「心にもないことを言ってしまった」と悔やむ、という表現をときどき見ますが、それは変です。だって本当に「心にない」ことは言葉に変換できませんから。何らかの形でその人の心の中に存在していたから、そしてそれを言葉として使おうという意思があるからこそ、それを言って他人を傷つけることができるのです。
なんだか上のは「本当に悪いのは自分ではない」という言い訳にしか見えません。「自分は心ない行為をした」と認知し、できれば反省することから始めないと、また同じことが繰り返されるのではないかしら。
【ただいま読書中】
『猫の帰還』ロバート・ウェストール 著、 坂崎麻子 訳、 徳間書店、1998年、1600円(税別)
ドイツ軍の総攻撃で、連合軍がダンケルクに押し込められてしまったとき。イギリスでは一匹の猫が行方不明になりました。ロード・ゴートという名前の雌の黒猫(幸運のしるし)です。ロード・ゴートは疎開先から元の住処ドーヴァーを目指します。懐かしい住処と懐かしいご主人を求めて。
たった一人の監視所で海を見張り続けていたストーカーは、その黒猫と出会います。黒猫は監視所に居つき、恐怖と孤独が監視所から追い払われます。ストーカーの目の前で空中戦が行われ、不時着した敵のパイロットを爆発寸前に救助したストーカーは“英雄”になります。そして、猫はいなくなります。
そこから場面は、猫の移動に従って細かく転換を繰り返します。ダンケルクからの引き揚げ者が乗っている汽車が停まる駅、ドーヴァーに赴任する軍隊が落ち着いた民家、爆撃隊の基地……ここで私は「ああ、『100万回生きた猫』の第二次世界大戦バージョンだ」と思います。ただし、あの絵本では(当然ながら)「100万回生きた猫」が主人公です。本書でももちろん猫は主人公で、成長し(途中で2回出産もします)傷つき面変わりもします。しかし、その猫とともに生きる人の「戦時下の人生」が細かく描写されるのが、本当に読者の心に迫るのです。戦争(と死)に押しつぶされそうになっていた人びとは、ロード・ゴートとともに暮らすことによって、絶望の淵の奥底から「自分の人生」へと浮上してくることができたのです。しかし猫はそんなことにはお構いなしです。彼女にとっての関心事は、自分の身の安全と食事とご主人のこと、それだけです。
人にとって戦争は残酷な運命ですが、人にとって猫もまた運命だったのかもしれません。人のことを気にかけてはくれない、という点で、たしかに戦争と猫には共通点がありますね。
なんだか上のは「本当に悪いのは自分ではない」という言い訳にしか見えません。「自分は心ない行為をした」と認知し、できれば反省することから始めないと、また同じことが繰り返されるのではないかしら。
【ただいま読書中】
『猫の帰還』ロバート・ウェストール 著、 坂崎麻子 訳、 徳間書店、1998年、1600円(税別)
ドイツ軍の総攻撃で、連合軍がダンケルクに押し込められてしまったとき。イギリスでは一匹の猫が行方不明になりました。ロード・ゴートという名前の雌の黒猫(幸運のしるし)です。ロード・ゴートは疎開先から元の住処ドーヴァーを目指します。懐かしい住処と懐かしいご主人を求めて。
たった一人の監視所で海を見張り続けていたストーカーは、その黒猫と出会います。黒猫は監視所に居つき、恐怖と孤独が監視所から追い払われます。ストーカーの目の前で空中戦が行われ、不時着した敵のパイロットを爆発寸前に救助したストーカーは“英雄”になります。そして、猫はいなくなります。
そこから場面は、猫の移動に従って細かく転換を繰り返します。ダンケルクからの引き揚げ者が乗っている汽車が停まる駅、ドーヴァーに赴任する軍隊が落ち着いた民家、爆撃隊の基地……ここで私は「ああ、『100万回生きた猫』の第二次世界大戦バージョンだ」と思います。ただし、あの絵本では(当然ながら)「100万回生きた猫」が主人公です。本書でももちろん猫は主人公で、成長し(途中で2回出産もします)傷つき面変わりもします。しかし、その猫とともに生きる人の「戦時下の人生」が細かく描写されるのが、本当に読者の心に迫るのです。戦争(と死)に押しつぶされそうになっていた人びとは、ロード・ゴートとともに暮らすことによって、絶望の淵の奥底から「自分の人生」へと浮上してくることができたのです。しかし猫はそんなことにはお構いなしです。彼女にとっての関心事は、自分の身の安全と食事とご主人のこと、それだけです。
人にとって戦争は残酷な運命ですが、人にとって猫もまた運命だったのかもしれません。人のことを気にかけてはくれない、という点で、たしかに戦争と猫には共通点がありますね。