瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

思考と戦わない

2010年07月02日 | 瞑想日記
この一週間ほどでラベリングによるサティが少し変った気がする。一言で言うと思考と戦わなくなったとでもいおうか。思考を受け入れつつ気づき(サティ)が入っている場合が多い気がする。

昨日、帰宅途中に二駅前で下車し、30分ほど歩いた。3月までは、職場から最寄の駅までの距離が長く、毎日往復40分ほど歩いていた。今度の職場は駅に近く、しかも週三日勤務なのでどうしても運動不足になりがちだ。それで帰りはわざわざ手前の駅で降りて歩くことが多い。

サティは、しばらくほとんど忘れかけていたが、最近また熱心になっている。昨日も歩いているとき、ずっとサティをしていた。やはりこれまでと違う感触がある。昨日、ある人物の言葉と態度に少し腹をたて、傷ついた。それを巡って想念が浮かぶことが多かった。そこで意識的に心随観にした。それは些細なことだったのに、なぜ自分が傷ついているのか分からなかった。他にもいくつかの別の想念が浮かんだ。具体的な内容は覚えていないが、それらの思いが浮かんでは消えるなかで自分の感情にサティすると「不安」とか「悲しみ」とかのラベリングが多かった。それは、限りある命としてあることの根っこにつながる「不安」や「悲しみ」に関係するような気がした。

今日は、夜10時半ごろ散歩に出た。やはり30分ぐらい、サティをしながら歩いた。想念が湧き上がったら、それに伴う感情にサティすることが多くなっている。意識的に心随観をやろうとする姿勢があるから、思考と戦わなくなったのかも知れない。心随観だと努力感なく続いていく感覚がある。思考と戦わず、努力してサティするのでもない、これが身随観の瞑想にもいい影響を与えているかも知れない。
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