深更の 薔薇はかすかに 笛の音を 遠音に聞きて まどろみを脱ぐ
*これは、かのじょが「ひとつの星」という手作りの詩集の中に書いた、この詩を元にして詠まれたものです。
真夜中に ばらは
笛の音で目を覚ます
ふくらんだ実の奥で
水晶のように歌い続ける記憶の
静かに語り始めるのを
聴くために
星も風も海も山も
息をひそめて
ばらがこぼすため息に
耳を澄ます
「深更(しんこう)」は夜更けとか真夜中という意味だ。「遠音(とおと)」は遠くから聞こえる音という意味です。細かいことだが、こうしていちいち書いておくと、心に書き込まれて、自分で歌を詠むときに活用できるでしょう。
薔薇はわたしたちにとっては真実の花です。人間が考える花言葉などとは無縁の考えです。薔薇という花が真実を硬く信じて生きているので、わたしたちはそういうのです。だがこの嘘ばかりが吹き荒れている世界では、薔薇も実に苦し気に咲いている。自分の中の何かを眠らせねば生きていけない。だから今の世界では、薔薇はまるで造花のようにさえ見えるほど、痛い顔をして咲いている。
真夜中の薔薇とは、そういう逆風の時代の真っ最中を生きている真実の人という意味です。
それが笛の音で目を覚ますというのは、神の声を聞いて、そろそろ本当の自分を生き始めるということです。
実の奥の記憶とは、もう人間が忘れ去ってしまった、遠い昔に神が教えてくれた真実のことです。薔薇はそれを忘れてはいない。ひたすらにそれを信じて、闇の世にもこつこつと命をつないでいた。形だけ咲くことの悲しみに耐えつつ、馬鹿にされながらもずっと咲いてきた。
人間は薔薇など、美しいだけで何もわからない馬鹿だと思っていた。だが、薔薇の美しさに惹かれてなんでもやってしまう自分の姿の滑稽さになど、気付いてもいなかった。
真実とは常に人間を惹きつけるものだ。馬鹿にしても馬鹿にしても、永遠にそれを捨てきることはできない。だから人間は、あらゆる技術を弄して、真実を自分に引き付けようとするのだ。
だがその技術というのも、使いつくした。阿呆は手を変え品を変え、美女の心をつなぎとめようとするかのように、あらゆる言い訳をしてきたが、もうどうにもならない現実が降って来ている。それでも何も改められない。闇の世の空を衣のように切り取り、頭からかぶりこんで、世界の変容を認めようとはしない。
真夜中の薔薇が耳を澄ましていたかすかな笛の音は、もう今、耳をつんざく轟音になって、世界を領している。
詩を歌に詠みかえるというのも、実におもしろい仕事ですね。またやってみましょう。