瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

相対化する眼:再び

2006年04月03日 | 瞑想日記
最近、自転車が故障したのを直さずに、職場への行き帰りをずっと歩いていた。先日、駅前の駐輪場も解約した。適度な運動、そしてサティ(歩く瞑想)のための貴重な時間だ。暑くなったら再び自転車に乗るかもしれないが。

帰宅時、歩道に西日が射し、前を行く人の長い影を作っていた。そのような何気ない日常の風景を「見た」。今、今、今をサティし続けた。この一瞬一瞬が日常的な意味連関の中に埋没せずに、浮き上がる。

限られた時間の中で生きる「今」という視点で今を意識すると、「生きる」ことが相対化される感覚がある。日常的な意味連関の中に埋もれていた視点が浮上する。「生きる」ことを別の視点から眺めている。そこに埋没していた「日常的な意味連関」が相対化される。

埋没しない視点があるからこそ、より自覚的に、よりクリアに「生きる」ことができるような気がする。

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