イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

母子像

2012年09月16日 | イコン
寝ていて

「被災地へのイコンを急ぐように」という声を聞いたように思いました。

今日、先生たちがニコライ堂に行かれています。

先生は焼けた山田教会を描かれたそうです。

母が「戦後、東京芸大にある狩野芳崖の悲母観音を見たいという人がたくさんいて
いつもは公開されていないので
見せてもらえるよう頼みにいった人がたくさんいた」と言っていました。

母は芸大の近所(無縁坂側)が実家だったので

戦前は芸大に遊びに行くと母たちは子どもだからいつでも見せてもらえたそうです。

母子像は国や宗教を越えて、みんながわかるもの。

被災地でもっとも必要とされていると思います。

絵具代や材料代をどうするか?なんて言っているどころではない。
急ぎます。

幸い、絵具や材料、資料はたっぷりある。

聖母子を中心に描いていこうと思っています。

老人介護を抱えて、自分の体調も悪ければ
自宅でできる仕事やボランティアは限られます。

私のできることは、描くことだけだろうと思います。


震災直後、避難所でみなさんのお世話をしていた30になるかならないかの若いお母さんがテレビで紹介されました。

彼女はニコニコ笑ってみなさんのお世話をしていましたが

「3才の子どもを抱いていたんだけど流されたの。
私が手を離してしまったから」と言っていました。

「ひとりになったから何かしないといけないと思って」と言っていました。

彼女の優しい笑顔はずっと忘れられません。

今、どうされているのか?

聖母子像を描くときは必ず彼女のことを思います。

ニコライ堂には
イコンの制作工房を作ってくださるようお願いします。

信徒だけでない、きっとみなさんの役に立ちます。

日本画家の祖母は戦後、観音像をたくさん描きました。
特に悲母観音のリクエストが多かったのです。

母子像は宗派の壁がないと思っています。

金箔をどうしようかと思っていたら
大量のストックが出てきました。

板もA4サイズくらいが缶ビールほどの値段でありました。

日本画家だった祖母も助けてくれているのだと思っています。

今度は私の順番です。

待っていてください。
神様との約束です。

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