【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

分厚い本

2020-01-20 06:59:03 | Weblog

 私は20世紀には旅のために、時刻表や道路地図を買っていました。今はスマホで済むので全然買わなくなりましたが、「全体像の把握」力が落ちているのではないか、とちょっと不安を感じることがあります。もしもスマホが嘘を言ったり故障したり現場で何らかの事故が起きたとき、迂回路を自力で見つけたりすることができなくなっているのではないか、という不安です。確認のためにはスマホなしで旅行をしてみたらよいのでしょうが、ちょっとその“勇気"がありません。

【ただいま読書中】『安心・安全!はじめての快適車中泊』時刻情報・MD事業部 企画・編集、JTBパブリッシング、2019年、1500円(税別)

 車中泊は、安上がりなドライブ旅行としては魅力的なやり方に思えますが、やったことがないので以下のことが知りたいと思いました。
1)車の条件
2)どんな備品が必要か
3)場所(安全に泊まれるところ)
4)守るべきマナー
 同じことを知りたい人は多いようで、そういった人のために本書が発行されています。
 最初に登場したご夫妻は、日産のキューブで東北を1週間旅行して回っています。キャンピングカーやバンでなくても大丈夫なんですね。本当に快適にやりたかったら、レンタルのキャンピングカーなんてものもあるそうです。
 グッズもいろいろあったら便利ですが、多すぎたら車内が窮屈になります(ルーフ・キャリアという手もありますが)。また、専用の物を買わなくても、100円ショップでもけっこう間に合うそうです。
 車中泊専用のサイトとしては「RVパーク」が全国にあります。いや、本当に全国に分布していて、これなら大抵の所には旅行に行けそうです。他にも、車中泊を公認している道の駅もあります。
 マナーも、回りの人に迷惑をかけないことや泊まる場所の決まりを守ることが大切って、これはどこでどんな生活をするにしても同じことが言えますね。「旅の恥はかき捨て」はダメ、ということです。
 考えてみたら、車中泊は「手段」であって「目的」ではないはず(中には「目的」にする人もいるでしょうが)。するとどこに何をしに行くか、が先で、それからどこに泊まるか(旅館やホテルなどか、車か)を決めたらよいのでしょうね。問題は私が普段使う車はキューブよりも小さいことです。さてさて、どうしたものか。



暗記と算数と数学

2020-01-19 08:21:51 | Weblog

 20世紀には「日本人は計算が得意だ」と大きな声で語られていて、その根拠は「日本人は九九ができる(諸外国ではできない人が多い)」でした。だけど「九九」は「計算」ではなくて「暗記」です。もし本当に九九を計算でおこなっているのなら、たとえば「18×13」なども瞬時に「計算」できるはず。
 さらに、こういった「計算」の根拠(法則)を発見できるのが「数学」でしょう。
 私がこれまで受けてきた学校教育って、少なくとも「数学」は教えられていませんでした。下手したら、「算数」もきちんと学校で教育されていないかもしれません。単に「暗記」だけかも。

【ただいま読書中】『天才少年が解き明かす奇妙な数学!』アグニージョ・バナジー、デイヴィッド・ダーリング 著、 武井摩利 訳、 創元社、2019年、2000円(税別)

 「この世界は、ちょっと掘り下げたらそこには必ず数学が存在する」「人類はあらかじめ数学的な才能を与えられている」。この二つの前提から本書は組み立てられています。おっと、もう一つ大事な前提がありそうです。「数学は人間の直感を裏切る」。たとえば多次元の物体を私たちは“リアル"に認識することができません。あるいは確率論は人間の直感に反する結論を平気で私たちに突きつけます。「ランダム」なはずの文字列がちっとも「ランダム」に感じられないこともまた普通にあり得ます。
 フラクタルの美しさ、素数の不思議、無限や巨大数……数学の面白さの入門書としては、見事な品揃えです。こんな行き届いた本を17歳の少年が書いた、というのは驚きです。いや、「数学の入門書」だったら数学の天才だったら書けるでしょうが、「数学の面白さの入門書」ですよ。よほど幅広い視野と深い教養がないと、なかなかこんなものは書けないと思うものですから。
 数学は面白いものだ、と私は思っています。学校の成績のことは忘れて、食わず嫌いもせずに、「数学」を一口でもかじってみたらどうでしょう。この面白さを知らずに死んでしまうのは、ちょっと人生がもったいない。



2020-01-18 07:11:30 | Weblog

 里子や養子の話題でやたらと血縁を重視する主張を見ることがありますが、そんなに血縁が“絶対"なのだったら、どうして実子を虐待する親が出現するんでしょうねえ?

【ただいま読書中】『日本列島2500万年史』 藤原治・木村学 著、 洋泉社(洋泉社MOOK)、2019年、1300円(税別)

 日本列島が現在ある場所は4つのプレートが関係していて複雑に押し引きをしています。5000万年くらい前、ユーラシア大陸の東端に切れ目が生じ、それが少しずつ拡大してのちに日本海となりました。このとき日本列島を産む原動力となったのはユーラシアプレートの東にあって北東に進んでいたイザナギプレートです。このプレートはのちに北西に進路を変えユーラシアプレートの下に完全に潜り込んで姿を消しました。このとき面白いのは、大陸から分離したもので一番北にある部分がのちに本州中部〜中国・九州北部になったことです。その南に、北海道西部・東北・西南日本・四国南部・九州中部がずらずらと並んでいます。
 イザナギプレートが消滅すると、次に活躍したのが太平洋プレートです。2500万年くらい前に太平洋プレートとフィリピン海プレートは複雑な押し引きを繰り返し、日本海を拡大させました。大陸から切り離された二つの陸隗は回転しつつ近づき現在の列島の形になっていきますが、そのメカニズムとして、古地磁気研究からは「観音開き説」、海底の地質調査などからは「プルアパート説」と、主に2つの説が提唱されています。
 1600万〜1500万年くらい前、東北日本と西南日本は別々の方向に移動していたため、その間に深さ6000mくらいの巨大な溝(フォッサ・マグナ)が形成されました。そこに火山が次々噴火して隙間を埋めて現在に至るのですが、明治時代に来日したナウマンさんは野辺山の平沢峠から八ヶ岳の方向を眺望して「ここに昔巨大な溝があった」と言いだしたそうで、一体何が見えたのでしょうねえ。私には山しか見えないんでけど。
 1200万年くらい前から、フィリピン海プレートに乗って火山島が次々北上して日本列島にぶつかりのちに伊豆半島になります。フィリピン海プレートは重い玄武岩ですが、それに乗っている火山島などは軽い安山岩なので、プレートが日本列島の下に沈み込んでも軽い部分は上に残って「付加体」となり日本列島の一部になっていきました。この「衝突地点」がちょうどフォッサ・マグナの南部でそこをどんどん埋めてくれたため、日本列島は現在の形となりました。少しでも場所がずれていたら、列島は現在とはまったく違う形になっていたはずです。
 紀伊半島では大噴火、2つのプレートの動きから北海道が形成、と“事件"は続きます。西日本でも大噴火があり、それまで平坦だった四国は現在のような険しい山地となりました。600万年くらい前には大規模なカルデラ噴火がきっかけで、それまで海だった東北地方が陸になります。300万年くらい前から「東西圧縮」という力が働き、列島全体が山国となります。
 小学生の時の図鑑で「日本列島は昔は大陸の一部だった」とあって、その証拠として日本でナウマン象の化石などが発見されることが書いてありました。本書ではもっと精密な研究結果がけっこうわかりやすく書いてあって、少し頭のよい小学生だったら理解できるのではないか、と思えます。日本列島の昔から今までの流れのことを思うと、なんだかわくわくします。



自分は悪くない、という主張

2020-01-17 06:58:06 | Weblog

 「大津園児死傷事故…検察が判決前に弁論再開申し立てへ 民放で“法廷とは異なる主張”」(yahoo/mbs)
》「直進車がブレーキを踏んでいたら違う結果になっていたのではないか」などと話し、MBSの取材にも同様の趣旨の話をしています。

 青信号で直進してくる車の前でひょいと右折した人間が「直進車が悪い」と言っている、とのこと。
 この主張が正しいのだったら、たとえば殺人事件はなくなりますね。「おれはナイフを突き出しただけ。そこに体を置いた被害者とやらが悪い」と言えますから。
 こんな他罰的で自省を(自制も)しない人間には、最初から運転免許を与えてはいけなかったのではないでしょうか。

【ただいま読書中】『爆発の三つの欠片』チャイナ・ミエヴィル 著、 日暮雅通・他 訳、 早川書房(新ハヤカワ・サイエンス・フィクション・シリーズ)、2016年、2500円(税別)

 「爆発の三つの欠片」から「デザイン」まで、28もの短編が収載された贅沢な短編集です。
 「ポリニア」はロンドン上空を氷山がいくつもうろうろする、というぶっとんだ設定ですが、「〈新死〉の条件」はさらにぶっ飛んだ作品です。なにしろ「死」がアップグレードされてしまい、人はこれまでのような死に方ができなくなってしまうのですから。
 なんだか落ち着かない作品が多い印象です。これはおそらく私が昭和の時代のSFで育った古いタイプのファンだからでしょうが、四コマ漫画だったら「起承転結」なのが定型であることを基準にしたら、本書の作品は「起承承」とか「起転」とかで終わってしまうような感じがするものが多い印象なのです。なんだか落ちつきません。謎はちゃんと解いて欲しい、あるいはでっち上げでもよいからなんらかの回答を示して欲しい。
 ただ、本書の短編を、「動画」ではなくて「静止画」だとしたら、それはそれでわかりやすい、とも思いつきました。一枚の絵画を前に様々な解釈を試みた結果が一つの短篇小説になったのだ、と解釈して、その「一枚の絵」を脳内に再構成したら実にわかりやすくなった、というものもありますので。著者の狙いとは全然違うことをやっているのかもしれませんが、読書は個人的な営為ですから、私は好きなようにやらせてもらいます。



自己責任、のあと

2020-01-16 07:23:42 | Weblog

 「貧乏なのは自己責任だ」と主張する人がいます。そういった頭の悪い主張をする人に向かって「お前の頭が悪いのは自己責任だ」と決めつけたとして、さて、そのあと、何が起きるんでしょうねえ。「自己責任だ」と言って、それが真実であろうと虚偽であろうと、その後何かよいことが起きるとはまったく期待できないのですが。

【ただいま読書中】『格差社会を生き抜く読書』佐藤優・池上和子 著、 筑摩書房(ちくま新書1333-5)、2018年、760円(税別)

 日本の格差問題を実証的に研究している橋本健二さんの分析がまず紹介されます。日本の社会は「資本家階級」「新中間階級」「正規労働者」「旧中間階級」「アンダークラス」の5つに分けられ、アンダークラスのサービス職やマニュアル職に日本社会は依存している、のだそうです(『新・日本の階級社会』講談社現代新書、2018年)。
 まずは「貧困」の定義から。生命の危機ももたらす「絶対的貧困」と、社会の中の格差がもたらす「相対的貧困」とは、ごちゃ混ぜにしてはならない、と著者らは主張します。「日本の貧乏人よりもアフリカの飢餓の子供の方が大変だ」と情緒的な主張をしても意味がない、と。
 貧困や格差に関するマスコミ報道も、情緒的だったりプライオリティを無視したり、でたらめです。モラルハザードの問題も、制度の問題ではなくて“ただ乗り"をする人間の問題でしょう。貧困や格差が持続(あるいは拡大)再生産されること、それは「自己責任」ではなくて「社会が制度として生み出し、利用していること」をきちんと見つめることが必要だ、と著者は主張します。
 本書は、著者二人の対談で話が進められますが、そこで紹介される数々の本は、実に魅力的に思えるような紹介ぶりです。早速何冊か図書館に予約しました。



古い時計

2020-01-15 07:20:57 | Weblog

 小学校の授業で「古い時計」として水時計の「漏刻」を習いましたが、これは実物は知りません。社会科の教科書に図があっただけです。日時計は自分たちで作りました。これは理科の授業だったかな。夜は線香を燃やすことで時を測った、と習ったのは社会だったかな? 時計算は当然算数。どうせなら「生活科」のようなところで「時計」についてまとめて教わっていたら、もうちょっと時間についての理解が立体的になっていたかもしれません。

【ただいま読書中】『日本の日時計・500選』沖允人 著、 日本日時計の会、2019年、7000円(税別)

 日本中の日時計を撮影して回った写真集です。いやあ、バラエティーに富んでいます。文字盤、というか、影を落として時刻を知るための盤も、水平・斜め・垂直と様々に設置されていますし、その盤も平面のものもあればぐにゃっと曲がっているものもある。素材も実に様々です。
 面白かったのは大館市の市民文化館のもので、冬に撮影したから雪に覆われているんです。これじゃ時刻はわかりません。もちろん日時計は、晴れている日中にしか用をなさないものではあるのですが。
 私が住んでいるところから割と近くにも日時計が複数あることが本書でわかりましたし、もしかしたら学校にはけっこうな確率で日時計が設置されているのではないかな? 日本中で500しかない、ということはないはずです。
 ところで、水時計はどこかで現役で活動していないかしら?



見苦しい言い訳

2020-01-14 06:53:39 | Weblog

 昔は「記憶にございません」「秘書が」でしたが、今は「記録にございません」「事務所の人間が」です。言葉は変わっていますが、意味は同じです。ああ、見苦しい。

【ただいま読書中】『虚栄の掟 ゲーム・デザイナー』佐藤大輔 著、 幻冬舎(幻冬舎推理叢書)、1997年、781円(税別)

 ウインドウズが3.1からやっと95になろうとしていた時代、小さなゲーム開発会社に勤めている「僕」は、社長から変な命令を受けます。幹部社員の誰かが、優秀な社員を連れて独立しようとしているが、それが誰かを突き止めてくれ、と。
 「僕」は饒舌です。会社のメンバーの人物像や人間関係の分析は冷酷と言えるくらいにクールで熱心です。ところがその舌鋒は「どうだろう」とか「どうでもいい」という言葉で突然遮られてしまいます。自分自身に関しても、どうでもよいことは実にぺらぺら喋り続けますが、ちょっと話が深いところに行きそうになると、すとんと終わってしまいます。この人は一体どんな人なんだろう、と逆に興味を持ってしまいますね。
 「僕」の一人語りが饒舌ででも抑制的、というのと関連しているのかな、本書の前半では「僕」たちのことを「オタク」とは呼びません。それはもう徹底して。ところが「僕」が「おたく」を平気で使い始めたころ、事態は急速に動き始めます。社長が恐れている(と「僕」に語った)「独立」ではなくて、「仲間割れ」とか「引き抜き」の動きが「僕」の目の前で始まるのです。社長は動きません。事態は動きます。
 しかし、とんでもない議論が突然登場して、私はショックを受けます。ゲーム業界を「自作パソコン」にたとえるなら、「CPU」は「作家(天才)」、「マザーボード」は「プロ(集団)」、「筐体」は「ソフトハウスやメーカー」。そして、自作パソコンで性能が落ちたらまずCPUを交換するように、システム化が進んだ業界でも業績が行き詰まったらまず交換されるのは天才になる。これこそが真のシステム化なのだ、という主張です。
 いやあ、私は、本筋には無関係に、ここで(文字通り)ひっくり返ってしまいました。たまたま手に取った本ですが、佐藤大輔って、もしかしてとんでもない深みを持った作家なのかな。
 そして、最後の「謎解き」。いや、ここも“ルール違反"じゃないのかなあ。もちろん「最後に登場したわけじゃないし、中国人でもない」から許されてしまうのかもしれませんが。いろんなところに様々な古典などからの引用が散りばめられていて、油断ができない本でもありました。



「おれはお客さまだぞ」

2020-01-13 08:28:02 | Weblog

 たかだか数百円とか数千円で「他人からの尊敬」とか「他人からの忠誠心」が買えると思い込んでいる間抜けのせりふ。もちろんそういったものは買えますが、桁が4つも5つも違うと思いますよ。

【ただいま読書中】『老犬たちの涙 ──“いのち"と“こころ"を守る14の方法』児玉小枝 著、 KADOKAWA、2019年、1250円(税別)

 「老老介護」ということばがありますが、これは人間が人間を介護する場合の話です。ところが似たことがペットの世界でも生じています。ペットが高齢となり行き場所を失ったり、飼い主が高齢化してペットを飼う負担に耐えられなくなった場合です。
 最初に登場するのは、13歳のチワワ。認知症を患っていましたが、高齢の夫婦が熱心に面倒を見ていました。しかしこの夫婦にも様々な問題が降りかかり、とうとう犬の面倒を見ることができなくなってしまった、という事情があります。しかし動物病院では安楽死を断られ(安楽死の適応基準を満たしていない、という判断でしょう)、とうとう行政機関に持ち込まれたのでした。
 高齢者施設に入居することが決まったが犬は同居できない、孤独死や緊急入院をした高齢者の家に犬が取り残されていた、飼い主が「看取り」を拒否して施設に持ち込む、「病気になった」などの理由で持ち込む、捨てられた状態で発見されて施設へ……様々な理由で老犬は施設に集められ、里親が見つからなければその多くは殺処分。
 犬を飼う、とは、その犬の命を引き受けることを意味しているはずです。その責任を全うする覚悟がない人は、最初から飼ってはいけないでしょう。勝手な言い訳をいくらしても、そんなの無意味です。
 「猫を殺す人間は、いつか人間を殺す」と聞いたことがありますが、もしかしたら「犬を捨てる人間」は「いつか人間を捨てる」のでしょうか?



統領の大中小

2020-01-12 09:34:25 | Weblog

 大統領が存在するのなら、中統領や小統領もどこかに存在するのでしょうか? 少なくとも「大統領」の名前にふさわしくないのにその地位にある人はそっちで呼んだ方がよいとも思えますが。

【ただいま読書中】『鬼平 長谷川平蔵の生涯』重松一義 著、 新人物往来社、1999年、2800円(税別)

 「鬼平犯科帳」はフィクションですが、「鬼平」のモデルとなった長谷川平蔵は実在の人物です。著者はまず、長谷川家の先祖たち(三方ヶ原で家康を守って戦死した人もいるそうです)や江戸(特に本所)の昔の姿をじっくりと描写します。そして「鬼平」の誕生。ところがこれが不確かです。幕府への届けでは「寛政七年に五十歳で死亡」とあるからそこから逆算して、延享二年(1745)ころに誕生したらしい、となりますが、こういった届けはけっこういい加減だったそうです。
 若いころは放蕩無頼の気があって「本所の銕(てつ)」という通り名(悪名)まで頂戴していたそうです。そのせいか、将軍への初御目見得という重要な儀式は、二十三歳まで待たされました。元服直後の子供たちに混じっての将軍謁見は、本人にとってはちょっと恥ずかしいものがあったのではないでしょうか。そのせいか、その後はけっこう真面目に仕事に励んでいるようです。
 平蔵の父宣雄は着実に出世し、火付盗賊改加役の任にあったときには「明和行人坂の大火」の放火犯を検挙する手柄を挙げています。この取り調べで宣雄は、拷問にだけ頼らず、現場検証や裏を取る捜査をおこなっています。この功績が評価され、父は京都西町奉行に抜擢。町奉行とは言っても、畿内の幕府直轄地の勘定奉行や五畿内の寺社奉行も兼ねる重職です。家禄四百石の旗本としては異例の大出世でした。京でも父はばりばりと能吏ぶりを発揮しますが、わずか8箇月で急死(著者は過労死か、と考えています)。平蔵はしおしおと江戸に戻ることになります。家督は継いだものの、江戸では役なしの小普請組。無聊を託つことになります。翌年やっと西の丸御書院番(将軍の親衛隊。将軍が場外に出るときは警護を担当)を仰せつかります。平和な時代に、親衛隊の出番はありませんが、決まり切ったルーチンワークを長谷川平蔵は淡々と誠実に確実にこなし、上役の目にとまることになり、十年後には御先手弓頭という高位につくことになりました。
 時代は、上は田沼の金権政治、下は無宿の増加による世情不安、なんとも不安定な雰囲気です。浅間山の大噴火、天明の大飢饉・打ち毀し、田沼の失脚(寛政の改革の開始)と時代は動きます。打ち毀し鎮圧で御先手組は出動を命じられ、そこでの功績を評価されたのでしょう、平蔵は火付盗賊改加役となります。潔癖症の松平定信は無頼の「本所の銕」と呼ばれていたことや「田沼寄り」と見られていた平蔵を重用したくはなかったかもしれませんが(実際に手記「宇下人言(うげのひとこと)」にわざわざ「長谷川なにがし」と持って回った妙な言い回しを残しています)、そんなことはお構いなしに平蔵は凶悪犯を次々捕縛し死罪を申し渡していました。これだけ実績を上げることができた理由として、著者は「若いころに悪所通いをしていて、ワルの生態やスラングを理解できた」「かつての悪友などが密偵として活動してくれた」ことを挙げています。つまり「悪」を理解しているからこそ「悪」を捕縛できたわけ。
 「御仕置例類集」という公的な犯罪記録には、父の「長谷川平蔵」が3年で4件の事件で登場するのに対し、息子の「長谷川平蔵」は9年で197件の事件解決で登場しています。大活躍です。
 そして、大役が回ってきます。江戸に溢れる無宿・無頼を収容する人足寄場の開設です。これは「武士の誉」とはほど遠い“不浄役人"の仕事と旗本たちには見なされましたが、平蔵は敢えて意見書を提出します。それがほぼ採用されて、隅田川河口の佃島に隣接する石川島の中州部分を埋め立てて人足寄場が建設されました。人足とか寄場と言いますが、これは「島流しの一歩手前の徒刑場」です。社会から隔離して作業をさせるのですから。そこで作られた再生紙は江戸庶民には「島紙」と呼ばれました。「島送りとほぼ同等」と庶民にも見なされていたのでしょう。
 平蔵は寄場運営のために、トリッキーな手を使います。「銭買い」です。予算が足りないため、幕府から公金を借りてそれで江戸市中の銅銭を買い占め、それで値が上がったところでさっと売り抜ける、というとても武士とは思えない商才です。また、油が高い江戸市場をにらんで、平蔵は労役に油絞りを加えようとしましたが、なぜか幕府はそれを却下しました。惜しいなあ。これが採用されていたら、寄場経営はもっと楽になっていたでしょうに。
 この寄せ場は明治には石川島徒場、さらに石川島監獄署となり、のちに巣鴨に移転しています。
 「鬼平犯科帳」はフィクションとしてとても面白いものですが、ノンフィクションの「長谷川平蔵」もまたドラマチックな人生を生きているようです。いつかそのリアルなルポを読んでみたいものです。



とりあえず

2020-01-11 07:59:31 | Weblog

 「とりあえず、ビール」について「ビールを馬鹿にしている」という意見を聞いたことがあります。しかし「他のすべてはどうでも良いから、とりあえずとにかくこの瞬間にはビールが欲しい」だったらビールは馬鹿にされていないことになりません?

【ただいま読書中】『アンソロジー ビール』PARCO出版、2014年、1600円(税別)

 目次順だと東海林さだおから、あいうえお順だと赤塚不二夫から、41編の「ビール」エッセイが集められています。
 いやあ、皆さん、ビール(あるいはビイル)がお好きなんですね。ただ読んでいると「ビールが好き」というよりは「ビールを飲んでいる自分が好き」とか「ビールがある生活が好き」とかの匂いがぷんぷんしてきます。どちらにしてもやっぱりビールがお好きなんですね。
 ちなみに本書には、最初に私が書いた「とりあえずビール」について考察したものもありました。人間が考えることに、それほどバリエーションはないようです。