先日読んでいた新聞の生活欄に、気になる記事が載っていた。それは、母親が子どものことについて書いている小さな文章だ。タイトルは、「瞬間」を分かち合う。
小さなデジタル時計の前に寄り集まった子どもたちが、「瞬間見た!」と騒いでいるという。00分00秒に表示が一斉に変わる「瞬間」を、みんなで楽しんでいる子どもの様子が紹介されている。「瞬間」は、1時23分45秒でも、5時55分55秒でも、何でも構わない。どんな時刻でも、元には戻らない「瞬間」なのだ。
記事の最後は、「この子たちと一緒に、今このときしかない一つ一つの瞬間を、豊かに積み重ねていけたらいいなあと思う」と結ばれている。
今という瞬間は、時刻がたとえ正確な数字として表されないとしても、かけがえのない元には戻ることのできない瞬間なのだ。「瞬間を見た」と喜ぶ子どもたちの姿を想像しながら、瞬間のもつ意味の大切さを改めて感じた。そして、瞬間を見つめながら、その積み重ねの上に、未来に向かって生きていこうと決意を新たにした。
小さなデジタル時計の前に寄り集まった子どもたちが、「瞬間見た!」と騒いでいるという。00分00秒に表示が一斉に変わる「瞬間」を、みんなで楽しんでいる子どもの様子が紹介されている。「瞬間」は、1時23分45秒でも、5時55分55秒でも、何でも構わない。どんな時刻でも、元には戻らない「瞬間」なのだ。
記事の最後は、「この子たちと一緒に、今このときしかない一つ一つの瞬間を、豊かに積み重ねていけたらいいなあと思う」と結ばれている。
今という瞬間は、時刻がたとえ正確な数字として表されないとしても、かけがえのない元には戻ることのできない瞬間なのだ。「瞬間を見た」と喜ぶ子どもたちの姿を想像しながら、瞬間のもつ意味の大切さを改めて感じた。そして、瞬間を見つめながら、その積み重ねの上に、未来に向かって生きていこうと決意を新たにした。
過去、現在、未来を一気に目にすることができます。
上にまだ濾過していない部分はーー未来、
細い部分に通過している部分はーー現在、
下に積もったのがーーかこ、
漫画をまったく読まない私は、
たまたま漫画での一頁を目にしたのがこのような画面でした。
うまい!と思いました。
時間はどんなものだろうね。
離れ離れに生活するようになってから、
親にとって、時間は過去への懐かしみとなったようで、
私のとって、現在の一刻一秒短すぎで、
何とかして、形で残したいです。
ただ、未来は、未来はどうなるかと思うと、
不安ではないのですが、
聊かにぼやけているような気がして、
聖母マリアの微笑みのように確かそうですが、身近ではありません。
我思う、故に我あり、
時間は考えるヒトの禁錮になるだけかもしれません。
私たちにとっての時間は、スカッシュの球のように縦横に動き回るものではないかと思いました。それでも四角い部屋のなかでの動きでしかありません。もっと違う比喩が必要でしょうね。