ジャガイモの成長日記(5) 2005-07-07 01:11:29 | 成長日記 6月30日。いつの間にか2本目の根っこが生えてきたので、水栽培に移行することにした。玉葱の水栽培でも使っているチョコレートムースのフタを再利用。根っこが水に浸かるように穴をあける。 7月4日。ヒゲ根のようなものがたくさん生えてきた。 7月5日。茎もずいぶんと太くなってきた。 続く。 « 玉葱の水栽培(2) | トップ | ベルギーと言えばワッフル »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ニンジンは残念でしたが (林 幸夫) 2005-07-07 11:49:16 じゃがいも君、絶好調ですね。根っこが出てきたので、もう安心でしょうか。昔、小椋桂というシンガーソングライターの歌に「子供らの明日は未来で 私たちの明日は唯の別の日で」という子供たちの生命力に感動し、圧倒された想いを謳った歌がありました。なぜか、その歌を思い出しました。 返信する ジャガイモは実じゃない・・・の? (momo) 2005-07-07 23:23:43 どうにも気になってしまってお勉強が手につかないので・・・。こんばんわ,都筑先生。じーっと見ていると玉葱の根の張り出し方とジャガイモの根のつき方が明らかに違うのがわかります。どうやらジャガイモは,根が出始めたらおイモの実質自体には極力影響を与えないような構造になっているようです。それはしっぽみたいに側面から出ていた葉が,以前は一番小さかったのに今は一番の成長を遂げているのでも推測できるようですよ。何かすごく気になるのでジャガイモの花を検索して見たら,ジャガイモにはトマトみたいな実がなることがあるとのことでした。じゃあ,ジャガイモは何?何?何なの?実じゃなかったの? もしかしたら小学校とかで勉強したのかもしれませんが,勉強は嫌いだったので全然,そんな記憶は残ってないのです。お恥ずかしいことですが。 どうも茎らしいということを突き止めたのですが,あの丸っこい形態をどうして茎と,誰が茎と本当に思えるのでしょうか。ジャガイモは実ではない,タネイモとか言われていても種ではない。ジャガイモさん自身のidentityはどのように確保されているのでしょう?人間はジャガイモの収穫量を増やすために,なるべくジャガイモの花が咲いても実がならないように品種改良したと思っているようですが,実はジャガイモ自体が人間を利用して,実に同一化する道を選択していった結果なのかも・・・・。じつはかなりのコンプレックスを抱えているのかも。自分は何者であるのかを常に問い,母の国と父の国の間で居場所を捜し続けた彫刻家のイサムノグチを思い起こしてしまいました。私は何者?という苦難の歴史を背負ってジャガイモは,命の輝きを放っているのかもしれません。土の中での出来事,全然,知らないんですね~。玉葱は玉葱が増えてはいかないんでしょうか?そんなことも知らなかったんだということがわかりました。ところで,ユクスキュルという方は知りませんでしたが,ロマンティックな情景は思い浮かびます。『木のうた』というノエラ・マリの絵本の世界のようです。その場に憩う,それぞれの生物の視点から物事を感じてみる,そうすることではじめて,情緒あふれる博物学や情緒あふれる心理学を打ち立てしまえる,のかもしれませんね。どうぞどうぞ,これからもよろしくお願いいたします。 返信する ジャガイモは絶好調 (都筑) 2005-07-08 03:42:23 林さん、ジャガイモはグングンと伸びています。まさに絶好調。生命力の強さに驚いています。一番最初は5月25日です。本当にすごいなと思います。 返信する ジャガイモのアイデンティティ (都筑) 2005-07-08 03:50:19 momoさん、実に観察力が鋭い。一番小さかった葉が今や一番元気に伸びています。それは根っこがすぐ下から伸びているからだと思います。そこからの栄養分がすぐに届けられているのでしょう。ジャガイモのアイデンティティはどこにあるのか。なかなか難しくて、興味深いテーマですね。人間がジャガイモを改良したと思っていても、実はジャガイモが人間を利用していた。そんな空想も面白いですね。これからも観察を続けて、ジャガイモの成長を見ていきます。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
根っこが出てきたので、もう安心でしょうか。
昔、小椋桂というシンガーソングライターの歌に
「子供らの明日は未来で 私たちの明日は唯の別の日で」
という子供たちの生命力に感動し、圧倒された想いを謳った歌がありました。なぜか、その歌を思い出しました。
もしかしたら小学校とかで勉強したのかもしれませんが,勉強は嫌いだったので全然,そんな記憶は残ってないのです。お恥ずかしいことですが。
どうも茎らしいということを突き止めたのですが,あの丸っこい形態をどうして茎と,誰が茎と本当に思えるのでしょうか。ジャガイモは実ではない,タネイモとか言われていても種ではない。ジャガイモさん自身のidentityはどのように確保されているのでしょう?人間はジャガイモの収穫量を増やすために,なるべくジャガイモの花が咲いても実がならないように品種改良したと思っているようですが,実はジャガイモ自体が人間を利用して,実に同一化する道を選択していった結果なのかも・・・・。じつはかなりのコンプレックスを抱えているのかも。自分は何者であるのかを常に問い,母の国と父の国の間で居場所を捜し続けた彫刻家のイサムノグチを思い起こしてしまいました。私は何者?という苦難の歴史を背負ってジャガイモは,命の輝きを放っているのかもしれません。土の中での出来事,全然,知らないんですね~。玉葱は玉葱が増えてはいかないんでしょうか?そんなことも知らなかったんだということがわかりました。ところで,ユクスキュルという方は知りませんでしたが,ロマンティックな情景は思い浮かびます。『木のうた』というノエラ・マリの絵本の世界のようです。その場に憩う,それぞれの生物の視点から物事を感じてみる,そうすることではじめて,情緒あふれる博物学や情緒あふれる心理学を打ち立てしまえる,のかもしれませんね。どうぞどうぞ,これからもよろしくお願いいたします。
ジャガイモのアイデンティティはどこにあるのか。なかなか難しくて、興味深いテーマですね。人間がジャガイモを改良したと思っていても、実はジャガイモが人間を利用していた。そんな空想も面白いですね。
これからも観察を続けて、ジャガイモの成長を見ていきます。