暑い。歩くのさえ嫌になる。
信号は赤。電柱1本がつくる陰の中に身を潜め、
夏の陽から隠れるようにして信号が変わるのを待つ。
同じように側に立つ小学生と思える3人組も
帽子の隙間から額、頬へと汗を滴らせ、
多少あえいでいるように見える。
海水浴なのか、それともプールなのか、
ビニールバッグから水着らしきものがのぞいている。
夏休みなのだな。ふいっと思いが70年ほども前に飛んでいった。
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小学生の僕——夏休みになると決まって小さな木札を
ネックレスみたいに首から下げていた。
長崎港口付近に「皇后島」という小さな島の海水浴場があった。
ただ、長崎市民は「皇后島」と呼びはしなかった。
「ねずみ島」親しみを込めてこう言った。
木札はその島への夏休み中の定期券だったのである。
ここは単に海水浴場というだけでなく、
長崎游泳協会のおじさんやお兄さんが子どもたちに
古式泳法を教える場だったから、多くの小学生は夏休みになると、
この木札を買ってこの島へ通って泳ぎを覚えたのである。
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「ねずみ島」の通行手形だった木札
僕は違った。僕を泳げるようにしてくれたのは
游泳協会の人たちではなく、近所の中学生のお兄さんたちだった。
ボートで沖まで連れて行き、足が届かないところまで来ると
数人がかりで僕を抱え上げ、海へ投げ込むのだ。
泳げない僕は当然、アップアップと溺れそうになる。
その頃合いを見計らってお兄さんたちが引き揚げてくれるのだ。
そうしたことを何度も繰り返していると、
自然と泳げるようになっていく。
僕だけではなく、泳げない子はたいていここに連れていかれ、
投げ込まれ、鍛えられたのだった。
何とも乱暴なやり方だと思えるが、
ライオンが我が子を崖から突き落とし鍛錬するのと同じようなものだ。
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ありし日の「ねずみ島」
こんな近所の子どもたちの交わりは、海でのことだけではなかった。
山に行けば木の枝を切ってチャンバラごっこをしたり、
トランプ遊びで負けたら顔中に墨を塗られベソをかいたりと、
何かにつけ中学生のお兄さんをリーダーにして
近所の子たちが徒党を組んで遊び回っていた。
そこで、社会における大事なルールをさまざまに学んだような気がする。
アナログな、良き時代だったと思う。
あの「ねずみ島」は、周辺の開発事業に伴い昭和47年閉鎖され、
遠い思い出を残すのみである。
強い夏の陽射しとデジタルな世界に、
くらっくらっと目をくらませ、あの頃を懐かしむ。