瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

小さな発見の新鮮な感覚

2006年10月27日 | 瞑想日記
先日、夢を見つつサティをし、あるいはサティしようと思い続けていたと書いた。そして起床してしばらくほとんど完璧なサティが続いた。急にそん風になったのは、もしかしたら、こうして日々つづっている日記に対していただくメッセージからエネルギーをもらったのかも知れないと思っている。あるいは、直接メッセージをいただかなくとも、私が知らないうちにエネルギーをいただいているのかも知れない。

昨日は、これまでと変わらぬ散漫なサティしかできなかった。今日は、クリアなサティの状態を少し思い出した。これまでと違うなと思うのは、日常の雑務の中でも意識して「気づき」を持続させる状態になると、かなり些細な想念・思考でもはっきりとサティできるようになることだ。

これまでならほとんど自覚されずに生じては消えてしまっていた微細が思考が、自我との関係で自覚され、「ああ、私はこんな風に自己を防衛し、あるいは自己満足を感じようとしていたのか」とそのつど確認されることだ。思考が発生するその現場を気づくことが多い。調子がよければ「思考する自我」がほとんど客観視されていくような実感がある。

小さな発見をしたような新鮮な感覚がある。「これまで、こういう微細な思考はほとんど気づかれもせず、その意味の自覚化もなされぬまま、たちまちのうちに忘れ去られていたのか」と。

そして、毎日、何万回と繰り返されるだろう、こういう無数の微細な思考の集積が「私」を(あるいは「私」という観念を)作っているのだ、という新鮮な気づき。

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