今日の読書日記の本は、たまたま読もうと思って図書館に予約していたら、「準備できました」のメールが来た日に新聞の書評欄で取り上げられていました。ラッキーと思って調べたら、案の定、私が予約したときには予約がゼロだったのに、本を取りに行った時点ではもういくつか予約が入っています。待たずに済んでラッキーだったのでその“お裾分け”で、さっさと読んで次の人に回すことにしましょう。
【ただいま読書中】『風と光と二十の私と』坂口安吾 著、 講談社文芸文庫、1988年、1262円(税別)
下北沢がまだ武蔵野の面影が強かった“田舎”の時代、著者は代用教員として分校に赴任します。受け持ったのは5年生ですが、70人の学級で仮名がきちんと書けないものが20人もいました。著者は児童たちに、現在の不幸と同時に、将来の不幸も見てしまいます。著者は「私は近頃、誰しも人は少年から大人になる一時期、大人よりも老成するときがあるのではないかと考えるようになった。」と述べていますが、二十歳の著者はその「大人よりも老成」した時期で、その目で子供たちが内包するずるさも勇気もあるがままに見つめていたのではないか、と感じられますし、著者は「あまり良いものとは予想できない子供たちの未来」に「自分の未来(への不安)」を重ね合わせているようにも感じられます。
本作は数十年ぶりの再読ですが、若い頃とはさすがに読みが違ってきます。若い頃の私は昔の世相や子供たちの姿に強い印象を受けていましたが、今は(もちろんそれらも重要な要素とは思いますが)著者の生き方と子供たちとの関係、そして子供たちが生きている(親を含む)環境に注目してしまいます。二十歳の時にこのように生きていたのだとすると、著者は確かに「大人よりも老成」していたのだなあ、とも思えます。昨日の『素数たちの孤独』とは違った意味での「青春小説」です。
「分校」「小学校5年生」ですぐ私が連想するのは『二十四の瞳』です。あちらは小学校入学から話が始まりますが、一時離ればなれとなった大石先生と生徒たちは小学五年の時に再会しますから。それにしては本作と学校の雰囲気があまりに違うのには、「これが同じ日本か?」なんてことも思ってしまいますね。