【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

減った傘立て

2015-09-02 06:30:09 | Weblog

 最近大きな商店の前で傘立てをあまり見なくなりました。傘泥棒があまりに横行して店内にそのまま傘を持ち込む人が多くなったからでしょう。傘立ての代わりに置いてあるのが、傘を細長い袋に入れる機械(「傘袋自動装着機」と言うんですね。今回調べて初めて知りました)。ハイテクの21世紀、と言うことも可能ですが、同時に、公徳心が廃れた世紀、と言うことも可能なようです。

【ただいま読書中】『高慢と偏見(下)』ジェーン・オースティン 著、 富田彬 訳、 岩波文庫、1950年(62年19刷)、★★★

 さて、やっと「事件」が勃発します。色男の将校ウィカムがエリザベスの末の妹リディア(16歳)と駆け落ちしたのです。これは田舎町では皆が大喜びの醜聞です。しかしこの行動は解せません。ウィカムは金に困っています、というか、借金漬けです。それで大した持参金も期待できないリディアを結婚相手に選ぶでしょうか。恋の力? それはありません。ウィカムはリディアに惚れ込んでなんかいないのですから。
 それでもこの「事件」は何とか解決します。二人はめでたく結婚したのです。しかしその裏には、エリザベスが嫌っているダーシーの“活躍”がありました。それを知ったエリザベスは、ダーシーに対する偏った見方を反省します。反省するどころが、ドンデンが来ます。
 エリザベスの突然の心変わり(ダーシーに対する反感→愛情)は唐突に見えますが、物語の最初から実はエリザベスはダーシーに惹かれていて、しかし二人を取り巻く“外側の要因”などの影響でそれを真っ直ぐに見つめる余裕がなかった(あるいは、他人を観察するのに忙しくて、自分自身の内面を見つめることができなかった)ために(あるいは単に自分の運命を変えることが恐くて直視できなかっただけかもしれません)、「ダーシーの高慢」を「大義名分」として「反感」という形で表現していたのではないか、と私には感じられます。反感を表明するのに、あの熱心さと性急さは不自然でしたもの。
 古い屋敷に、過去にそこに住んでいた貴族や地主の家族の肖像がかけられていることがありますね。本書はその絵の“背景”を文字で表現した物語、と言えるかもしれません。その時代、社会と文化と習慣、そこで生きる家族の人間像を絵から私たちに読める文字に“翻訳”してくれたもの、と。200年も前の古い本ですけどね、今でも十分“現役”です。なお、本書に登場する挨拶の基本はお辞儀です。接吻は家族の間、握手は本当に近い他人とだけ特殊な状況で行われています。握手が社会の一般的な習慣となるのは19世紀ですから、この物語がそれ以前であることは、この挨拶を見るだけでもわかります。