瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

限られたいのち

2007年09月06日 | 瞑想日記
「限られたいのち」としてこの世に投げ出されてあることを自覚すればするほど、一瞬一瞬の意味が深まる。「限られたいのち」だからこそ、この一瞬一瞬をどう生きるかが問われている。

人とのかかわりにおいても同じである。何気ない日常の会話をしているときでさえ、「限られたいのち」としてこの世に投げ出された者どうしの、互いに自覚すらしていない深いレベルでの交流が行われているのだ。それに気づくと、挨拶ひとつでもこれまでとは意味合いが違ってくるような気がする。

「こんにちは、今日もえらく蒸しますね」「ええ、本当に」と言い合う短い会話の中にも、「限られたいのち」としてこの世にあるもの相互の学びという意味が深層では流れている。

つっけんどんな挨拶もあれば、本当に相手のことを思いながら発せられる挨拶もある。その一瞬一瞬に「限られたいのち」をどう生きたかが問われてしまう。

ささやかな雑用を行う時も同じだ。いい加減な投げやりな態度で行うか、こころを込めて行うか。そこでも「限られたいのち」をどう生きたかが問われている。

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