比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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多摩川・・・羽村の堰で・・・郷土博物館を見た

2010-06-05 | 古民家の風景
東京都羽村市・・・羽村の取水堰・・・1654年開削された玉川上水の取水源に物見遊山に行ってきました。

羽村市・・・多摩川が奥多摩の山地から出て青梅に、さらに武蔵台地、多摩丘陵に挟まれ流れるあたりが羽村。1652年徳川四代将軍家綱の代に幕府は江戸市中の上水不足の解消のために玉川上水の開削にかかります。この大プロジェクトの総奉行は松平伊豆守信綱(老中)、水道奉行伊奈忠治(関東郡代)、工事請負はのちに玉川兄弟といわれる町人(町人請け)。羽村から四谷大木戸まで43km、ブルやユンボなどの土木重機もなかった時代にわずか2年でこの工事を完成させます。これについては省略して、まず、郷土博物館に行きました。駐車場がここしか見つからなかったのです。

奥多摩街道から羽村大橋を渡って多摩川右岸に。羽村市郷土博物館・・・入館料は無料。
主力は羽村取水堰の説明パネルと、とうじの木樋とか。さらに江戸末期からの蚕業。丘陵地が多く水田の少なかった羽村は米作以外の農業が主力でした。。明治の時代に入り群馬、長野の産業の技術を導入、改良し、地場産業として大いに栄えたようです。この展示物が目を引きました。

裏の広場に下田家住宅・・・市内羽西の農家を移築。国指定有形民俗文化財、1847年建築。
草むしりをしていた方とお話しました。30坪ぐらいですかと聞くと29坪と答えてくれました。機織機の話とか桑の実を食べた話とか・・・ボツボツ茅葺の葺き替えの時期なんですよ・・・というようなお話をしました。


玄関から通し土間に。竈などが土間に。土間の左側、箱のようなものはお茶揉み台。お茶の生産地でもあったのですね。お勝手が右に。中央広間(リビングです)に囲炉裏が、奥の右側が寝所?奥左が奥の間、奥の間には縁側もあり機織器が置いてありました。29坪ですから広くはありません。お蚕を飼うには少し狭いような感じがします。でも平均的なお百姓の家だったのでしょうね。移築前は田の字(4間構造)・・・大広間がデイ(応接間兼居室)とリビングに改装されていたようですが、建築当時の3間構造に直したようです。


郷土博物館の裏庭に石仏が数基ありました。
清月童女 霊位
辰 元禄十三年七月十日

と読みましたが・・・?・・・元禄13年とは1700年です。幼くして亡くなった子どもの供養でしょうか。同じ童女のフォームで名前の違うのがありました。


駐車場から堤防を上がると多摩川の河川敷が。それは次回に




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