瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート後半をアップ

2005年03月21日 | 瞑想日記
◆瞑想合宿レポート後半をアップ
昨日に引き続き、今日は後半をアップした。前半ももう一度読み直し、少しだけ文章を手直しした。とりあえずは、最終稿ということになる。推敲しながら通して読んで、感じたことが二点ある。

一つは、前回の夏の合宿のときも、今回の正月の合宿のときも、前半は妄想に妄想を重ね、瞑想がガタガタになるにもかかわらず、後半、それもぎりぎりになって深い気づきが起こったということだ。これはもちろん前から分かっていたことだが、読んでみて改めて印象に残った。どんなにサティが入らず妄想を追っていようとも瞑想を続けているかぎりで、意識下では何かが進行しているであろう。それがある時点でいっきに噴出する。

翻って毎日の瞑想においても、毎日毎日何の変化もないようでいて、意識下ではゆっくりと何かが進行しているのかもしれない。やはり毎日続けていくことが大切だろう。

もう一つは、これも改めて書くまでもないが、不善心所の状態にあると、それがもろに瞑想に反映してしまうということ。前回、今回とも前半の瞑想があれほどにひどい状態だったのは、瞑想の動機に自我の渇愛が忍び込んでいたからに違いない。

これも逆に言えば、日々瞑想をし、クリアなサティが出来ているかどうかで、その時々のこころの状態が如実に分かってしまうということだ。サティが入らず、妄想が多いときは、猛省をすべきときなのだろう。

話は違うが、1回目からのレポートにそれぞれタイトルをつけるという話、こんな案を考えて見た。

1回目:はじまり
2回目:虚栄のメガネ
3回目:劣等と優越
4回目:天女

何もないよりは、このほうが少しは読む気になってくれるだろう。

◆サティ
また起床時40分ほど瞑想。それ以外はやっていないが、生活の中のサティは思い出すかぎりでやっている。まだまだ時間的には少ない。生活の中でもサティが連続的な流れになっていけばよいのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする