桜はもう陰をつくらない。
薄色の花弁は散りゆき、陽が枝葉を透かして差し込む。
ちょうど1年ほど前、この川べりの石段に
桜の木がつくる陰にすっぽり包み込まれるようにして
若い2人が座っていた。
少し早めの昼食だったのだろうか、
近くのスーパーのレジ袋からドーナツみたいな
そんな形をしたパンを取り出した彼女は、
かすかな笑みを浮かべながら彼に渡した。
同じように缶ジュースも。
彼は無言のまま手を差し出して受け取り、
時折彼女の方に目をやりながら
パンをかじり、合い間にジュースを飲んだ。
年の頃は2人とも30前後と見えた。
2人は2人きりの時をはしゃぐでもなく、
浮かれるふうもなく、年相応といえばそうなのだが、
物静かなたたずまいであった。
2人の前を通り過ぎ、50㍍ほど進んだ時、
がしゃという音がした。
振り向けば、踏みつぶされぺしゃんこになった
缶が彼の足元にあった。
少し先の川べりの小さな砂場に
保護犬・マナの姿を、やはり1年ほど前から
それこそぷっつりと見なくなった。
当時、4歳のメスの柴犬だった。
生まれて間もなく捨てられ、動物愛護管理センターで、
あるいは殺処分されかねない身の上だったのを
新しい飼い主に引き取られ、安穏に暮らしていた。
それでも「いまでも人への警戒心が強く、
こうやって外に出るのも、この砂場遊びの時くらい」
マナを慈しむ新しい飼い主はそう語っていた。
だが、新型コロナウイルスの感染拡大により
福岡も緊急事態宣言となった昨年4月以来、
この砂場には姿を見せなくなった。
今日も川べりを歩きながら、あの愛らしい
マナの面影を思い浮かべる。
惜春――そして次の季節を迎える準備をする。
日本最大の阿蘇の野焼き。
ダニや人畜に有害な虫を駆除するとともに
牛馬の餌を育てるのである。
そして、あの夏の草原の美しさを演出するのだ。
わびしくもあり、眩しくもある季節の移ろいである。