瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

断食のこと、「縄文はいつから」展のこと

2010年01月11日 | 瞑想日記
◆現在、19時になるところだが、一日半断食はここまでのところ順調。家にいると何かと誘惑が多いが、今日は午後、千葉県佐倉市にある国立歴史民族博物館へ「縄文はいつから!?」という企画展示を見に行ったのがよかった。出かける前、12時ごろに昨晩の鍋物の残りのスープを一杯、展示を見終わったあと京成佐倉駅でカンのミルクティーを一杯、帰宅時にやはり鍋物のスープを一杯。今のところ、あまり空腹感はない。

「縄文はいつから!?」の展示では、「日本列島最古のヴィーナス」の展示が、土偶との関連もあり、興味深かった。丸い礫を女体に見立てて、髪、乳房、性器などを線で刻み、母親が出産するときの安産のお守りとして握りしめていたらしい。出現期のごく素朴な小さな土偶も、やはり手で握るにふさわしい形のものだ。やはり土偶は安産に深く関係するのか。

5日には、東京国立博物館(上野公園)で行われている「国宝・土偶展」に行って来た。これまで、三内丸山遺跡をはじめ、各地の遺跡や博物館で、土偶はかなり見てきたが、この土偶展では国宝3点を筆頭に、遮光器土偶(つがる市・亀ケ岡遺跡)といった重要文化財などの逸品計67点をまとめて見た。

土偶についての学問的な解釈は様々にあり、何のために作られたのかなぞに満ちているが、そこに縄文時代人の精神性の一端が具体的に表現されていることはまぎれもない事実だ。この日本列島の深い森の中で一万年以上もの生活を積みかねてきた我々の先祖たち。土偶を見ていると縄文時代を生きた人々の心にほんの少しだけ近づくことができるような気がする。おそらく縄文時代に引かれるのは、私たちの心の古層が刺激されるからなのだろう。

◆昨日リンクを貼らせてもらったブログで驚くのは、そのアクセス数やコメントの多さだ。。「覚醒」をテーマにしたブログに、日に1万を超えるアクセスがある。ウェブという媒体によって確実に覚醒への輪が広がりつつあるのだろう。

『自我というのは、ある種の緊張感、怖れ、防衛本能のようなものだと思います。

本当は僕達みんな同じ一つのものなのですが、自分はそこから分離した個別の存在だという深い錯覚を持ってしまっています。

だから自分のことは自分が守らなければと思い、自分が作り出した外側の脅威から、これまた自分が作り出した「自己」という幻想を守ろうとするのです。』(いまここ塾、11日付けより)

このウェブ上の輪が、多くの人々の目覚めへのうねりになっていくのかも知れない。
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