瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

泡沫のような思考

2006年09月24日 | 瞑想日記
◆泡沫のような思考
日常生活の中では、様々な思考が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。そのほとんどは直後に記憶のかなたに消え去っていく。しかし、そういう無数の思考の集積が、「私」を形作っている。

瞑想をし、サティをしていると、そういう浮かんでは消える泡沫のような思考が、はっきりと捉えかえされる。とりとめもない思考が、どこから出てくるのかも自覚される。私の場合、その多くが元を正せば「自我」の優劣意識に根ざしているような気がする。「自我」の不安に根ざす無数の思考が流れに浮かび出ては、消えていく。

そういう思考が、サティによってそのつど自覚化され客観視されると、「自我」もまた、客観視され相対化される。「私は私だ」と思っているこの「私」がいかに根拠のない、泡のようにはかないものかが、少しずつ分かってくる。現実には、「私」にしっかりとしがみついていても、サティによって思考が自覚化されればされるほど、「私」もまた思考とともに消えていくものであることが、少しずつ実感されるようになる。

◆かすかな夢
瞑想中に昨晩の夢を思い出した。ささいな夢だった。生徒たちを募ってグループを作り、ある活動をしようとしていた。集まってきた生徒たちに連絡をしているとき、一人の生徒に「Aちゃんを忘れているよ」といわれた。「Aは、確かグループに入っていなかったはずなのだが」と思いつつ、「私が忘れてしまっただけなのか」と不安で、必死になって思い出そうとしていた。そんな夢だった。

瞑想していなければ、思い出すこともなかった夢かもしれない。現実には、Aはそのグループに参加していなかった。しかし、現時にAをグループに誘うことに何か意味があるのかも知れないと思った。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プロセスの展開 | トップ | 「夜回り先生」 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
夢って奥深いかも (さいたぽん)
2006-09-25 06:58:26
「夢」って奥深いですよね。「単なる夢」と見過ごせない場合もあるんじゃないかと思います。

私も自分の日記に書かせていただいたことがありますが、

ヴィパッサナーのサティを丁寧に行っていると、この現実の世界で展開している人生が、実は全て自身の意志(チェータナー)で選択していたものだと気づいたりしますよね。同じように夢の中でのストーリー展開も、いかに奇抜でトンデモないような感じがしても、実は現世の場合と同様、自身の選択で夢のストーリーは展開しているようなのです。だから、「Aさん」を登場させたこと自体が、ひょっとしたらNoboruさんが意図して書いたストーリーだったのかも知れませんね。
返信する
夢の可能性 (Noboru)
2006-09-25 23:52:04
さいたぽんさん、コメントありがとうございます。実は、Aについては、前日に同僚と会話していました。その会話の最中に、彼をグループに誘えば、気持ちを学校へ引き止めるきっかけになるかも知れないと思っていました。ですから、私が意図して書いたストーリーだった可能性は充分にあるのです。



一方で、そういう私の表面的な思いと、もっと深いところの何かが共鳴しあって、見られた夢かもしれません。その辺は、様々な可能性を否定せず、開かれた態度で、夢に接していきたいと思っています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

瞑想日記」カテゴリの最新記事