白石孝子さん夫妻の若い作家いじめや
岡山を罵る発言は
岡山の作家の中では
すごく有名な話でしたが、
私は「まあそれでも大人なんだから
いつかは言わなくなるだろう」と思っておつきあいしていましたが、
ますますひどくなり、
みんな離れていきました。
私も、自分のアクリル画をガレリアプントで展示したときに
白石さんがやってくるなり
「こんなのはダメよ。
絵とは言えないわ」と言われました。
白石さんに私のバラの絵を見せても
「これがバラぁ~?」とか
百合の絵でも「これが百合~?」という表現だけですから
私の絵がおかしいのならば
植物専門の先生に習おうと思って
イコン教室と同時に
植物画を習いに行きましたところ
白石さんは全くそんなことは言わなくなりました。
奇妙な絵の指導だと思いました。
全て白石さん個人の感想を言い放つわけですから
白石さんは絵の神様か⁈と思いました。
白石さんの絵の指導には
ずっと不信感はありましたが、
自分で「正統なイコンの伝承者」と
言われて新聞に載せているくらいですから
イコンくらいはマシな教え方だろうと思っていましたら
金箔の独占販売はあるし、
カビの生えた顔料は使っているし、
教室作品展にかかる経費は計画性なく
高額な請求はあるし
少し絵を知っている生徒なら
不信なイコン教室だとわかりました。
私は、どうにも白石孝子さんの言動が
おかしいので
教室作品展の準備に私が使われる前に
イコン教室は辞めました。
のちに、残った生徒や生徒の家族から
イコンを習いに行ったのに
白石さんのイコン販売を生徒が手伝うようになっているので
ニコライ堂に聞いてほしいと連絡があり
私が正教会に問い合わせたことがあります。
普通の絵画教室とは、とても言えない状況でしたし、
その後も母の聖人を間違えて描いたイコンを
私や母は頼んでもいないのに 渡されたり
「ギャラリーで買ったら10万円もするのよ。
あなた、欲しかったでしょう」と曲がった花瓶や
ギャラリーで販売できないコップをもらったりしたので
母が気持ち悪がり
全て白石孝子さんに送り返したことがあります。
認知症とか、病気ではないかと思い
白石さんの娘さんにも連絡しました。
そんな経緯で、私は白石さんから
精神性のきちんとしたイコンを習うことは不可能でしたから
非常にがっかりはしましたが
白石さんの「私たちはすばらしい芸術家夫婦なんだから
私たちを敬えばいいことがあるわよ」と
繰り返し聞かされた洗脳から
すっかり離れることができ、
今は描きたいイコンを自由に描く楽しみを感じています。
絵の指導者が悪ければ
元から持っている能力も出せないんだなと思いました。
白石さんは私の祖母がたくさんの慈母観音を描いたように
被災地へイコンを贈らないのかな?と思いましたら
「私はプロのイコン画家なのよ。
どうしてタダであげなきゃいけないのよ」と言われました。
これには、驚きがっかりしましたから
離れて本当によかったのです。
私は祖母が関東大震災後に、
半紙にたくさん慈母観音を描いて配った行動に倣いたいのです。
祖母は当時二十歳の若い画家でしたが、
あの時に配った慈母観音を大切に持っておられる方に
母は祖母の葬儀後、会ったそうです。
この行動は祖母の大先生であった鏑木清方の考えでした。
指導者が違うと若い画家の人生さえ変わります。
私は、今は描きたいイコンを描いて
被災地へも贈れますし、
宗教画の世界を楽しむ、と言ったらおかしいかもしれませんが
絵として楽しむことができます。
実際に日本正教会の神父様方にお聞きすると
白石さんのイコンの考え方と正教会の考え方は、全く違うので
白石イコン、セラミックイコンというジャンルを
自分たち夫婦で作っていたのだな、ということがわかりました。
これでは、歴史に伝わるイコンを習う精神性は全くないわけです。
白石さん個人の作り出したイコンを習う必要性はありませんから。
プロのイコン画家って、あまりにもレベルが低すぎて
あれを日本正教会はイコン画家と認めているのか?
と不思議でしたが、
どうやら違うそうです。
私や母が今までで出会った最悪の画家でしたから。
こんな経緯で
まともなイコンを習う場は、今はないので
私は同時介護の合間の楽しみで描けたら満足です。
ともかく、大量のイコンが東北の津波で流された。
仏画は誰か描く画家はいるだろう。
私は少しはイコンが描けるので
とにかく描いて東北に贈ろうと思います。
描ける人は描いてあげてほしいと思います。
アリンビーの考えに基づいたイコンのオークションも準備していますから
待っていてください。
アリンビーについては「ロシア正教のイコン」という本の058ページや、
このブログの、チャリティーの起源 という2012年12月10日の記事を読んでください。
親戚の山口静一という叔父は、
アーネストフェノロサと岡倉天心の研究者でしたが
叔父から新納忠之介のことも聞いておりました。
先日の日曜美術館で新納忠之介の特集があり
新納は「文化財になるような仏像は、誰が作っていたかは問題ではない。
それをどう遺していくかが問題だ」という考えで仕事をしており、
実に立派な精神の方だなと思いました。
岡倉天心の指導は正しかったのです。
宗教画を画家個人の欲を満たすために利用しては
決してダメだと思いました。
神父の娘が日本のイコンの方向性をダメにするつもりか!
と思いましたから
白石さんからは一切離れました。
この行動も正しかったと思います。
私は、生き生きとしたイコンを描いていきたいです。
イコンの中の人は亡くなった聖人ではあるけれど
イコンを観る人の中では生きるわけですから
生き生きした美女や赤ん坊やイケメンを描いていきたいです。
、、、刀剣乱舞と似たとこありますね~
イコンに出てくる騎士や戦士は
すごくかっこいいですもん!
私もかっこいい男子は好きですもん!
わかる、わかるよ。
おばちゃんは!
(^ω^)
岡山を罵る発言は
岡山の作家の中では
すごく有名な話でしたが、
私は「まあそれでも大人なんだから
いつかは言わなくなるだろう」と思っておつきあいしていましたが、
ますますひどくなり、
みんな離れていきました。
私も、自分のアクリル画をガレリアプントで展示したときに
白石さんがやってくるなり
「こんなのはダメよ。
絵とは言えないわ」と言われました。
白石さんに私のバラの絵を見せても
「これがバラぁ~?」とか
百合の絵でも「これが百合~?」という表現だけですから
私の絵がおかしいのならば
植物専門の先生に習おうと思って
イコン教室と同時に
植物画を習いに行きましたところ
白石さんは全くそんなことは言わなくなりました。
奇妙な絵の指導だと思いました。
全て白石さん個人の感想を言い放つわけですから
白石さんは絵の神様か⁈と思いました。
白石さんの絵の指導には
ずっと不信感はありましたが、
自分で「正統なイコンの伝承者」と
言われて新聞に載せているくらいですから
イコンくらいはマシな教え方だろうと思っていましたら
金箔の独占販売はあるし、
カビの生えた顔料は使っているし、
教室作品展にかかる経費は計画性なく
高額な請求はあるし
少し絵を知っている生徒なら
不信なイコン教室だとわかりました。
私は、どうにも白石孝子さんの言動が
おかしいので
教室作品展の準備に私が使われる前に
イコン教室は辞めました。
のちに、残った生徒や生徒の家族から
イコンを習いに行ったのに
白石さんのイコン販売を生徒が手伝うようになっているので
ニコライ堂に聞いてほしいと連絡があり
私が正教会に問い合わせたことがあります。
普通の絵画教室とは、とても言えない状況でしたし、
その後も母の聖人を間違えて描いたイコンを
私や母は頼んでもいないのに 渡されたり
「ギャラリーで買ったら10万円もするのよ。
あなた、欲しかったでしょう」と曲がった花瓶や
ギャラリーで販売できないコップをもらったりしたので
母が気持ち悪がり
全て白石孝子さんに送り返したことがあります。
認知症とか、病気ではないかと思い
白石さんの娘さんにも連絡しました。
そんな経緯で、私は白石さんから
精神性のきちんとしたイコンを習うことは不可能でしたから
非常にがっかりはしましたが
白石さんの「私たちはすばらしい芸術家夫婦なんだから
私たちを敬えばいいことがあるわよ」と
繰り返し聞かされた洗脳から
すっかり離れることができ、
今は描きたいイコンを自由に描く楽しみを感じています。
絵の指導者が悪ければ
元から持っている能力も出せないんだなと思いました。
白石さんは私の祖母がたくさんの慈母観音を描いたように
被災地へイコンを贈らないのかな?と思いましたら
「私はプロのイコン画家なのよ。
どうしてタダであげなきゃいけないのよ」と言われました。
これには、驚きがっかりしましたから
離れて本当によかったのです。
私は祖母が関東大震災後に、
半紙にたくさん慈母観音を描いて配った行動に倣いたいのです。
祖母は当時二十歳の若い画家でしたが、
あの時に配った慈母観音を大切に持っておられる方に
母は祖母の葬儀後、会ったそうです。
この行動は祖母の大先生であった鏑木清方の考えでした。
指導者が違うと若い画家の人生さえ変わります。
私は、今は描きたいイコンを描いて
被災地へも贈れますし、
宗教画の世界を楽しむ、と言ったらおかしいかもしれませんが
絵として楽しむことができます。
実際に日本正教会の神父様方にお聞きすると
白石さんのイコンの考え方と正教会の考え方は、全く違うので
白石イコン、セラミックイコンというジャンルを
自分たち夫婦で作っていたのだな、ということがわかりました。
これでは、歴史に伝わるイコンを習う精神性は全くないわけです。
白石さん個人の作り出したイコンを習う必要性はありませんから。
プロのイコン画家って、あまりにもレベルが低すぎて
あれを日本正教会はイコン画家と認めているのか?
と不思議でしたが、
どうやら違うそうです。
私や母が今までで出会った最悪の画家でしたから。
こんな経緯で
まともなイコンを習う場は、今はないので
私は同時介護の合間の楽しみで描けたら満足です。
ともかく、大量のイコンが東北の津波で流された。
仏画は誰か描く画家はいるだろう。
私は少しはイコンが描けるので
とにかく描いて東北に贈ろうと思います。
描ける人は描いてあげてほしいと思います。
アリンビーの考えに基づいたイコンのオークションも準備していますから
待っていてください。
アリンビーについては「ロシア正教のイコン」という本の058ページや、
このブログの、チャリティーの起源 という2012年12月10日の記事を読んでください。
親戚の山口静一という叔父は、
アーネストフェノロサと岡倉天心の研究者でしたが
叔父から新納忠之介のことも聞いておりました。
先日の日曜美術館で新納忠之介の特集があり
新納は「文化財になるような仏像は、誰が作っていたかは問題ではない。
それをどう遺していくかが問題だ」という考えで仕事をしており、
実に立派な精神の方だなと思いました。
岡倉天心の指導は正しかったのです。
宗教画を画家個人の欲を満たすために利用しては
決してダメだと思いました。
神父の娘が日本のイコンの方向性をダメにするつもりか!
と思いましたから
白石さんからは一切離れました。
この行動も正しかったと思います。
私は、生き生きとしたイコンを描いていきたいです。
イコンの中の人は亡くなった聖人ではあるけれど
イコンを観る人の中では生きるわけですから
生き生きした美女や赤ん坊やイケメンを描いていきたいです。
、、、刀剣乱舞と似たとこありますね~
イコンに出てくる騎士や戦士は
すごくかっこいいですもん!
私もかっこいい男子は好きですもん!
わかる、わかるよ。
おばちゃんは!
(^ω^)