瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

一瞬一瞬が、気づきのチャンスだ。

2008年11月13日 | 瞑想日記
具体的に書くことは出来ないが、いままでずっと問題として横たわっていた件が、この数日、いよいよ決定的に確実な問題として見えてきてしまった。しかも、当面こちらからどうすることも出来ない。

確かに、苦しく悲しい現実なのだが、一方で、この苦しみが私を成長へと促しているのも確かなようだ。苦しみを意識することは、人生そのものの「無常」を意識することにつながっていた。「自我」とその「物語」を相対化し、客観視する視点を与えてくれた。

「私」とその「物語」という構築物を支える根拠は、実は何もない。根源的に不安定なものだのだ。それをいちばんはっきりと示すのは「私」の死という現実だろう。その構築物の虚構性、はかなさ、無常性をより強く実感するのは、苦しみに直面したときだ。

瞑想する時間も多くなっている。たぶん無意識の衝動に駆られるようにして延々と繰り広げられる「日常的思考」に気づいている時間も多くなっている。ちょっと前に心随観は比較的よくやっていると書いたと思うが、とんでもない。気まぐれ程度に、自分が気づいた時だけやっていたに過ぎないということが分かった。常時、起こっては消える様々な感情にそのつど気づきが入っていれば、どれほど素晴らしいかを少し実感した。

様々な思考が起こっては消える流れのなかで、それが「自我」にとってどんな意味があって、自我にどんな感情(満足や悔しさや怒りや苛立ちといった)を湧き起こすかを、そのつどチェックできたなら、「自我」とその「物語」の相対化は、いちだんと進むだろう。

一瞬一瞬が、気づきのチャンスだ。
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