ジャガイモの成長日記(7) 2005-08-01 06:03:39 | 成長日記 5月25日から始まったジャガイモの成長日記。2ヶ月前のジャガイモの姿。こんなに長い間、続くとは思ってもいなかった。 7月23日。相変わらずグングンと成長している。 7月30日。一週間で、こんなに伸びた。 続く。 « 玉葱の水栽培(4) | トップ | 神とともに生きる人々のくらし »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 茎としてのアイデンティティには。 (momo) 2005-08-01 13:02:27 HYK(保育者養成協議会の略称だそうです)の保育所に対する第三者評価研修会に土日返上で参加させられていました。おかげさまで,評価者としての認定証などをいただいて参りました。あまりというかかなり気乗りのしないものですが・・・。経済的観点から見ると,保育所の予算が一般財源化するのに合わせて,評価を受けているかいないかで補助金の配分が異なるようになる,という縛りから施設設置者が受けなければ・・・という,現実的に心理的圧迫感を感じ始めていること。そのような社会の情勢に乗って,HYK自体がその組織の拡大の1つの戦略として第三者評価事業に乗り出したこと,など社会の流れと経済の目には見えない関係性から子どもの発達の場も発達支援も考えることが必要なようです。子どもの最善の利益を保証するための,保育園のシステム評価を目標にされていましたし,実際にHYKの中の研究者はその目標のために努力されてきているのだなと思いました。第三者が入ることで『現場に気づき』が生まれることを盛んに強調されていました。その『気づき』から,保育園の拡張システムが生じるていく可能性があることは否定できないかなとも思いました。しかし,残念なことに子どもの最善の利益を保証する,評価機能がどうしても見つけられませんでした。下手をすると,事前事後で『良い』がこんなに増えました!的な,行動論的介入プログラムの域を出ない可能性もあるのだろうという危惧も同時に感じて参りました。障害児の特別支援事業もそうですが,社会の流れと経済効果,発展の可能性と危惧,表裏一体にあるのだなと改めて感じます。私の先生なんかは,走り出したものをとめることはできないから,その中でより最善なものをと常に考えて生きているのだろうと思いますが,私には,まだ今ひとつわからないなぁーという感じがあるし,わからないまま動くことの怖さもあります。何もしないよりは行動を起こしたほうが良いのでしょうが・・・・。そんなことを思いつつ,気の進まない研修会の帰りの新幹線のなかで,なぜか突然に都筑先生のジャガイモを思い出したのです。茎のアイデンティティは,やはり人間との対話の中で形成されたのだ,と。ジャガイモもアンデスの高地で人と出会い,人との対話で葛藤し,人の力というよりは,潜在能力のあった茎のアイデンティティを自ら選択し形成したのだろうと。・・・そしたら,ジャガイモが載っていたのでびっくりでした(笑)。 返信する ジャガイモと同じように (都筑) 2005-08-01 14:42:32 momoさん、ジャガイモが人との対話の中でアイデンティティを形成していったように、保育の場においても、保育者との対話の中で子どもは自らのアイデンティティ(人としての生き方)を形成していくわけですよね。その営みを第三者が、ある意味「冷静な」目で見るのは大切だと思います。記録にとどめ、後々の反省の資料とする限りにおいて。しかし、それが評価となると、どうなんでしょうか。他の保育園(幼稚園)との比較、優劣の指標として用いられるようになると、momoさんが危惧するように本来の機能から逸脱が生じる危険性が大だと思います。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
おかげさまで,評価者としての認定証などをいただいて参りました。あまりというかかなり気乗りのしないものですが・・・。経済的観点から見ると,保育所の予算が一般財源化するのに合わせて,評価を受けているかいないかで補助金の配分が異なるようになる,という縛りから施設設置者が受けなければ・・・という,現実的に心理的圧迫感を感じ始めていること。そのような社会の情勢に乗って,HYK自体がその組織の拡大の1つの戦略として第三者評価事業に乗り出したこと,など社会の流れと経済の目には見えない関係性から子どもの発達の場も発達支援も考えることが必要なようです。子どもの最善の利益を保証するための,保育園のシステム評価を目標にされていましたし,実際にHYKの中の研究者はその目標のために努力されてきているのだなと思いました。第三者が入ることで『現場に気づき』が生まれることを盛んに強調されていました。その『気づき』から,保育園の拡張システムが生じるていく可能性があることは否定できないかなとも思いました。しかし,残念なことに子どもの最善の利益を保証する,評価機能がどうしても見つけられませんでした。下手をすると,事前事後で『良い』がこんなに増えました!的な,行動論的介入プログラムの域を出ない可能性もあるのだろうという危惧も同時に感じて参りました。障害児の特別支援事業もそうですが,社会の流れと経済効果,発展の可能性と危惧,表裏一体にあるのだなと改めて感じます。私の先生なんかは,走り出したものをとめることはできないから,その中でより最善なものをと常に考えて生きているのだろうと思いますが,私には,まだ今ひとつわからないなぁーという感じがあるし,わからないまま動くことの怖さもあります。何もしないよりは行動を起こしたほうが良いのでしょうが・・・・。そんなことを思いつつ,気の進まない研修会の帰りの新幹線のなかで,なぜか突然に都筑先生のジャガイモを思い出したのです。茎のアイデンティティは,やはり人間との対話の中で形成されたのだ,と。ジャガイモもアンデスの高地で人と出会い,人との対話で葛藤し,人の力というよりは,潜在能力のあった茎のアイデンティティを自ら選択し形成したのだろうと。・・・そしたら,ジャガイモが載っていたのでびっくりでした(笑)。