時間と空間 2005-07-05 17:03:49 | 時間 先週から読み始めたフレーザーの『時間の声』の第1章で紹介されていたオーストリア生まれたの哲学者アレキサンダー(Samuel Alexander 1859-1938) の言葉。 Time is the mind of space and space is the body of time. 中国語で、宇はspace、宙はtimeを意味する。二つが合わさって宇宙(コスモス)を成しているという思想とアレキサンダーの考えには合い通じるものがある。 ■アレキサンダーの研究業績 « ルバーブの苗 | トップ | サンデー・マーケット(Heist... »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 多様な (都筑) 2005-09-27 21:31:08 rolferKさん、コメントありがとうございました。時計の時間は人為的な目に見える形の時間、そして、人間が感じる心理的な時間は行きつ戻りつする時間。多様な時間が、そこには存在しています。 返信する Unknown (rolferK) 2005-09-27 01:37:15 初めまして。yutaさんのブログから、お邪魔いたしました。とてもステキなお題にちょっと自分の思いをコメントさせていただきます。本当に素人ですから、イメージだけなのですが。「空間」という存在自体に「時間」が内在するものではないか・・。時間という概念は、あくまでもなにか点として求められる方向に直線的に存在するように感じる・・。空間は少なくとも3次元以降の「広がり」としての存在であって・・・。とすると、時間は空間のうちに内在している・・。ということは、空間においては、時間を有しない「広がりの部分」も当然あるだろう・・。(例えば、3次元空間の中に線を存在させることはできるけれど、その3次元空間に線のない部分も同時に存在できる・・?屁理屈です。)広がりの中で時間のような役割をもてるものは、ある点と点の間の相関関係(たとえば、ある地点を決めた時に前・後ろとか、遠い・近いとか・・)今書いている中で思いついたのは、もしかしたら「宙」のいっている「時間」というのは、時計の時間ではなくて「動き」あるいは「変化」という意味のことなのかもしれませんね。イメージですが、そんなことを考えて、すこしドキドキしています。ありがとうございました。 返信する 偶然知ったのです (都筑) 2005-07-07 01:05:59 seedsbookさん、私がこのことを知ったのは偶然でした。あるとき早稲大学に用事があって出かけました。早く着いたので高田馬場の古本屋街を歩いていたら、劉文英(堀池信夫・菅元大二・井川義次訳)『中国の時空論 甲骨文字から相対性理論まで』(東方書店 1992年)という本が目に留まりました。そのなかに書いてあったのです。この本には他にも、面白いことがたくさん書いてあります。今覚えているのは、麻雀では方位を数えるのに東南西北と一周しますが、日常では東西南北と言います。それは、日の出日の入りの方向が基軸となっているからだそうです。 返信する 時間 (seedsbook) 2005-07-06 18:45:00 >中国語で、宇はspace、宙はtimeを意味する。このことを知りませんでした。特に宙が時間を表わすとは。。。イメージが膨らんできます。時間と空間というテーマには常に興味があります。もちろんMunubuさんのような学術的なアプローチとは違う方向ではありますが。。。今ペーター スロッターダイクの”泡”を読んでいるところですが、人間と空間について考えさせられているところでもあります。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
時計の時間は人為的な目に見える形の時間、そして、人間が感じる心理的な時間は行きつ戻りつする時間。
多様な時間が、そこには存在しています。
「空間」という存在自体に「時間」が内在するものではないか・・。時間という概念は、あくまでもなにか点として求められる方向に直線的に存在するように感じる・・。空間は少なくとも3次元以降の「広がり」としての存在であって・・・。とすると、時間は空間のうちに内在している・・。ということは、空間においては、時間を有しない「広がりの部分」も当然あるだろう・・。(例えば、3次元空間の中に線を存在させることはできるけれど、その3次元空間に線のない部分も同時に存在できる・・?屁理屈です。)
広がりの中で時間のような役割をもてるものは、ある点と点の間の相関関係(たとえば、ある地点を決めた時に前・後ろとか、遠い・近いとか・・)
今書いている中で思いついたのは、もしかしたら「宙」のいっている「時間」というのは、時計の時間ではなくて「動き」あるいは「変化」という意味のことなのかもしれませんね。
イメージですが、そんなことを考えて、すこしドキドキしています。ありがとうございました。
あるとき早稲大学に用事があって出かけました。早く着いたので高田馬場の古本屋街を歩いていたら、劉文英(堀池信夫・菅元大二・井川義次訳)『中国の時空論 甲骨文字から相対性理論まで』(東方書店 1992年)という本が目に留まりました。そのなかに書いてあったのです。
この本には他にも、面白いことがたくさん書いてあります。今覚えているのは、麻雀では方位を数えるのに東南西北と一周しますが、日常では東西南北と言います。それは、日の出日の入りの方向が基軸となっているからだそうです。
このことを知りませんでした。特に宙が時間を表わすとは。。。イメージが膨らんできます。
時間と空間というテーマには常に興味があります。もちろんMunubuさんのような学術的なアプローチとは違う方向ではありますが。。。今ペーター スロッターダイクの”泡”を読んでいるところですが、人間と空間について考えさせられているところでもあります。