉しいお便りをいただきました。

 パリから行く小さな旅に関するものですが、こんなに丁寧な、そして暖かいお便りに心から感謝したいと思います。

 人間は、心にホコリがたまると、ろくなことは考えないようです。誰も見てくれない!などと思い、ホームページの更新をさぼる、という心もきっとホコリがたまってきた証拠なのかも知れませんね。どうやら、名取芳彦(ほうげん)さんがいう、見えるものだけにこだわらない「般若」の智慧が大事なようです。

 私のこころは

 こんぺいとうよ

 小さい

 おまけに

 とげがある

 という言葉で始まる芳彦さんの般若心経第3章から「亡き人の”今”を思うことの”よろこび”」の一節をお伝えします。

 般若心経では、5蘊(色受想行識)が空なのだから、こだわるなという意味で、おのおのに「無」をつけて説明するそうです。

 色(物体)も固有の実体はない。

 受(感覚器官)も人や場所、時代によって一定ではない。

 想(想像)も色々であり、行(心の作用)も一定していない。

 識(意識)も刻一刻と変化してやまないのだ。

 そのことをわからずに「これはこういうものだ」とこだわり過ぎると、不安や、悩みや、怒りの原因になってしまうというのです。

 その意味では、小生のホームページを見ていただく方が少なくても、それを嘆く必要は全くないのだと思います。「見てくれている方が少しでもいればそれでよい」と、こだわりすぎないことが大切なのでしょうね。

 ここのところを芳彦さんは、「法事のうれしい効用」と「亡き人の居どころ」を例に「死んでしまえば終わり」という行きづまる考え方ではなく、より大きな世界へ思いを馳せることの大切さを説いています。

 小生は、法事の話も面白かったのですが、亡き人の居どころの最後の文章が大変印象的でした。

 『ヘレン・ケラーは死について、こんな言葉を残したそうです。

 「死ぬことは、ひとつの部屋から次の部屋に入っていくのと同じなのよ。でも、私には大きな違いがあるの。だって次の部屋では目がみえるんですもの。」

 心温まる言葉ですが、日本でもお墓参りに行ったとき、お墓の中にいる人に向かって心の中で「お元気ですか」と言っている人は案外多い気がします。亡くなった人に「お元気ですか」は変ですが、見た目の死という現実にこだわらないその心情こそ「般若心経」に通じるものだと思うのです。』

 という文章です。

 小生などは、いつも「あの世などない、人間、死んでしまえばお終い!」という考えを強く持っていますが、そのくせ、かみさんにいわれるままに母の祥月命日には、お墓参りを欠かしたことがありません。

 そして、芳彦さんがいうように母に向かって「mugikoとうまくやっているよ」とか「姉の子どものA子が結婚したよ」などと話かけながら線香をあげています。

 

  


チェコ:フランツ・カフカの変身

2010年09月15日 | 本と雑誌

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 小生の「中欧ロマン紀行」(http://www.geocities.jp/sinainaruike/sub14.html)を読み直すことがありますが、その時にチェコのプラハで見た青い家が思い出されます。

 その家は、フランツ・カフカの家だったのですが、彼がどのような人物なのか小生は知りませんでした。

 お恥ずかしい話なのですが、現地で説明があったときには、「そんな有名な人なんだ!」と思ったくらいで、でも「知らないな!」という印象でした。

 ところが、家に帰って調べてみますと、あの青い壁が印象的な家の主は、世界的に有名な作家だったのです。

 彼は、1883年といいますから130年前ぐらい前に生まれ、結核のため41才(1924年)という若さで亡くなっています。

 「判決」「火夫」「変身」などの作品がありますが、中でもドイツ文学として紹介されている「変身」が有名です。

 などと知ったかぶりしていますが、小生に頭の中にこのへんてこりんな小説が「ほのかに」そして「どこかで聞いたような話」として残っているのです。

 「5分でわかる世界の名作(青春出版)」によれば、「1匹の虫に変身した青年の短い一生」と題して3つの段落で次のように紹介しています。

 『1匹の巨大な虫に変身していたグレーゴル』

 『父親の投げたりんごが肉にめり込む』

 『疎まれひとり静かに死んでいく』

 というものですが、本当に刺激的な内容ですね!

 今日は、最初の出だしを少々紹介したいと思います。

 『ある朝、夢から目を覚ましたグレーゴル・ザムザは、自分が1匹の巨大な虫に変わっているのを発見する。鎧のように固い背、アーチのようにふくらんだ褐色の腹。その腹の上には横に幾本かの筋がついていて、たくさんの細い足がぴくぴくと動いていた。

 夢ではない。見回すといつもの自分の部屋である。外交販売員の彼は5時の汽車に乗らねばならなかったが、時計はすでに6時半を指していた。しかし、体の幅がひどく広くて起きあがろうにも起きあがれないのだった。

 しばらくすると、遅刻したことに腹をたてた店の支配人が家にやってきて、支配人と父親、母親の3人はグレーゴルの部屋の前で扉を開けるよう説得を始める。

 ようやく寝床から出たグレーゴルは、鍵穴にささっていたカギを口で回して鍵を開け、そして取っての上に頭を置いてドアを開いた。

 すると支配人はぽかんと開けた口に手を当ててあとずさりし、母親はへたへたと床に座り込み、父親は胸が波打つほどに泣き始めてしまったのである。』

 いかがですか?皆さんは、この要約を何処かで聞いたことはありませんか?

 なお、ここで「虫」と訳されているドイツ語の単語は「寄生虫、害虫」という意味で、父親がカフカの友人を酷評したときに使った、とされています。

 自分が巨大な虫に偏していたなんて、考えただけでも「むずむず」して気持ちが悪いのですが、両親や妹、友人が変身した自分をどう思うか想像して「ひどい仕打ちに」愕然としたのでしょうか?

 人間は、相手の肌の色や形で善し悪しを判断するということを言いたかったのでしょうか?

 巻頭写真は、チェコのカフカの家が相応しいのですが、OCNさんがビットマップを受け付けてくれません。やむなくクロアチア・ザグレブの共和国広場での子どもたちを掲載しました。