友人の秋重南海男さんのエッセイ「柚子風呂」が、
第36回「香・大賞」(香老舗 松栄堂主催)で、
見事金賞に輝いた。
彼は3年前、奥方に先立たれ、
俗にいう〝おひとりさま〟。
炊事、洗濯、掃除と「家事に助けられて」
毎日を送っている。
そんな日常の中で風呂に浮かぶ柚子の香り……。
「こんなささいな事で一日が足りた」と感じるのである。
日常を淡々と語る口調に引き込まれていく──。
断りを得て、ここにご紹介したいと思う。
また、YOU TUBEには、その朗読もアップされている。
第36回「香・大賞」金賞朗読
家事に助けられて、毎日を送っている。
炊事、洗濯、掃除がもしなかったらと思うと、ぞっとする。
強がりで言っているのではない。
七十六歳の一人暮らしの男の本音なのだ。
三年前、妻に先立たれた時
「ちゃんと生きてね、だらしなくしちゃだめよ」
という妻の言葉に、途方に暮れながらも、
そうしようと思った。
「ちゃんと生きること」がなにを意味するかは
今でも分からないが、家事に追われて日々を送るうちに、
なんとなくこれでいいのだと思うようになった。
特別なことは何もない、自分で食事を用意する。
三度から二度にはなったが、朝食、夕食は手を抜かず、
それなりの献立になっていると自負している。
人と比較する必要はないのだ。
洗濯も掃除も曜日を決めてやっている。
洗濯は好きな方だが、この頃は天気を見てやるようにもなった。
買い物にも冷蔵庫の中を確認して行くようになった。
偏りのないメニューも考えるようになった。
自慢できるようなことは何一つない、
この当たり前の毎日を受け入れ、
こころ穏やかに暮らす。
八百屋できれいな柚子を見つけた。一個六十円、五個買った。
今日は風呂を掃除する日だ。特に念入りに排水溝まで洗った。
まだ陽の残るうちから、新しいお湯を張り、柚子を浮かべた。
これだけでも何か心が躍る。
お湯の中で柚子を泳がせると、
柚子の踊りに合せて特有の香気がたつ。
香りが肌にやさしく纏わりつく。
こんなささいな事で今日の一日が足りたような気がする。
今年はコロナ、コロナで緊張と不安の中に日々が流れ、
マスクのせいばかりではない息苦しさに身を潜めた。
柚子風呂につかりながら、
世間がどうあろうとも、世界がどうあろうとも、
「俺もちゃんと生きているぞ」
ここちよい湯の中で手足を伸ばした。