【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

見逃し方

2014-03-30 07:36:33 | Weblog

 高校野球などの中継を見ていて、あまりに褒めるところがなかったのか「どっしりと構えて、良い球の見逃し方でした」なんてことを言っている人がたまにいます。だけどそれで三振したらまったく同じ見逃し方をしていても「手も足も出ませんでした」になるのは、不思議です。

【ただいま読書中】『いのちと重金属 ──人と地球の長い物語』渡邉泉 著、 ちくまプリマー新書206、2013年、820円(税別)

 まずはビッグバンから話が始まります。宇宙が始まったとき、そこには水素・ヘリウム・リチウムしか存在しませんでした。やがてあちこちに恒星ができます。そこで核融合によって鉄までは形成されましたが、それを越える重い元素は存在しませんでした。恒星が死を迎え、超新星爆発などをするとその時「重い元素」が次々と生まれます。宇宙ができてから数多くの星が死に、80億年後に私たちが住む太陽系ができました。そしてそこには「重い元素」も少しは含まれていたのです。それらはすべてかつては「別の星」にあったものです。
 地球ではやがて生命が発生しました。最初の重大な「生命による環境破壊」は「酸素の発生」です。「猛毒の酸素」によって海水中の膨大な鉄は酸化して沈み、生命は毒に耐えるために「活性酸素を除去する酵素」を使いますが、そこに含まれていたのが銅や亜鉛などの「重金属」でした。
 やがてヒトが出現し、まず重金属(水銀やヒ素)を「顔料」として利用します。ついで銅と鉄を「道具」として。近代錬金術からは化学が生まれ、現在はレアメタルの争奪戦が繰り広げられています。ヒトはわざわざ地中から重金属を掘り出し、利用し、環境にばらまいています。ここで問題になるのは重金属の「毒性」「分解性」「環境への放出量」「生物濃縮」です。現在の「公害」は、ヒトによる環境破壊です。足尾鉱毒事件、イタイイタイ病、土呂久公害(ヒ素)、東京都六価クロム事件、水俣病、森永ヒ素ミルク……これらについての記述を読むと「コワイのは、重金属そのものだけではなくて、人間(企業や行政)の対応だ」と思えます。すごく非人間的な対応を、平気でできる人がこの世にはけっこう存在しているのです。これは戦前からの日本の伝統なのかな。そして、その「伝統」は福島でも大活躍しているのかな。もしも政府が「過去から学んで」いたら、フクシマの被害者は、これまでの日本の「被害者」ほどは悲惨な思いをせずに済むはずなのですが。
 ヒトが生きていくためには、重金属が必要です。体内の微量元素として、あるいはハイテクのレアメタルなどとして。「再生エネルギー」という美しい言葉を実現させるためにも、電池や太陽電池に重金属が必要です。ナノテクノロジーにも重金属の触媒が不可欠です。さらに医学でも、意外なことに「過剰」よりもはるかに多い「重金属の欠乏による病気」を治療するために重金属が必要です。
 「重金属との付き合い方」が、まだまだヒトは下手なようです。しかし、その害も益も含めてまともに向き合わなければ、また別の悲劇が起きるだけでしょう。著者は冷静に(あるいは冷酷に)書いていますが、ヒトは「自分の命は最優先」しますが、「他者の命」にはけっこう冷淡なものですから。