瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

サティ、めんどう

2005年06月24日 | 瞑想日記
一日調子がよかったのだが、帰宅のころになったら急に疲労がやってきた。けったるい感じで自転車に乗った。今日はサティはめんどうくさいなと思った。こんな日はだらだらと雑念を追いながら行くのが楽しい。と思った瞬間、その気持ちをサティし始めていた。「めんどうくさい、と思った」、「疲労」‥‥。

サティなんかしたくないときでも、「したくない」とサティすることは苦ではないし、そのめんどうくさい気持ちにそってサティしていけばいいのだから、気楽なものだ。要するにどんな状態や気持ちでも、まずはその状態にサティすればよいのだ。

電車の中で『シャンカラ』を開いた。理論的な考察があまり胸に響いてこない。眠くなった。目を閉じてサティをし始めた。かすかな体の感覚の変化やイメージや思考の断片にサティが入っていく。その合間合間に「悲しみ」というサティが入る。心は確かにかすかな悲しみを感じている。それが、どこから来るのかはわからない。
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