◆「私」は何?
Mercyさんの Mercy Blog をほぼすべて読ませていただいている。最近ふたつ印象に残った文章があった。
ひとつは、2005/06/21 (火) 付けの「わたしは何処に?」という記事。
『わたしはこの身体だと思っている人、多いんじゃないかな。
わたしはこの身体でしょうかね。
手のなかにわたしがいるでしょうか?
足のなかにわたしがいるでしょうか?
胃や腸、肝臓、心臓にわたしがいるでしょうか?
いや頭がわたしだと言う人がいるかもしれませんね。脳みそがわたしですか?
あなたは脳みそなんですか。?
わたしとはいったいなんなんでしょう?
あれこれ考える心がわたしでしょうか?
だとすると思考がでてこない熟睡中、わたしはどこへいっちゃんたんでしょうか?
わたしはいなくなったんでしょうか?
熟睡中、行方不明ですね(笑)
わたしはいったいどこにいて、誰なんでしょう?』
なるほどな、と思う。逆にこの文章をきっかけとして、私は私を何であると理解し、どのような私に執着しているのかと。確かに自分の脳みそを見せられて、「これがお前の正体か」と聞かれれば、ハイとは答えられない。でも、私は自分のからだ全体を自分の体だと思い、それに執着している。では、自分の体に執着する私は、どこにいるのだろうか。脳みその中にいるのか。脳みその神経インパルスの活動が私なのだろうか。いやいや‥‥。
では、やはり私は、思考によって生み出された幻影なのだろうか。熟睡中は、確かに思考はなない。しかし、私には、「私」という記憶があって、その「私」は、睡眠中も潜在意識の記憶として行き続けている。
それにしても、からだを超えたこころが「私」なのか。では、そのこころとは?
うーん、問いは果てしなく続いていきそうだ。
◆もう一つ
『修業したから、頭が輝くわけではない。
*1瞑想したから、ハートが開くわけでもない。
「わたしは誰か」と問いかけても、マントラを何千万回唱えたとしても、
悟れるわけではない。
それらは恩寵と縁による。
それが、ハートを一瞬に開き、
「わたしは誰か」を一瞬に理解させてくれる。
大切なのは、熱意、穏やかさ、尊敬の念だと思うよ。
*1:瞑想等が必要ないということではない。』
この言葉もまた、こころに深く留まるだろう。
Mercyさんの Mercy Blog をほぼすべて読ませていただいている。最近ふたつ印象に残った文章があった。
ひとつは、2005/06/21 (火) 付けの「わたしは何処に?」という記事。
『わたしはこの身体だと思っている人、多いんじゃないかな。
わたしはこの身体でしょうかね。
手のなかにわたしがいるでしょうか?
足のなかにわたしがいるでしょうか?
胃や腸、肝臓、心臓にわたしがいるでしょうか?
いや頭がわたしだと言う人がいるかもしれませんね。脳みそがわたしですか?
あなたは脳みそなんですか。?
わたしとはいったいなんなんでしょう?
あれこれ考える心がわたしでしょうか?
だとすると思考がでてこない熟睡中、わたしはどこへいっちゃんたんでしょうか?
わたしはいなくなったんでしょうか?
熟睡中、行方不明ですね(笑)
わたしはいったいどこにいて、誰なんでしょう?』
なるほどな、と思う。逆にこの文章をきっかけとして、私は私を何であると理解し、どのような私に執着しているのかと。確かに自分の脳みそを見せられて、「これがお前の正体か」と聞かれれば、ハイとは答えられない。でも、私は自分のからだ全体を自分の体だと思い、それに執着している。では、自分の体に執着する私は、どこにいるのだろうか。脳みその中にいるのか。脳みその神経インパルスの活動が私なのだろうか。いやいや‥‥。
では、やはり私は、思考によって生み出された幻影なのだろうか。熟睡中は、確かに思考はなない。しかし、私には、「私」という記憶があって、その「私」は、睡眠中も潜在意識の記憶として行き続けている。
それにしても、からだを超えたこころが「私」なのか。では、そのこころとは?
うーん、問いは果てしなく続いていきそうだ。
◆もう一つ
『修業したから、頭が輝くわけではない。
*1瞑想したから、ハートが開くわけでもない。
「わたしは誰か」と問いかけても、マントラを何千万回唱えたとしても、
悟れるわけではない。
それらは恩寵と縁による。
それが、ハートを一瞬に開き、
「わたしは誰か」を一瞬に理解させてくれる。
大切なのは、熱意、穏やかさ、尊敬の念だと思うよ。
*1:瞑想等が必要ないということではない。』
この言葉もまた、こころに深く留まるだろう。