政治家の多くが二世三世になると、政治家同士の権力闘争は結局「この世をどうするか」ではなくて「○○家」vs「××家」の「ボスの座をめぐる家同士の争い」「先祖の恨みを晴らすための戦い」あるいは下手するとただの「お家騒動」でしかなくなってしまいます。お家騒動は権力闘争ではありま
すが「政治」ではありませんから「政治に無関心な層」が「お家騒動」にも無関心なのは「正しい態度」と言える……のかな?
【ただいま読書中】
『ローマ人の物語XI 終わりの始まり』塩野七生 著、 新潮社、2002年、2800円(税別)
五賢帝の最後、“哲人皇帝”マルクス・アウレリウスから本書は始まります。ただし、彼の即位ではなくて、その前の時代から。
伝統的な史観では、ローマ帝国の衰亡は五賢帝の時代の終了とともに始まることになっています。だからマルクス・アウレリウスの“前”の皇帝アントニヌス・ピウスにはあまり歴史家の注目が集まっていません。あまりに平穏な時代で注目するべきことはない、と。ところが著者はそこに疑問を持ちます。ローマの衰亡は、実は五賢帝の時代にその種が蒔かれていたのではないか、と。著者らしい目のつけ方だと感じます。
志願兵の数が減少してきます。国が豊かで安定したら、兵役の魅力は薄れるのです。ペストが流行します。国境には次々蛮族が侵入。そして、ローマの神々を否定し公共に貢献することも否定するキリスト教徒の数が国内に少しずつ増えてきます。
やがて、北の防壁が破られます。マルクス・アウレリウスは出陣し、陣中で『自省録』をしたためます。さらにシリア属州総督の謀反。マルクス・アウレリウスは、ローマ帝国を次々襲う“ほころび”を修復することに追われ続けます。
そして、キリスト教徒が円形競技場で公開処刑されることが始まります。それまでは鞭打ちの末斬首刑でしたが、剣闘士の不足に悩む地方の闘技場が、そのかわりの“演し物”として(ローマ市民以外の)キリスト教徒を公開処刑を扱い始めたのです。(「ローマの神々」を否定するキリスト教徒は、つまりは国家反逆犯でした)
マルクス・アウレリウスの死後、息子のコモドゥスが跡を継ぎます。歴史家には評判の悪い皇帝ですが、著者はまた「本当にそうか?」と考察を続けます。最初はまあ“弁護”の余地がある為政ぶりですが、姉による暗殺未遂事件以後、人格が変容してしまいあとは失政続きで結局コモドゥスは暗殺されてしまいます。以後は、軍事力を背景にした実力者同士の争いとなります。
ローマ帝国が、豊かになり安定したことが、結局ローマの衰亡の原因の一つとなってしまったわけで(自分の体を張って軍隊へ、の人が減り、中で豊かさを楽しもうとする人が増える、その豊かさを目指して周辺から人(蛮族)が押し寄せる)、なんとも皮肉な話です。といって、安定をわざわざ捨てるわけにはいきません。強いて言うなら「静的な安定」ではなくて「動的な安定」を求めるべきでしょうが、それには相手の“協力”も必要です。なかなか思うようにはなりません。
さらに、実力主義で皇帝が決まるようになると、問題は後継者です。辺境の司令官が皇帝になれるのだったら、自分がやったように自分の死後(あるいは生きているうちにも)同じことが起きるのではないか、というおそれを皇帝は持ってしまいます。だからといって、司令官を弱っちい奴にしたら、辺境が簡単に蛮族におかされます。外憂内患と言いますが、ローマ皇帝は、蛮族と国内の安定の問題とそして家族の問題に悩まされ続けることになります。
【ただいま読書中】
『ローマ人の物語XI 終わりの始まり』塩野七生 著、 新潮社、2002年、2800円(税別)
五賢帝の最後、“哲人皇帝”マルクス・アウレリウスから本書は始まります。ただし、彼の即位ではなくて、その前の時代から。
伝統的な史観では、ローマ帝国の衰亡は五賢帝の時代の終了とともに始まることになっています。だからマルクス・アウレリウスの“前”の皇帝アントニヌス・ピウスにはあまり歴史家の注目が集まっていません。あまりに平穏な時代で注目するべきことはない、と。ところが著者はそこに疑問を持ちます。ローマの衰亡は、実は五賢帝の時代にその種が蒔かれていたのではないか、と。著者らしい目のつけ方だと感じます。
志願兵の数が減少してきます。国が豊かで安定したら、兵役の魅力は薄れるのです。ペストが流行します。国境には次々蛮族が侵入。そして、ローマの神々を否定し公共に貢献することも否定するキリスト教徒の数が国内に少しずつ増えてきます。
やがて、北の防壁が破られます。マルクス・アウレリウスは出陣し、陣中で『自省録』をしたためます。さらにシリア属州総督の謀反。マルクス・アウレリウスは、ローマ帝国を次々襲う“ほころび”を修復することに追われ続けます。
そして、キリスト教徒が円形競技場で公開処刑されることが始まります。それまでは鞭打ちの末斬首刑でしたが、剣闘士の不足に悩む地方の闘技場が、そのかわりの“演し物”として(ローマ市民以外の)キリスト教徒を公開処刑を扱い始めたのです。(「ローマの神々」を否定するキリスト教徒は、つまりは国家反逆犯でした)
マルクス・アウレリウスの死後、息子のコモドゥスが跡を継ぎます。歴史家には評判の悪い皇帝ですが、著者はまた「本当にそうか?」と考察を続けます。最初はまあ“弁護”の余地がある為政ぶりですが、姉による暗殺未遂事件以後、人格が変容してしまいあとは失政続きで結局コモドゥスは暗殺されてしまいます。以後は、軍事力を背景にした実力者同士の争いとなります。
ローマ帝国が、豊かになり安定したことが、結局ローマの衰亡の原因の一つとなってしまったわけで(自分の体を張って軍隊へ、の人が減り、中で豊かさを楽しもうとする人が増える、その豊かさを目指して周辺から人(蛮族)が押し寄せる)、なんとも皮肉な話です。といって、安定をわざわざ捨てるわけにはいきません。強いて言うなら「静的な安定」ではなくて「動的な安定」を求めるべきでしょうが、それには相手の“協力”も必要です。なかなか思うようにはなりません。
さらに、実力主義で皇帝が決まるようになると、問題は後継者です。辺境の司令官が皇帝になれるのだったら、自分がやったように自分の死後(あるいは生きているうちにも)同じことが起きるのではないか、というおそれを皇帝は持ってしまいます。だからといって、司令官を弱っちい奴にしたら、辺境が簡単に蛮族におかされます。外憂内患と言いますが、ローマ皇帝は、蛮族と国内の安定の問題とそして家族の問題に悩まされ続けることになります。