ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

春日野

2017-08-21 04:19:15 | 短歌





月影を 身に打ちかけて 春日野の おもひもかすむ かたき世をゆく





*和歌の世界には歌枕というのがあります。和歌によく詠まれる地名や名所のことです。

「春日野(かすがの)」というのは、その歌枕の一つで、大和国、今の奈良市の奈良公園一帯付近のことをいうらしい。まあそこがどんなところだったのかは、もうはるか昔のことですからわからないが、その地名の響きから、「かすむ」を呼んでいます。歌枕はよくこういう使い方をされるのです。

月の光を肩にうちかけて、春日野よ、心もかすんでしまうほどの難しい世の中を、生きていくことだ。

地名というのには、世界の切れ端がある。そこで何が行われたのか、どうやって人間は生きてきたのか、もう記憶の向こうにかすんで見えないが、名前の響きの奥に泡のように響いて来る何かがある。ですから歌枕というのを使うと、何やら歌に不思議な意味がかぶさりますね。

他にも探してみましょう。

たとえば飛鳥川(あすかがは)というのは、今の奈良県高市郡明日香村から大和川に流れ込む川のことだが、洪水のたびに流れが変わることから、世の移り変わりの早さの譬えに用いられたりしました。




世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる    よみ人しらず




これは有名な歌ですね。世の中というのは常に定まっているものではない。飛鳥川のように、昨日は淵だと思っていたところが、今日は流れの早い瀬になっている。そんな風に目まぐるしく、世の中はうつろっていく。

ほかには、印南野というところがあり、これは播磨国の地名で、その言葉の響きから、「否」を導くのに使われました。




印南野をまよひてとひしいはやどに月をこひてはいなといはれぬ




これはわたしの作です。印南野というところをまよって岩戸にたどり着き、月に会いたいといっても否と言ってことわられたと。まあそういう感じです。印南野というところがどういうところであるかは知らないのだが、なんとなく鄙びた家の少ない寂しい野原のことなど思いつつ詠みました。

枕詞と違って、それほど確定性はない。あれば面白いなという感じで、時々応用してみればいいでしょう。

古語辞典を繰れば、歌枕の一覧が載っていますよ。時々見てみてください。







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夏の蝉

2017-08-20 04:21:17 | 短歌





日はたけて 明るき小野に 風は冴え しづかにうたふ 夏の蝉かな





*明るい情景が見えて来そうですね。これは思想を歌ったものではない。目に見える風景をそのまま詠みこんだものです。だがそれだからこそ湧き上がってくる心がある。

神が作ってくださったこの世界には、人間の心の奥にある何かを引き出そうと常に光っている心があるのです。

「たけて」は「長く(たく)」で、日が高くなるという意味の動詞です。日本語の古語にはこういう、短い言葉で状況や動作を表す言葉がたくさんありますので、いろいろと覚えておきましょう。二文字の動詞は便利です。たくさん収集しておくことをお勧めします。

「知る」「泣く」「刈る」「矯む」「射る」「止む」「噛む」「冴ゆ」これだけでもなんだかすごく面白いことができそうでしょう。歌に詠むときに、「鳥は鳴く」では普通だが、「鳥は射る」などと言うとまた変わった響きになる。鳥が矢を射るように鳴く、という感じにとれますね。いろいろと試してみてください。表現力が広がります。

日が高くなり、明るい野原に、冴えた風が吹き、蝉が静かに鳴いている。

もちろん、蝉はあまり静かではありません。むしろ相当にうるさい。だがうるさすぎて、何も聞こえないほど静かに聞こえることがある。夏の情景の一つです。それを短い言葉で詠うと、「しづかにうたふ」と詠めるわけです。

情景描写というのは大事です。人が感じることとは別のことを感じている、自分というものを表現できる。あれこれと理屈や恋心を歌う歌もよいが、たまにはこういう歌もよいでしょう。




こぬれすく影をたくみてあまつ日の千々の涙と見ゆる夏かな    夢詩香




夏の木漏れ日の情景を詠んでみました。いかがですか。ここにも二文字の動詞「透く」がありますね。木の梢を透いてくる光を巧んで、それが太陽の千々の涙のように見える。まぶしい夏だと。

自画自賛ですが、なかなかです。






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白飴

2017-08-19 04:20:54 | 短歌





白飴の 甘き香りの 夢に満ち すくひをねがふ 月ぞこひしき





*ツイッターでは、「白飴」を詠った歌も多いですね。かのじょが瑠璃の籠で、人々のために飴を作ってやりたかったのにと書いた詩に元を発しているのですが。

甘い愛の心で、人間を助けてやりたかったのに、できなかったという詩でした。

あなたがたは時に、世知辛い世の中を生きていくには、甘いやさしさなど愚かなものだと言いたがりますが、それは間違いですよ。甘いやさしさを持つ人も、天使のように進化していけば、すばらしいことができるようになるのです。

本当に、甘い心で人を救うことができるようになる。実際、かのじょが無事に天命を全うしていれば、その心と力で、救えた人間の数は一段と増えたはずなのです。

それを馬鹿にして駄目にしてしまったのは、愚かなどというものではありません。

美女の形をしていたというだけで、頭から何も信じようとせず、でたらめばかりをやって、大勢で総攻撃をしかけた。ねたましかったのです。美しいのに、不幸にならないことが。

甘いことをいう女など馬鹿なのだということにして、嫌なことばかりして、嫌な奴にして、みんなであざ笑おうとした。それがなかなか思い通りにならないので、みんなで狂ったのです。人一人を不幸にするためだけのために、大勢の人間が、自分の人生を使ってしまった。他には何もしなかった。甘いのは、そういう馬鹿の方ですよ。

嫌なことをすれば人間を嫌な奴にすることができると思っていた。苦い自分の人生を誰かのせいにして、そいつを最も嫌な地獄に落として、楽しもうとしたのです。醜いですね。だれも、こんな結果が来るとは思っていなかった。まさか、自分のほうが負けるとは。

かのじょだけが助かって、みんなが沈んでしまうとは。

平気でやったことが自分に返ってくる時になって、馬鹿はようやく気付くのです。その時には何もかもが遅い。

白飴のような甘い香りが夢に満ちてくる。そのように甘いやさしさで人を救おうとしていたあの月が恋しい。あの人がいれば、たすかったろうに。

だが気付いてももう遅い。馬鹿はいつもそれだ。苦いことをするほうが勝つのだと言って、苦いことばかりするのだが、結局はいつも、甘いやさしさに頼っていく。自分がした苦いことが自分に返ってきたら、助けてくれと言って、人に甘いやさしさを請うのです。

昔は、そういう馬鹿な者にも、苦い顔をしつつ助けてくれたものもいたのだが。

そろそろその愛想もつきたようだ。







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白樺の門

2017-08-18 04:24:38 | 短歌





あまたよの 夢の柱を めぐりきて けふおとなひし 白樺の門





*たまにはかのじょの作品をとりあげましょう。これは「恋のゆくへ」に発表されたものですね。2008年の作です。

いくつもの時代をめぐりきて、今日あなたはやっとたどりついたのだ。白樺の門に。

「門」は「かど」と読んでください。「もん」より涼やかでいいでしょう。「かど」というと、曲がることをなんとなくにおわせる。そう言うとわかりますね。迷いの道を巡り巡ってきた人間が、ようやくそれを改めることのできる門にたどりついたのだと、そういう意味が生じる。

白樺というのは、幹が白いとても美しい木です。ここらへんには生えていないので見ることはできないのだが、写真や絵の中で見る白樺はいかにも清らかでまっすぐに立っている。馬鹿が見ればいやらしいと思うほど、美しい。

そういうものの、真実を見てしまえば、人間は変わらざるを得ないということなのです。

しかし馬鹿なことを何千年と続けてきた人は、急には変われないものだ。白樺のように美しい真実を見ても、最初はこれをまるっきり嘘だと思い込む。それでその嘘を暴こうと、あらゆる愚かな知恵をまわし、あらゆる愚かなことをする。ひっくり返してもひっくり返しても、同じ顔ばかりが見えるカードを見て、自分の信じていることが間違いだとは思いもしない馬鹿は、焦りに焦って、狂ったように嫌なことをし続けるのです。

すべてが崩壊しきってしまうまで、それをやめられない。

真実というものに、裏も表もないものだということが、勉強してわかっていなければ、人間はこういう深い誤謬に陥り、迷いの闇に取りつかれたまま際限なく落ちてゆかざるを得ないのです。

わかりますね。白樺の門というのは、まさに、真実の門の隠喩です。

あなたがたはかのじょという人に出会うことによって、長い過ちの日々から真の世界に出られる門にたどりついたのです。しかしあなたがたは、真実というものの、真実をまるで知らなかった。だから、こんなものは嘘だと頭から信じ込んで、徹底的に壊してしまったのです。

無知ほど怖いものはない。何も知らないから、それが自分の破滅をおびき寄せることだとは気づかずに、徹底的にやってしまったのです。気づいた時には何もかもが遅い。

もう何度でも言ってきたことですから、今回はこの辺で留めておきますが、もうこの原稿が発表される頃には、自分のやったことの結果を十分に味わっていることでしょう。

白樺の門は壊れてしまった。だからあなたがたはそこから出てゆくことはできない。ではどこにいけばいいのか。

それを知りたいのなら、もう二度と同じ真似をしてはいけません。どうすればいいのかは、自分で考えなさい。







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ためし

2017-08-17 04:20:19 | 短歌





過ぎたるを 過ぎて久しく なりぬれば 過ぎて及ばぬ ためしなるかな





*これはツイッターで発表した、獅子の作品です。気づいているでしょうが、ツイッターで獅子と名乗っているのは、瑠璃の籠の名ではゾスマにあたります。

彼は今も、この存在の活動においては、重き存在感を示してくれるのです。霧の風景はおもしろかったでしょう。実に彼らしい表現です。

わたしたちがこの多重人格活動を始めてから、しばらく経ちますが、慣れてきたとはいえ、やはりどこか常に、自分に無理をさせているという実感はつきまといますね。こんなことは、本当は絶対にしてはいけないからです。わたしも主体をやっていた時、最初は失った自分の肉体を取り戻せた気がして、うれしいと思わないでもなかったが、いろいろと、かのじょと自分の違いを感じているうちに、つらくなってきました。

短期のうちに主体を変わってもらったのはそのせいです。主体をやれるのは、よほど強い天使でなければできません。それはやってみてわかりました。

今のわたしは、主体でもサブでもなく、守護霊の位置からこの存在に影響して表現しています。一時期のわたしの文章と雰囲気が違うことを感じる人もいるでしょう。今の主体がわたしに大きく影響しているからです。

この活動が終わったら、どんな結果が待っているかなど、考えている暇はない。とにかく今は、やれることは何でもやって乗り越えねばならない。

助け合わねばできることではありません。かのじょもそうだったが、わたしたちも無理をしすぎている。だが、それでも、収穫となるものは実に少ない。自分の血を総身に浴びるほど努力しているというのに、変化と言えばごくわずかだ。

そういう実感を歌ってくれたものが、表題の歌でしょう。

笑うしかない。

まあ、深く考えていては何をすることもできません。

つらいのは、なんでもやっているわたしたちではなく、何もやらないあなたがたの方なのですから。






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すずめ

2017-08-16 04:20:42 | 短歌





庭に来し すずめかはゆや みのうへを ちゅんちゅんわれは ちひさきといふ





*やあ、これはかわいいですね。すぴかの歌です。彼はこういうのが上手だ。

しかしこれは真実を言い当てています。雀というのは面白い鳥で、自分で、自分が小さいということがわかっているのです。本当ですよ。それで人を少し馬鹿にしてもいるのです。

人里に住んでいて、人の近くにいつもいるくせに、人が近寄って行くと逃げていく。かわいい鳥だが、見ているとちょっと嫌な感じがするでしょう。それはいつでも、雀が人間を冷ややかに見ているからです。

動物の魂というのも、馬鹿ばかりではないのですよ。わかることはわかる。そしてかなりの影響力を、人間の及ぼすのです。

この後に、もう一つありましたね。




庭に来し すずめかなはぬ 人を見て ちゅんちゅんなれも ちひさきといふ




まさにこのとおり。雀はこんな風に人間を見ているのです。そして愚弄とまではいかないが、かなりきついことを、人間に言っているのですよ。どんなことを言っていると思いますか?

そんなことばかりしていると、ひどいことになるよと、言っているのです。ばちがあたるよと。

本当ですよ。嘘だと思うなら、新しい感性を広げて、雀を見てごらんなさい。きっとそんな風に言っているような感じがするはずです。

このように、動物というのも、いろんなことを考えている。そしていろんなことをしているものなのです。なかなかに侮れない。

それなりの感性も持っていますから、人間が奢っていじめすぎると、大変なことになることもある。馬鹿にしてはいけません。

鶏などはもう、人間に奉仕したくないと思っているのです。毎日卵を産まされて、全部人間がとっていく。肉を与えても、感謝もしない。暴力的にむさぼりとられているうちに、鶏の魂の中に、もういやだという感情が生まれたのです。

ですから、近い未来のうちに、人間はもう養鶏をやめねばなりません。それは約束しなさい。今当然のように食べている卵も、だんだんと食べられなくなってくるでしょう。

すぐにでもやめたほうがいいのだが、なかなか現実的にはうまくいかないものがある。つらいことでも我慢してやってくれる人が今は誰もいないからですが。

このツケはいつか、高いものとして人間に返って来るのです。人間はそんなこともまだわからないから。

雀に小さいと言われるのです。






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我が名

2017-08-15 04:19:44 | 短歌





しほからき 酒と思ひし 酢の壷に こもりし蛇に 我が名を告げよ





*これはかのじょの作品です。2008年のもの。明調ですね。実にくっきりと美しい。神にも人にも恥ずかしいことをしていない、真っ正直な人だからこそ詠える歌です。

塩辛い酒だと思っている壺の中にこもっている、蛇のように迷っている人に、わたしの名を告げなさい。

わたしはその人たちを導くためにきたのだから。

名とは、その存在の真実を言い表すもの、その存在そのものを表すものです。ですから美しいものには美しい名がつきます。

前に彼がつぶやきで、ソウル・ネームについて言っていましたね。実にすべての存在は、霊魂の世界で自分の名前を有しているのです。それはそれは、自分にぴったりの美しい名前を持っているのです。

かのじょの霊魂の世界での名前も、素晴らしいですよ。岩のように硬い男、という感じの名前がついているのです。日本の神話の名前を探せば、イワレヒコというのに近いですね。信じられないでしょう、あの顔からは。コノハナサクヤヒメなんてのが合うと思っているでしょう。だが、神は本当に真実を見なさっている。

岩のように硬いからこそ、彼は真実を裏切ることなど一切できない。あくまでも愛に忠実に、まっすぐに行く。おまえはそういう男なのだと、神はその名を通して彼に語り掛けるのです。彼と言ったりかのじょと言ったりややこしいですね。そこは読み手の方で読み取ってください。

表題の意味はこういうことだ。嘘が大嫌いで真実のみのために生きる、まっすぐなやつが来た。その嘘の世界にこりかたまって、酢を酒と思い込んで飲んでいる、蛇のようにしつこいやつに、もうそろそろやめろと言いに来た。

その通り。かのじょはその表現を通して、何度となく言っていました。もう馬鹿な世の中はそろそろ終わるから、まっとうに生きましょうと。

しかしその歌を、真っ向から馬鹿にしていたのが、人間なのです。彼らは気付かなかった。永遠に馬鹿なことがやり続けられるのだと信じていた。馬鹿なことをやれば、みんなに勝てるのだと思い込んでいた。

それが大変なことになるのだとは、思ってもいなかったのです。

本当に愚かだ。あの時かのじょのメッセージに気付いていればよかったものを。何もわからなかったから愚弄しつくしてしまった。そしてその後には、イワレヒコではない全く別の名を持った天使がやってくるのです。

試練という名の。

和風に言えば、アラシヒコとでもいえばよいのか。嵐のように試練をもたらす男という意味です。






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さらさうじゅ

2017-08-14 04:19:49 | 短歌





さらさうじゅ 枯れていたみし 心にて 栄えまつらむ 札の落つれば





*今日は、ツイッターで沙羅の名で歌を詠んでくれている人の歌をあげてみましょう。沙羅は沙羅双樹の沙羅です。なんとなく匂いますが、あなたがたが思い浮かべている人とは別の人ですよ。その人よりは、やや厳しい人です。

前にも言ったと思いますが、沙羅双樹は二本の沙羅の木という意味で、釈尊が入滅したときに、鶴の羽のように白くなって枯れてしまったと言います。

あの美しい人が逝ってしまったのが、よほど悲しかったらしい。その心で、栄えてさしあげようと言っている。

沙羅双樹が枯れて釈尊の死を悼んだのと同じこころで、今度は茂り栄えてさしあげましょう。かの札が落ちたときには。

札というのは、わかりますね。トランプのことです。トランプは英語で切札の意味がありますから、そういう言葉で表してみたのです。まあ、言いたいことは、あまり説明しなくてもわかるでしょう。

この原稿を書いているのは、じつは7月8日です。G20が行われているときですよ。各国の首脳に並んで、しっかり彼も写真に納まっている。その図を見て、あまりにもあわれだと感じる。

かたちだけ見回してみれば、彼はひときわ体が大きい。だのに、首が微妙に折れている。まっすぐではないのです。まるで後ろから誰かに支えてもらって、ようやく立っている案山子のようだ。

実際、そんなものなのだ。人類の新たな段階を夢見る各国首脳の集いの中で、独り、アメリカの代表だけが、大嘘なのです。いえ、あれだけが、人間ではないのです。

未来の人はあの写真を見直すとき、一体何が起こっていたのかを、如実に知ることでしょう。

しかしアメリカは幸福だ。王がいる。馬鹿な大統領が選ばれても、ぎりぎりの線で助かっている。だが、こんな危機は二度とないようにしましょう。

次こそは、最もふさわしい人を、大統領に選んでください。






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玉の照り

2017-08-13 04:21:31 | 短歌





思ひ出は 乱れ散りぬる 玉の照り 水を染めにし 野ばらの香り    夢詩香





*今日は美しいのをいきましょう。これはツイッターの歌の中でも、評判が良かったものです。

「玉の照り」という響きがとてもよかったらしい。「玉の光」とも「つやめき」とも違う。単純で古代的な「照り」という言い方が、素朴に玉の美しさを感じさせるらしい。

そのせいか、この歌の跡にも、本歌取りぽい歌がいくつかできました。

ひとつそれも紹介してみましょう。




おもひでは 乱れ散りにし 玉の照り なきのうれひを 捨て果てし月




思い出は乱れ散ってしまった玉の照りのようだ。水を染めた野ばらの香り。なにもないということへの悲しみを、捨て果ててしまった、月のようなあの人。

絵画のように情景を描写しているだけだが、なかなかに美しい。一つの幻想的な絵画でもできそうなほどです。

このように、美しいことばを並べるだけでも、けっこういいものができますよ。自分の表現力を駆使して、凝った表現をこめて、おもしろい歌を詠んでみてください。もうひとつつくってみましょうか。




おもひでは 目にも溶けくる あはき雪 ゆふべにしるき めまつよいぐさ




思い出は、目の中に入って来て溶けてしまった淡い雪。ゆふべにはいって目にも覚めるほどしるく咲いた、めまつよいぐさ。


どうですか。情景が思い浮かんできましたか。思い出の中にある印象を切り取って、コラージュのように切り貼りしてみるだけでも、結構楽しく詠めますね。






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珈琲

2017-08-12 04:20:04 | 短歌





ぬばたまの 珈琲にとく 月影の かすかに甘き ひとりのいほり





*今日は、枕詞の応用について語ってみましょう。これは、ツイッターで蘭が歌ってくれた歌です。

ぬばたまとは、ヒオウギの実のことです。その実が黒いことから、「ぬばたまの」は、「黒」とか「夜」とか「髪」とか、とにかく黒いものを思わせる言葉にかかります。

ぬばたまの夜の香りを身に納めけふを去りつつすぐす閨かな    夢詩香

というふうにね。しかし、こういうことも硬く生真面目に守りすぎることもない。黒いものなら何でもいいというわけではないが、そういうものをぬばたまに結び付けると、また言葉の意味が鮮やかに印象付けられます。

ぬばたまの オブシディアンは 夢を見る かはたれに呼ぶ 神の祈りを

こんなふうにね。オブシディアンは黒曜石のことです。とても黒いきれいな石のことです。遠い昔には石器にも使われた。古代のイメージのするきれいな石のことですから、黒人の肌をイメージするためにこれは使いました。

ほかにも、「ぬばたまの男」なんてのがありましたね。もちろん黒人のことです。こういうふうに、枕詞は柔らかく使えばまたおもしろいものになる。

子規はきらいですが、この歌だけは覚えているという人もいるでしょう。




久方の アメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも    正岡子規




「久方の」は「天」とか「月」にかかる枕詞です。「あめ」とアメリカ人の「アメ」をかけて作ったのだが、これがおもしろいので、わたしたちも使わせてもらいました。




久方の あめりかびとは みづからを まほの国とぞ 世に宣るがよい




おもしろいですね。柔らかく言葉を使ってみると、いくらでも応用ができます。ほかにも一つやってみましょうか。枕詞の定番と言えば、「ひさかたの」と「ぬばたまの」に「ちはやぶる」「あかねさす」くらいだというところか。「ちはやぶる」は「神」にかかりますから、いくら何でも神をもじることはちょっと難しいですね。では。




あかねさす ヒルデガルトの 見し夢は 銀の御里の いのりなるべし 




ちょっと衒学的ですね。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのことなど知らない人が読んでもなにもわからない。ですが、「あかねさす」は「昼」にかかるので、ヒルデガルドでひっかけてみました。

遊びの要素もありますがね、おもしろいので、やってみてください。






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