瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

公平な観察眼

2010年02月27日 | 瞑想日記
◆先月10日に一日半断食を再開して一ヶ月半を過ぎた。この間、週一回の割合で断食をしてきた。再開する前の体重は70.8キロで、今朝は66.6キロだった。今回は、とくに印象的な夢は見なかった。

今日は午前中、ある研修会に参加し、12時半すぎ、外食で少なめ目の復食をした。研修中は、空腹感は全くなくお茶だけで充分だった。

週二回行うと確実に体重は減っていくようだ。一日半断食明けに昼食。夕食をとり、翌日からまた一日半断食というパターンを何回か繰り返すのもよいかも知れない。これだったら全く危険はないし、つらくもない。

◆ミンデル『シャーマンズボディ』より

プロセス指向心理学によって「インナーワークを積み重ね、幸運に恵まれると、成長の過程が進み、それによって注意力や自覚を使う能力が増していく。そして、その能力は次第に自分の立場から分離して、公平な観察眼となっていく。この公平な観察眼から見ると、この瞬間のあなたというものは、少なくとも、古いアイデンティティとだけ結びついているのでもなければ、あなたの内部で起りつつある新しい出来事とだけ結びついているのでもない。人生の流れを自覚している自分に気づき、そして同時に自分が流れの一部であるという視点を獲得したとき、あなたは意味深い体験をすることになるのだ。多くの人々は、この状態を『無』という言葉で語る。」

人が成長するということは、今まで見ずにすませていたことにまで「気づき」が及ぶようになり、自覚の範囲が広がるということなのだろう。「自己」を守るために必要な出来事だけでなく、「自己」から排除し無視したい出来事にまで、自覚が及ぶようになるということだろう。そして、目をそむけていた出来事の中にこそ、未知の力が展開する可能性が秘められている。というより、そこに気づいてしまえば、もう展開は始まっているのだ。「気づき」とは、自己(アイデンティティ)の拡大でもあるからだ。

ヴィパッサナー瞑想は、サティ(気づき)によって、まさに「公平な観察眼」を育てる。すべてのものを公平に等価に眺めるのがウペッカーの心である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 未知なる力への注意 | トップ | 朋友としての未知なる力 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

瞑想日記」カテゴリの最新記事