月影を 身に打ちかけて 春日野の おもひもかすむ かたき世をゆく
*和歌の世界には歌枕というのがあります。和歌によく詠まれる地名や名所のことです。
「春日野(かすがの)」というのは、その歌枕の一つで、大和国、今の奈良市の奈良公園一帯付近のことをいうらしい。まあそこがどんなところだったのかは、もうはるか昔のことですからわからないが、その地名の響きから、「かすむ」を呼んでいます。歌枕はよくこういう使い方をされるのです。
月の光を肩にうちかけて、春日野よ、心もかすんでしまうほどの難しい世の中を、生きていくことだ。
地名というのには、世界の切れ端がある。そこで何が行われたのか、どうやって人間は生きてきたのか、もう記憶の向こうにかすんで見えないが、名前の響きの奥に泡のように響いて来る何かがある。ですから歌枕というのを使うと、何やら歌に不思議な意味がかぶさりますね。
他にも探してみましょう。
たとえば飛鳥川(あすかがは)というのは、今の奈良県高市郡明日香村から大和川に流れ込む川のことだが、洪水のたびに流れが変わることから、世の移り変わりの早さの譬えに用いられたりしました。
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる よみ人しらず
これは有名な歌ですね。世の中というのは常に定まっているものではない。飛鳥川のように、昨日は淵だと思っていたところが、今日は流れの早い瀬になっている。そんな風に目まぐるしく、世の中はうつろっていく。
ほかには、印南野というところがあり、これは播磨国の地名で、その言葉の響きから、「否」を導くのに使われました。
印南野をまよひてとひしいはやどに月をこひてはいなといはれぬ
これはわたしの作です。印南野というところをまよって岩戸にたどり着き、月に会いたいといっても否と言ってことわられたと。まあそういう感じです。印南野というところがどういうところであるかは知らないのだが、なんとなく鄙びた家の少ない寂しい野原のことなど思いつつ詠みました。
枕詞と違って、それほど確定性はない。あれば面白いなという感じで、時々応用してみればいいでしょう。
古語辞典を繰れば、歌枕の一覧が載っていますよ。時々見てみてください。