Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

ほど良い風

2022年08月20日 08時13分51秒 | エッセイ


朝6時、いつものように家中のガラス戸を開けると、
どわーんとした暑気に身が重くなる。
風がない。いつもならガラス戸を開け放つと、
すーっと部屋の中を通り抜けていく涼しい風が今朝はない。
その風に当たって、すがすがしい一日が始められるのに、
今朝は何だか心身とも重い。
それでも振り絞ってウォーキングに出かけてみたが、
ほどなく背中がじっとりとしてくる。
川面に映る周囲の家々もそよぐことなく、
くっきりとその姿を落としている。




住む世を思えば、風がそよりともしないと
住みよいのか、住みにくいのか
分からないままどんよりとその日その日を送ってしまう。
右から、左からほど良い風が感じられれば、
何だか安心できる。


右からでも、左からでも、一方からの強風、暴風だと
僕たちは逃げ惑い身を潜めなければならない。
それがいつ止むかも知らず。



キューピーさん

2022年08月16日 09時11分47秒 | エッセイ


黄色の服に、同じ黄色の帽子。
セーラー服みたいな襟に大きなリボンをつけている。
よく見ると、左の肩からバッグを下げている。
まん丸の目をぱっちりと開き、愛らしい顔のキューピーさん。
いつも机の上で愛想を振りまいている。
たまに、隅っこの方に追いやられ、
邪険にもごろんと転がされている。



孫たちのものではない。3人の孫は一番下の子でも来年が成人式だ。
キューピーを欲しがる年はとっくに過ぎている。
実は妻のものなのだ。
孫たちのおもちゃにもならない。
しばしば邪険に扱われ、隅っこに転がされている。
それならば、もう処分してもよいのではないか。
そう思うのだが、妻は絶対に手放そうとはしない。
それは母(私にとっては義母)の形見みたいなものだからである。 
「いつ、なぜ母からもらったものか覚えてもいない」
ほどのものだが、「母からもらったもの」との思いが
全身に張りついていて、机の隅っこに転がしていても
手放してしまおうと気には決してならないという。

その母は、平成3年5月がんで亡くなっているが、
一時、福岡の病院で治療を受けていた。
その時妻は仕事帰りの疲れた身で、
毎日のように病院通いをしたものである。
妻にすれば、母の最期を看取ったに等しく、
そんな母が毛糸を編んで着せてやったキューピーさんを
簡単に手放すなんてことが出来ようもない。
そんな気持ちなのであろう。よく分かる。
いつまでも机の上に置いておけばよい。
誰も邪険にはしないよ。



「兄ちゃん」と呼ぶ

2022年08月14日 06時00分00秒 | エッセイ


姪は僕のことを「叔父さん」とは呼ばない。
「○○兄ちゃん」と言う。
80歳になる、この爺さんをつかまえてである。
一番上の姉のひとり娘である、その姪にしてももう60半ばだ。
つい先日、介護施設にいる姉の状況を聞こうと思い、姪にLINEしたら、
「○○兄ちゃんもお身体大切にしてください」と返信があり、
そして、「何だかこの呼び方はテレますね」と添えていた。
実のところ、テレるのはこちらの方なのだが、
にやっと笑うだけで、これには何にも返さなかった。


「兄ちゃん」呼ばわりするには、やはり訳がある。
姪は僕が中学生の時生まれている。
姉はこの子を連れてよく里帰りしていた。
そして、僕に姪の守りを言いつけたのである。
何せ、末っ子の僕を母親代わりに面倒を見てくれた姉だ。
しかも、1つになるかならないかの可愛い女の子である。
「いや」と言うわけがない。
でも、何かをして遊ぶなんてことはできない。
もっぱらおんぶし、あやして寝かせつけるだけだ。

          

ある時、「よいしょ」と手をお尻にやると異変を感じた。
「姉ちゃん、姉ちゃん」大声で呼ぶ。
「何ね、どがんしたとね」と言いながら、姉がやってきた。
「背中が何か温くなった」
とたんに姉が大笑いした。
「おしっこしたんやろ。どらどら」姉は紐をほどき、
僕の背から姪を降ろしながら、確かめていた。
「やっぱり、そうやった」笑いはまだ続いていた。
「姉ちゃん、何か生ぬるくて気持ちの悪かとばってん……」
「あぁ、シャツがちょっと濡れとるね。着替えてこんね」
「○○、もうお前は……」と姪を睨むと、姉はまたまた大笑いし、
「これで、あいこたい。うちも、おうちから何度も
同じ目にあわされたもんね。○○、ようやったね」
「もう」今度は姉を睨んだ。
こんな笑い話みたいな記憶もたくさんあるから
姪が還暦を迎えたとはいっても、僕の中ではいつまでも
「小さな子」であり続けているのだ。

そんな姪が大きくなっていくと、姉は娘の前では僕を
「○○兄ちゃん」と呼んだ。母親が僕をそう呼べば、
その子もそう呼ぶに違いないのだ。
それが今も続いているだけの話。
今更「叔父さん」と呼ばれるのも照れくさい。
これから先も、ずっと「○○兄ちゃん」で結構。

      

「叔父さん」と呼ばれるより姪との距離感を近く感じ、
何だか心が温かく、和む。
それは僕の気持ちを姉の元へも近づけていくのである。
6人いた兄弟姉妹はいまや、この姉と2人きりとなった。



ひまわり

2022年08月11日 06時00分00秒 | エッセイ



この季節、あちらこちらのひまわりたちが、
まるで手招きするかのようにそよ風に揺れている。
夏の太陽を浴びながら一面に広がるひまわり畑。
人がその中にすっぽりと飲み込まれそうになる。
それにしても夏の青空がよく似合う花だ。
空の青を背にした黄、この鮮やかなコントラストは情熱的でさえある。
そして、花言葉が教えてくれるように、
お日様に「憧れ」、そして「あなただけを見つめていたい」というのか
四六時中追い回す。
よほどお日様を慕っているのであろう。
特に思春期の花たちがそうだ。
そんなひまわりたちの振る舞いを見て
漢字では『向日葵』、あるいは『日回り』『日廻り』などと書き、
英語でも『Sunflower』という。
それほどにお日様とは切っても切れぬ仲なのである。


ひまわり畑がスクリーンいっぱいに広がる
印象的な映画がある。半世紀も前に公開された
イタリアを主舞台とする『ひまわり』だ。
だが、この映画はひまわりのあの明るさとは反対に、
第二次大戦によって引き裂かれる
夫婦の切なくも悲しい物語である。
夫役のマルチェロ・マストロヤンニ、妻役のソフィア・ローレンの演技、
特にソフィア・ローレンが激しく、あるいは静かに
悲しみにくれるシーンに思わず涙したものである。

I Girasoli (ひまわり/Sunflower) - Love theme from 'Sunflower'

イタリア、フランス、アメリカの三カ国と、
東西冷戦中だったにも関わらずソ連が
欧米諸国の映画製作に加わった話題作でもあった。
実は、この映画のひまわり畑のロケ地は、
現在のウクライナの首都となっているキーウの
南五百キロの小さな村だという。
ロングショットで捉えた見渡す限りに広がったひまわり畑、
そしてズームで捉えれば風に揺れる花々が
何かを語りかけるようにさまざまな表情を見せる。
このひまわりの下には、大戦の犠牲となった
無数のイタリア兵、ドイツ人捕虜、それにロシアの民間人が眠っており、
ひまわり畑と隣り合わせに墓地がある。
そよ風に揺れるひまわりの表情は、
その苦痛と悲しみのものであろうか。
流れるヘンリー・マンシーニの曲に一層哀愁が募る。

あのひまわり畑は今もあるのだろうか。
ウクライナは今、戦火の中にある。
ひまわり畑にまた新たな戦没者が加わってはいまいか。
ウクライナの国花はひまわりである。
そのウクライナを侵かすロシアのそれもそうだ。
戦火やまず。ひまわりは戸惑い、悲嘆するのみ……。



8月9日

2022年08月09日 09時19分09秒 | 思い出の記

被爆者健康手帳をいただいている。
昭和20年8月9日午前11時2分。
爆心地から3.5㌔、長崎市新地町、あの中華街のある辺りで
被爆した一人である。
だが、3歳になったばかりであり、
原爆投下時の記憶はほとんどない。
わずかに何かがぴかっと光り、ドーンと大きな音がしたな、
と言った程度の、それもうっすらとした記憶である。

              

当家の墓は、原爆爆心地に近い浦上地区にあり、
両親、兄、姉たち家族が一緒に眠っている。
小学低学年だった頃、祖母に連れられて、よく墓掃除へ行った。
結構広く立派な墓地だった。
おそらく、欧米の映画でよく見かける鉄柵を巡らした、
あのようなものだったのではないかと思う。
なぜなら、墓掃除へ行った際、石柱に埋め込まれた
ヤリみたいな鉄の棒がぐにゃりと曲がって
何本も残っていたからである。
「こん、ひん曲がった鉄の棒は、ピカドンのせいたい」
祖母からそう聞かされ、そしてぐにゃりと曲がった鉄の棒を見て、
原爆というものが、鉄の棒をこんなにも曲げてしまうほど
力が強いものだと子供ながらに初めて知った。

     

実は爆心地近くには母の妹家族が住んでいた。
母は長男を連れ、その消息を求めて爆心地に入ったのだが、
1人として残っていなかった。
近くを浦上川が流れている。
投下直後、多くの被爆者がここに水を求めてやってきた川である。
今はそんなことも知らぬげに穏やかに流れている。

長崎に原爆が投下されて77年。
今朝のテレビニュースを見ていると、
爆心地に建立されている平和祈念像、
それに浦上天主堂のミサの様子が映し出されていた。
教会の鐘の音は、かすかであろうが墓地まで届く。
11時2分、ここ福岡の地から平和への祈りを捧げる。

        (昨年書いたものを加筆・修正したものです)