【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

マスト

2020-01-30 07:15:28 | Weblog

 「マストじゃないけどなるべく早く処理して」などとわけのわからない発言をする人がときどきいますが、その「マスト」って「mast」ですか?それとも「must」? どちらかはっきりわかるように発音してもらえたら助かる人は多いのではないかな。さもなければ明確で具体的な日本語で指示するか。


【ただいま読書中】『熱狂と幻滅 ──コロンビア和平の深層』田村剛 著、 朝日新聞出版、2019年、1500円(税別)

 1810年スペインから独立したコロンビアは、それ以後「暴力の歴史」を歩んできました。19世紀半ばから20世紀半ばまで二大政党が衝突を繰り返し、30万人以上が犠牲に。その衝突が収まるとこんどは反政府ゲリラがいくつも活動を開始し、死者は少なくとも26万以上、国内難民は500万人以上と言われています(人口は現在4550万人の国で、です)。ゲリラの最大勢力は1964年結成のFARC。最盛期には17000人の戦闘員を擁し国土の1/3を支配しました。殺人・身代金目的の誘拐・麻薬密造と密売や、子供を誘拐して子供兵にする、などやりたい放題。対して政府軍や右派民兵組織は、FARC関係者との疑いだけで住民を虐殺、と、暴力の連鎖は止まらないように見えました。しかし2010年に大統領に就任したファン・マヌエル・サントスはハバナでの和平交渉を始め、16年にFARCは武装解除、合法政党に生まれ変わりました。
 しかし、「それからみんな幸せに暮らしました」とはなりません。半世紀の殺し合いの歴史は、そんなに簡単に“なかったこと"にはできないのです。
 2014〜18年朝日新聞の中南米特派員として派遣されていた著者は、何度もコロンビアを訪問、武装解除前のFARCの野営地や戦場となった村での取材も行えました。本書はその記録です。
 2大政党が激しく衝突を繰り返していた時代、農村は置き去りにされていました。自然発生的に自衛組織ができ、1959年のキューバ革命が成功すると、共産主義や社会主義の旗を掲げた組織が各地にでき、反政府運動を始めました。その組織の一つが成長してFARCとなります。これらの反政府組織の多くが掲げたのが「貧富の格差の是正」で、貧しい農村の若者はその理想に共鳴して次々ゲリラに身を投じました。戦闘員たちは各自が「自分の村を豊かにする」「村に学校と道路を作る」など具体的な目標を持っていました。それがFARCが政府軍になかなか負けなかった理由の一つでしょう。ゲリラになってから初めて教育を受けて読み書きができるようになった人も多いそうです。それだけ農村が中央から見捨てられている、ということなのでしょう。
 FARC(や他のゲリラ組織)による残虐な戦闘や無差別テロは半端ではありません。2002年だけでテロは1600件以上、2000年代に地雷による被害者数でコロンビアはカンボジアやアフガニスタンを抜いて世界最多となっています。資金稼ぎ目的の誘拐では、日本人も犠牲になっています(誘拐されて解放された人もいますが、殺害された人もいます)。
 著者が訪れた野営地では、戦闘員の4割が女性でした。意外な多さです。そして、彼女たちが化粧やマニキュアをしていることに、著者は驚きます。やっている方は「女だから化粧するのは当たり前でしょ?」なんですが。支給された戦闘服の下に着ているのは、原色のTシャツで、FARCが敵視しているはずの米国の国旗や英単語が平気でプリントされています。そういった「人間性」と、ゲリラが戦闘や犯罪で発揮する「非人間性」のギャップに、著者は震えます。しかしこの「ギャップ」は、戦時にはそれほど問題にならないかもしれませんが、平和になったとき、本人が苦しむことにならないでしょうか。ちょっと気になります。
 「非人間性」では、政府側も負けていませんでした。「パラミリターレス」と呼ばれる右派民兵組織(メンバーの多くは元軍人や元警官)は、ゲリラ狩りだけではなくて土地の収奪目的でも農民の拷問や殺害を繰り返して、国際的な非難の対象となっています。もちろんパラミリターレスの結成目的は「自衛(農場主などがゲリラに誘拐や殺害されることを防ぐ)」だったはずですが、暴力が「連鎖」を形成したら、これはもう止まりません。片方にひどい目に遭わされたら復讐のために反対側に身を投じる、これは人間の行動としては自然ですから、どちらも構成員候補には不自由しなくなります。
 しかし、あまりに長期化した戦いのため、農村部でも少しずつ厭戦気分が広がり、FARCへの支持は低下傾向となります。ネットの普及で世界の情報が手軽に入手できるようになり、2001年の同時多発テロで世界的にテロ組織への警戒が強まり、さらにFARCに影響を与えていたキューバがアメリカと和解、など世界はどんどん変わっていきました。おそらくFARCも「このままではじり貧」という意識があったはず。そこにキューバ政府とノルウェー政府が和平交渉に乗り出します。
 和平協定の項目は、考え抜かれています。読んでいて私は感心するばかり。特に「犯罪」に関しては、これからの世界中の紛争解決に有用そうな智恵が詰まっています。大量虐殺や処刑・性的暴力などの重大な犯罪は除いたものは「政治犯罪」「政治関連犯罪」として扱われ、戦闘員が自ら罪を認めたら恩赦が与えられて5〜8年間の「自由を制限する刑」のみとされるのです。
 ところがここで“ドラマ"が。関係者全員が散々苦労してまとめた和解の最終案ですが、国民投票で否決されてしまったのです。テレビで開票速報を見ていた著者は「にわかには状況が理解できず」状態だったそうです。これはコロンビア国民が「和平を望んでいない」のではなくて「ゲリラが“優遇"されているのが気に入らない」という意思の表明だったようです。それまで政府は「ゲリラは厳罰」と主張していたのに、と政府に対する不信感もあったようですし、きちんと罪を認めない(まるで勝者のような態度を取る)FARC幹部への反感もあったでしょう。さらに、デマやフェイクニュースも大量に出回りました。
 「和解」は「妥協の産物」です。しかし国民投票は「賛成か反対か」の二択。「妥協の意志も表明できる国民投票」があれば良いんですけどねえ。
 著者は取材を続けます。意外なことに、ゲリラの被害が大きかった地域ほど「ゲリラに復讐」ではなくて「和平に賛成」と言う人が多くいました。彼等に共通していたのは「未来(子孫)のために和平を選択しよう」という態度だったそうです。もちろん「自分たちにひどいことをした連中は、絶対に許さない」という人も多数います。どちらも「理屈」としてはよくわかります。ただ、自分がその立場だったら、どちらを選択するか、と言えば……
 突然、サントス大統領がノーベル平和賞授賞。世界が和平の後押しをしたかのようです。そして、ノーベル平和賞が後押しをしたかのように、和平交渉が再開され、妥協案がさらに修正されていきます。国民の多くが受け入れ可能なように。ガルシア・マルケスはコロンビアを代表する作家ですが、彼の『百年の孤独』で展開されるような、不思議なリアリズムの雰囲気が漂います。
 分断と緊張をやたらとあおる政治家がいます。そういった人たちは、いざ紛争が起きたらそれをどうやって終息させるのか、何かよいアイデアを持ってあおっているのかな、と私は感じます。火をつけるのは割と簡単ですが、ことをおさめるのは、大変ですよ。