Ananda C. Paranjpeというインド生まれの心理学者が書いたSelf and Identity in Modersn Psychology and Indian Thoiught. (New York:Plenum Press. 1998)を読んでいたら、amnestic fugueという言葉が出てきた。記憶喪失のフーガ?
私たちは、自分の人生において、自分にかかわる物事が断続することや深く多様に変化することを経験しながらも、一方で、連続性や同一性の感覚を発達させ、維持しながら生きている。そうしたときに、例外的に起きるのが、この記憶喪失のフーガなのだ。
辞書で改めて引くと、フーガとは「遁走」。「あてもなく衝動的に出奔することで、その間のことは記憶していないことが多い」と定義されている。あまりの大きな変化に直面して、それと対峙できないときに、思わず逃げ出す心理なのだろう。そうすれば、変化を認めずに同一性を担保できる。その代わり、自分自身の記憶が一時的に失われてしまうのだが。
fugue(遁走曲、フーガ。イタリア語ではfuga)。ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」が頭のなかで何度も鳴っている。「追いかけて、追いかけて、すがりつきたいの…」。
私たちは、自分の人生において、自分にかかわる物事が断続することや深く多様に変化することを経験しながらも、一方で、連続性や同一性の感覚を発達させ、維持しながら生きている。そうしたときに、例外的に起きるのが、この記憶喪失のフーガなのだ。
辞書で改めて引くと、フーガとは「遁走」。「あてもなく衝動的に出奔することで、その間のことは記憶していないことが多い」と定義されている。あまりの大きな変化に直面して、それと対峙できないときに、思わず逃げ出す心理なのだろう。そうすれば、変化を認めずに同一性を担保できる。その代わり、自分自身の記憶が一時的に失われてしまうのだが。
fugue(遁走曲、フーガ。イタリア語ではfuga)。ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」が頭のなかで何度も鳴っている。「追いかけて、追いかけて、すがりつきたいの…」。
事故を起こしたときの記憶だけがないのです。
とてもひどい事故でしたが幸い体には支障がありませんでした。
これもフーガ?なのでしょうか。
そして、フーガへの期待が来る。
真夜中、ひどい現実から逃げたくてひたすら走ることがあります。
あの時何処かこの次元から出られるダークホールがないかと狂いそうになっていました。
もちろん、ありません。
現状維持のまま現在に辿りましたけれども、
遁走って言葉、身にしみました。
四方には草(生命)があり、
冠をかぶり、
人は自分の太陽に向かい、
ひたすら追いかけて、追いかけて
夕暮れまで…
夢って文字成り立つ。
千里以外 我が故郷