30本のバラ
つけっ放しにしていたラジオから加藤登紀子の「百万本のバラ」が、
夕食の支度をするキッチンのカタコトという音に紛れ込んでくる。
月日とともに流れ薄れていく記憶が、
時に何かに触発され引き戻されることがあるように、
この歌は、やはり亡き夫を思い出させる。
出会って以来、彼は私の誕生日には欠かさずバラの花束を贈ってくれた。
それも30本も。貧しい絵描きが、小さな家とキャンパスを売り払い、
街中のバラをすべて買い、恋する女優に贈った100万本にはとても及ばないが、
その30本は、彼の思いのたけが込められているはず、
そう信じ素直にうれしかった。
「誕生日は忘れないで花束を贈るが、
その女性の年齢は忘れているのを紳士という」
なんて、臆面もなく気障な言葉を添え、
深紅の時もあれば、柔らかなピンクの時もあり……
結婚してからもつましい暮らしではあったが、
それはこの世を去るまで続いた。
彼と別れてもう15年になる。
正月早々のあの日、私は自分の人生も一緒に終わってしまったと思った。
頼りにしていた人を失くし、たった一人で生きていく。
これからの自分の人生はもう、未来も、希望もない、
モノクロの世界に入ってしまったようにさえ感じた。
周囲の慰めの言葉も心には届かず、空しく響くだけだった。
心は閉じていくばかりで、誰とも話したくなくなり、
気遣ってくれる母さえ寄せ付けない鬱の状態が数カ月も続いた。
なぜ、CHIEKOのことを思い出したのか、今でも判らないが、
ふと思い立って、彼女の住む海辺の街を訪ねた。
CHIEKOは離婚し、難病の娘を10年以上も
介護しながら細々と暮らしている。
苦労しているはずなのに、久しぶりに会った彼女はまったく違っていた。
何と明るく屈託がないことか。
その生活すら楽しんでいるように思えるほどであった。
そんな彼女を見て、私の閉ざされていた心が、
かすかではあったが開いていったのである。
CHIEKOには、今まで素直に話せなかった気持ちを包み隠さず話せたし、
虚ろだった私の心は高まっていき、ついにはまさに臆面もなく号泣したのである。
彼女は静かに耳を傾けてくれ、頷いているだけだった。
それだけでよかった。
吐き出した言葉と涙の量だけ、心が軽くなっていった。
帰途、海沿いの高台に登り、落陽を眺めた。
20分ほど佇むうちに、海が静かに太陽を飲み込んでいった。
自然の織り成す荘厳さが心を打つ。
人生の黄昏も独りで乗り切れるかもしれない。
そんな思いが、かすかではあったが湧き始めたのである。
偶然、花屋の前を通りかかると、見事な白いバラが……。
惹かれるように見入ってしまった。
すると、ガラスケースに彼のニヤリとした顔。
大変、大変! 今日は彼と別れた記念の日だった。
「ごめんなさい」──ありったけの白バラを抱え、家路を急いだ。
「どう 私もしっかり生きているでしょう」