「一押し」……1回だけ押す
「押しつける」……押してつける
「押しボタン」……引きボタンより操作が簡単なのが特徴
「押し潰す」……押さずに潰すのはけっこう難しいのだが……
「押し問答」……押しの強い人同士の問答
「押しも押されもせぬ」……無視されているのかもしれない
「押しが強い」……よく練習をした力士
「押せ押せになる」……応援団が強い
「目頭を押さえる」……涙を押して隠す
「判で押したよう」……「よう」がある以上、判で押してはいない
「横車を押す」……車輪が傷む
「押し売り」……押しは一つ30円です
「押し入れ」……買った押しの入れ物
【ただいま読書中】『エイズの起源』ジャック・ペパン 著、 山本太郎 訳、 みすず書房、2013年、4000円(税別)
エイズの公の“誕生日”は1981年6月です。それ“以後”についてはもうたくさんの出版物がありますし私もその何冊かは読んでいます。ではそれ“以前”については? 著者が知る限り一冊だけ『ザ・リヴァー ──HIVとエイズの源流をたどる旅』(エドワード・フーパー)(経口ポリオワクチン製造過程で使われたチンパンジー細胞がサル免疫不全ウイルスで汚染されていた、と述べられたもの)でした。しかし著者は証拠を示してフーパーの見解を退けます。
キンシャサに保存されていた古い血液標本の検査で、HIVー1の陽性率は1970年は0.25%(検査の母数は805名)、80年は3.0%(母数は498名)でした。ザイールのへき地ヤンブクで1976年にエボラ出血熱調査のために集められた血液標本がありましたが、659検体のうち0.8%がHIV陽性でした。これは「ここでウイルスが誕生した」ことを意味しませんが「すでに存在していた」ことは意味します。ただ、アフリカの他の地域での同時代の血液標本からはHIVが見つかりませんでした。
「最古のHIVウイルス」は1959年ベルギー領コンゴのレオポルドヴィル(現在のキンシャサ)で採血された標本から見つかりました。
HIVの遺伝子は動物の遺伝子の約100万倍のスピードで変異します。したがって多くのサブタイプが誕生しますが、サブタイプの地理的分布を調べれば時計を逆に回すことが可能になります(「ミトコンドリア・イブ」の追跡を私は思い出します)。その調査によれば「HIVの起源」は中部アフリカです。
なぜ中部アフリカ? それは、HIVの祖先ウイルスの宿主である霊長類がそこに住んでいたからです。
1989年、野生チンパンジーからSIV(サル免疫不全ウイルス)が初めて分離されました。HIVと近縁のウイルスです。ケナガチンパンジーからは1種類、ツェゴチンパンジーからは3種類のSIVが分離され、お互いに近縁関係であることがわかりました。野生状態のチンパンジーからさらに多くの検体を得るため、尿や糞から抗体や核酸の存在を確認する技術が開発されます。糞尿を採取するだけではなくて「この糞はチンパンジーのものである」「この糞の“持ち主”のチンパンジーは以前に検査をされたことがない」ことを確認するために研究者がどのくらいの努力をしたか、私はもうひたすら頭を下げるだけです。
次はSIVの人間への感染経路。カメルーンの村で「霊長類への暴露(サルによって傷を負う、血液や唾液に触れる)」経験者を定量化し、それと人口統計、SIVの研究結果を組み合わせると、1921年に中部アフリカに暮らしていた成人で過去に1回でもチンパンジー血液に暴露した経験者は1350人となりました。野生のツェゴチンパンジーのSIV感染率は5.9%。ウイルス量によって変動する感染確率を考慮して、著者は80人がウイルス感染血液に暴露し、そのうち1~3人が感染者となった、と推定しました。非常に少ない数ですが、ゼロではありません。さらにこういった「種を越えた感染」は、HIVのサブタイプを見る限り、過去に最低4回は起きています。
感染の拡大には、売春と医療を著者は考えています。アフリカには「リスクの高い売春」」と「リスクの低い売春」があるのですが、リスクの高い売春が広がった時代とHIV感染が拡大した時代とは重なっています。さらに昔は注射器や注射針の消毒は不十分でした。そのため、(著者もかかわった)「眠り病」に対して中部アフリカで大々的におこなわれた巡回医療班の活動が、「ウイルス」を広げる効果を出してしまいます。
アメリカで“発見”される前にアフリカでエイズは流行していたはずです。しかし、熱帯病や結核などに覆い隠されて見逃されていた可能性が大です。ウイルスの分子時計を解析することで、HIVは(たった一人の感染者によって)ハイチに“輸出”され定着し、そこからUSAに渡ったことがわかります。
著者は「ウイルス」「疾病」だけを見るのではなくて「風土」「歴史」も見つめています。アフリカでは植民地時代からの社会システムの変容がウイルス感染拡大に大きな影響を与えたこと、ハイチでは血液貿易(アメリカへの輸出)が行われていたことが指摘されます。非常に深く広い視野が示され、本の内容だけではなくて、こういったものの考え方が非常に参考になります。
エイズによる死者は2900万人だそうです。この悲劇から学ぶべき教訓は、何だろう、と著者は問いかけます。考えるべきは「私たち」です。