【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

日中の利害の一致

2014-03-11 06:51:25 | Weblog

 中国の対日強硬策は、最近日本からでも目立つ共産党政権の揺らぎを何とかするために「内憂外患」を作り出すために大いに役立つ、と私は考えています。この外交政策が上手くいき、さらに経済成長が続けば、中国の政権基盤は安泰でしょう。ただしそのためには、戦争にはせずに、でもそのギリギリのところにいるように見せることが必要です。
 この中国のやり方は、日本の「戦後レジームの脱却を目指す人々」とも“利害”が一致します。「ほらほら、中国が恐いぞ。平和ぼけしている場合じゃないぞ」と主張できて「自分たちの政策推進」が中国の“協力”によってぐんぐんできるわけですから。
 これはたぶん「アメリカの国益」とも合致するんじゃないかな。日中が仲良くなって組んで「アジア連合」なんてものができたら「アメリカ・アズ・ナンバー・ワン」ではなくなっちゃいますから、戦争しない程度に仲違いをしていてくれる方が良い。
 ただ、「阿吽の呼吸」で「緊張状態」が維持できていたら良いのですが、中には“生真面目”に「相手をやっつけないといけない」と思い込む人が出てくるかもしれません。だけどそれで“暴発”が起きるのは、たぶん全員の“不利益”になっちゃうんですよねえ。
 そもそも対外強攻派がのさばるのは、どの国の穏健派にも困った事態ではあるのですが。

【ただいま読書中】『軍隊を誘致せよ ──陸海軍と都市形成』松下孝昭 著、 吉川弘文館、2013年、1800円(税別)

 明治時代、軍が使用したのは“空き家”となった「城」でした。各軍管区で陸軍が使用する城が定められ、それ以外は廃城として大蔵省に移管されました。明治前期には、平時陸軍の最大編成単位は「鎮台」で全国に6つ置かれました。本拠地は(東京以外は)すべて城です。1888年に鎮台が廃止され師団制となります。鎮台は城にこもる発想ですが、師団は機動性を重視しました。この師団所在地には6000人近くの人間が増えることになります。生産はしませんが巨大な「消費者集団」で、その経済効果は大変大きいものですから、地域振興を目的とした師団誘致の請願が行われるようになりました。
 師団の配置には細心の注意が払われました。兵営や本部、病院、演習地などで広大な土地が必要ですが、出征や給養(補給)のためにはあまり市街地から離れていない交通の便の良いところでないといけません。しかし候補地が事前に漏れると地価が高騰します。それでも土地投機が行われ、軍から知事に警告が出されたりしています。それに対して“自発的”な土地の献納が各所で行われるようになりました。候補地は秘密にされていましたからまるっきり的外れの土地もありますが、ともかく“地元の熱意”を見せることで師団を誘致しよう、というわけです。さらに福井県敦賀町のように、議会が、地主が不当に高値をふっかけないように自分たちが地主を説得する、と軍に確約する陳情書を提出したところがあります。調査員との直接の接触は禁じられていたため、町長自ら「粗服」に身を包んで近くから様子を見守り使われた人力車の車夫から情報を取ったりしています。「秘密を守る」ために調査員は軍服ではなくて私服でやって来ていたんですけどね、「秘密」はちっとも守られてはいなかったようです。調査が念入りに行われれば行われるほど、誘致運動はエスカレートします。献納の申し出は、土地だけではなくて人夫の提供、さらには兵舎の建築費にまでエスカレートしていきました。中央への根回しも盛んに行われます。やがて陸軍省は、献納を催促するような動きを見せるようになりました。他の地方の動きを見て請願はますます活発になります。
 しかし、言うのは簡単ですが、行うのは大変です。静岡のように候補地が丸ごと市有地だった場合には話は簡単ですが、そうでない場合には買収を行わなければなりません。その面倒な手続きを、陸軍省が自分でやらなくても地元が“勝手”にやってくれたら、大助かりです。売り渋る地主だけではなくて、大もうけを狙って土地買い占めを行う商人も問題となりますが、もう一つ「生計の道を奪われる」小作人たちが集団で圧力をかけてくることも、地元の村役場に苦心を強いました。
 日清戦争後の軍拡で師団は12個に増設されました。しかし日露戦争では兵力が足りず、近衛師団まで投入し、急遽野戦師団が4個増設されます。そして「師団誘致運動」が再燃しました。「隣の県には師団があるのに」という不満から動くところもありますし、すでに師団があるがもっと増やしてもらってもっともっと経済効果を、というところもあります。富山県など、日露戦争中に早くも誘致請願を行っています。先見の明があったと言うべきでしょうか。ただし「新潟、石川、福井には師団または連隊が立地しているのに」という不満の表明で、経済効果については触れられていません。戦時中だからはばかられたのでしょうか。
 戦後の軍拡によって、経済効果と愛国心をない交ぜに、誘致運動もまた熱を帯びます。風紀の乱れを心配する声もありますが、やはり「(千人単位の)消費」「面会者による旅館などの売り上げ増」などの「経済効果による地域振興」に対する期待は絶大でした。そのため「土地の献納」はほとんど「当然の前提」になります。1907年の陸軍省からの県の事務官への指示の一項は「万一直接陸軍にて買ふことあれば、其価は平素の平均田畑宅地及移転料に依る」とあります。陸軍が買うのは「万一」の事態で、つまりは「献納しろ」という意識です。
 軍事拠点だけ作ればオシマイ、ではありません。拠点を結ぶ鉄道網、大量の水を必要とするために水道工事(軍用水道建設が優先され、それで水が余れば一般市民にも分けてやる、という感じでした)、当時の常識では軍隊には絶対につきものの遊郭……整備しなければならないものは多々あります。そうそう、面白いこぼれ話が。金沢駅を建設するときに、五十間四方の駅前広場が整備されたのですが、その目的が、兵士の集合、出征や凱旋の歓送迎のための場、でした。元軍都の駅前には今でも広場があるでしょうが、平和利用されていますよね?
 そして戦後、こんどは警察予備隊~陸上自衛隊の誘致合戦が……というところで、本書は終わります。
 地域振興のための誘致、と言って私が思いつくのは、たとえば大学や刑務所、“大物”なら原発。たしかに「消費者の集団」がやって来てくれるのは地元の商業には嬉しいことでしょうが、本当は「消費も生産もする、さらには子孫を増やしてくれる人たち」が来てくれた方がもっと地域は“振興”されるのではないかな?