下女の清がそう呼ぶ『坊っちゃん』の赴任先・四国の中学校には、
『狸(校長)』『赤シャツ(教頭)』『山嵐(数学教師)』
『野だいこ(赤シャツの腰ぎんちゃく)』『うらなり君(英語教師)』
といった面々がおり、
さらに花を添えるように『マドンナ(うらなり君の婚約者)』が登場する。
夏目漱石の「坊っちゃん」が、漱石の作品の中で
最も多くの愛読者を持っているとされるのは、
登場人物をあだ名で呼ぶなど人物描写の滑稽さ、
文章の徹頭徹尾の面白さであり、漱石作品としては他にはない
大衆性が多くの読者を引き付けるのだと評されている。
『ゴリカッパ』何ともひどいあだ名を、それも女性に対してつけたものだ。
高校の時の音楽教師・荒木先生には申し訳ないやら、お気の毒やら。
強く弁明しておくが、決して僕が付けたものではない。
いつの頃からかは知らないが先輩からずっと受け継がれてきたらしい。
そんなあだ名をつけられるほどの、
何と言うか〝お顔立ち〟ではないと思えるのに、
先輩たちはどこをどう見られて、こんなひどいあだ名にしたのだろう。
けしからぬことだ。そう憤ってみても、
「たかがあだ名のことじゃないか」と誰も相手にはしてくれない。
ある日の授業で、どういうことだったのか覚えてもいないが、
荒木先生は全員合唱する形でフランス国歌
『ラ・マルセイエーズ』を教え、歌わせた。
そして、だいたい歌えるようになったのを見計らい、
何を思われたのか知らないが「はい○○君、一人で歌ってみて」と
僕を名指ししたのである。もちろんどぎまぎするばかり。
そんな僕にはお構いなしに、『ゴリ……』、
いや荒木先生はピアノを弾き始めた。
「ええい、もう」まさに意を決して歌い始めた。
「アロン ザンファン ドゥ ラ パトリーエ」
たどたどしいフランス語で、どうにか一番を歌い終えた。
親友が「ヨッ」と声をかけ、拍手してくれ、
それにつられるようにパラパラと続いた。
以来、僕は荒木先生のお気に入りの生徒の一人になった。
廊下ですれ違うと、「おはよう、アロン君」と言うものだから、
近くを歩いていた女生徒二人が、「えっ」「何っ」顔を見合わせ、
すかさず「ぷっ」と吹き出した。
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロン
しばらくすると、僕は生徒の間で「アラン」と言われるようになった。
荒木先生が「アロン君」と言ったのを、
例の女生徒が「アラン君」と聞き違え、
「そう言えば○○君、アラン・ドロンにちょっぴり似てるわね」
なんてことで、校内に「アラン」と広めたらしい。
あの二枚目スターに!
一人にんまりするより、恥ずかしさに身がすくむ思いだった。
それもこれも元はと言えば荒木先生のせい。
俯き加減に廊下を歩いていると、その先生が向こうからやってくる。
そして今度は、「おはよう、アラン君」と声をかけてきたのだった。
中学3年生の国語の授業。黒板の前には山下先生が立っていた。
教師になってまだ2、3年ほどの若き女性だった。
あだ名は『エス』。これは僕が名付け親だった。
『S』と書けば、なぜ、こんなあだ名にしたかおおよそ想像がつくはず。
はち切れんばかりの若い女性の姿、形を見れば、
ごく自然にこんなあだ名になる。
中学3年生、いかにも思春期の男の子が考えそうなやつだ。
また、この年頃の男の子というのは女性の気をひきたくて、
奇抜な行動をしたり、いたずらを仕掛けるものである。
ある日のこと。山下先生の授業が始まる前、
学級委員長だった僕はクラスの皆に
「今度の山下先生の授業では、何を聞かれても
一切返事をしないことにしよう」と提案した。
これに皆は「面白そうだ」と手を挙げてくれた。
女子までも「いいわね」と同調したのは、なぜなのか知らない。
ともかく満場一致のいたずら作戦となった。
授業が始まった。
先生が「ここはこうで、こういう意味です。●●君分かりますか」と尋ねる。
だが●●君、一言も返事をしない。
「分かりますか」再度聞かれてもだんまりを決めこんでいる。
仕方なく別の生徒に尋ねてみたが、これまた同じこと。
さすがに不審に思った山下先生。
「皆、どうしたんですか」教室には先生の声が響くばかりだった。
ベテランの先生だったら、そんな生徒の悪だくみなど簡単に見破り、
その張本人を前に引っ張り出すことなぞ造作もなかっただろう。
だが、何せ山下先生は純粋無垢な新米教師だ。
生徒の悪だくみにまんまと引っかかってしまったのである。
しまいにはどうしてよいのか分からず、しくしく泣き出してしまった。
若き女先生の涙──こうなるとは思いもしなかった。
この悪だくみの張本人だった僕はすぐさま白旗を挙げた。
立ち上がり、先生に向かって「Sorry ごめんなさい」頭を下げた。
生徒が初めて口を開いた瞬間だった。
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