白玉を 酢にも落としし おほひめの 世世を越ゆとも 君にそひたき
*これも恋する女性を歌った歌になるでしょう。白玉(真珠)を酢に落とすというと、思い出すのはクレオパトラですね。「おほひめ(大姫)」とは貴人の長女の姫のことです。クレオパトラには姉がいたそうですが、弟や妹もいた。押し出しが強く長女という雰囲気が強いので、大姫と言ってみました。
クレオパトラは真珠を酢に溶かして飲んだという伝説は有名ですね。真偽は定かではないが、真珠は酢に落としても、色が落ちるくらいで溶けはしないそうですよ。砂糖玉のようにもろいものではない。だが酢に落とされるということは、真珠にとってはつらいことでしょう。
玉は魂に通じますから、白玉を酢に落とすということには、人の気持ちも考えずにつらい思いを味わわせても平気だという意味も入っています。長女という女の子は、よくそんなことをします。上の子というのは、自分より小さい子にそういう強権をふるうことがある。
確かにクレオパトラにはそういう、人を人とも思わないようなところがあった。教養はかなり高く、人を飽きさせない話術や魅力的な声の持ち主ではあったらしい。だが絶世の美女と言われるほどではなかったという揶揄はいつもつきまとっている。もちろん人の嫉みはありますがね。実際は、崇高な美女というよりも、男性を惹きつける魅力的な女性だったというべきでしょう。
クレオパトラは、その人生のうちに、たくさんの男を知りましたが、アントニウスを一番愛していたそうです。なぜならアントニウスが、一番彼女を愛してくれたからです。まるで子犬のような目で自分を見てくれた。そして、会いたかったから会いに来たと言って、自分のところに来てくれるのです。
その男の真剣な気持ちが、クレオパトラの中にまっすぐに入ってきた。そして愛してしまった。もう離れられないと思うほど。
「世世(よよ)を越ゆとも」とはまた生まれ変わってもという意味だ。生まれ変わっても、またあの人に添いたい。あの人と結ばれたい。それほどあの人を愛してしまった。
恋というのは切ないものだ。男としての力量なら、カエサルやオクタヴィアヌスの方が上でしょう。だが、愛というのは、必ずしもそういうものから生えてくるとは限らない。
男の箔や力量よりも、魂そのものから起こってくるものだ。もう、この人でなければだめだというようなものが、起こってくるものだ。そんな恋をしてしまえば、女はもうおしまいなのです。
クレオパトラの霊魂は、今でも深くアントニウスを愛しているそうですよ。