全員が満足する人事異動というものは、ないそうです。すると、人事部の腕の見せ所は、社内でほとんどの人が「この人事は妥当だ」と思える異動を発令できるかどうか、でしょう。で、本人がその「ほとんどの人」の中に入っていたら、良いんですけどね。
【ただいま読書中】『君たちに明日はない』垣根涼介 著、 新潮社、2005年、1500円(税別)
映画の「俺たちに明日はない」を思わせるタイトルですが、銀行強盗のお話ではありません。
リストラの面談場面で話は始まります。それも、首を切る側の視点で。なるほど「君たちに明日はない」わけです。
首切りは、その会社の人事部の仕事です。しかし諸般の事情でそれが難しい場合、外部に委託することがあります。リストラ請負専門会社に「首切り候補者のリスト」を渡して面接をしてもらい、所定の目標(首切りの人数とそれで削減できる人件費の総額目標)を達成してもらうわけです。そのリストラ請負会社の男と、首切り候補者として面接を受けた女。その出会いとその後の関係の進展が軸となって本書は進行します。
「本当の自分」は、よく「どこかよそに探しに行くもの」とされる場合が多いのですが、本書では、最初に出会った男も女も「本当の自分」を「自分の内側」に持っています。ただ、その外側に「社会で生きるための自分」をまるで鎧のようにまとっているのです。2人ともそのことは自覚的に承知していて、さらに相手がどのような“鎧”をまとっているかも見えています。だけど、その“鎧”は、「本当の自分」を守るために必要なのです。社会の外側からの攻撃から内部を守るために。それと、鎧を外してしまったら枷を外されてしまった自分自身が暴走をして社会的な地位をすべて失ってしまうかもしれないからそうならないためにも。
物語は第三話「旧友」で加速します。優秀な人材なのに、派閥力学やら無能な上司やらのせいで干されて、ついにリストラ候補にされてしまった人と、彼を囲む人たち(旧友たちや家族)の物語です。自分が本当にやりたいことは何か、それを貫くかそれとも妥協をするか。何をどこまで犠牲にできるのか。ぎりぎりのところに追い詰められた男は、なぜか最後に「三方一両得」の決断に着地します。本当にシビアな状況なのに“救い”を用意してくれた著者に私は感謝します。
で、このまま加速が続くのか、と思うと、第四話では、八方ふさがりの状況にいる若い女性が、まるでふわふわと水に浮いているかのような、ゆるやかな物語を紡ぎます。
「リストラ」という非常に厳しい場面では「リストラされる人間」のそれまでの人生のすべてが凝縮して噴き出てきます。それを「一人称」で著者は描きます。「他人がその人をどう見て(評価して)いるか」を、「一人称」という形式は保ちつつ視点を次々切り替えることで浮き彫りにしていくのです。さらに、場面によっては「この人の一人称の語りを知りたい」というものをあえて描かないことによって、読者にも作品への参加を促します。
リストラ請負会社という極めてユニークでシビアな舞台設定を得ることによって、著者は豊かな小説世界を得ることができました。本書はシリーズ化されたそうですので、こちらもぼちぼちと読んでいこうと思っています。