「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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原発事故から3年以上が経過して、被曝問題を考える人たちの間で生じているズレ。

2014-08-06 14:52:56 | 福島第一原発と放射能

 天候も厳しく、長時間移動で、尚且つ電波状態が最も厳しい場所にいるため、メールマガジンで過去に配信したものの一部を、僕の方で一部加筆変更して、ブログ記事としてお伝えします。
 メールマガジンの強みは、限定されている読者に提供していて、その読者とある種の取り決めの中で提供しているため、ブログよりも、奥まった感覚を伝え易いです。また、健康症状的な話について、最近、僕に伝えてくるのに、公開するなという枷をはめられる事例が多くなっていて(こうした外に言うな的、日本人感覚が僕は原発事故以降の諸所のマイナスにつながると思いますが)、これについてメールマガジンのように外側に公開することに制約をかけるシステムが有効である場合も多いです。
 

 ですから、この記事なども読まれて関心を持たれた方は、メールマガジンの購読をお勧めします。この記事は、メルマガ掲載の中でも、一般的感覚の記事のため、一部加筆変更で、ブログ掲載可能でした。ツイッターなどでの一部公開を求められますが、原則できないのは、いろんな制約があるからです。
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ちなみに先週配信の最新号はこちらです。今からの申込で、この号も配信します。
【 夫が心停止で脳死→死亡、行政解剖で心臓の異常な硬化も指摘。被曝原因も疑う妻 】
【 「"被曝回避"と"脱原発"は、実は重なっていない」木下黄太 真夏の大放談(1) 】

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 原発事故から3年以上が経過したことは、この問題を考える人たちの中にも、大きなずれが生じているようなケースが多く見られる時期となります。僕は最近、メール、ツイッター、Facebookなどを散見していても、このずれがとても気になっています。夏になって、毎日毎日、読むのが辛いというか、実は痛すぎるなとさえ感じています。
 痛すぎるケースも多くのパターンがありますが、きょうはあるパターンについて書きたいです。
 このことは、多くの人たちと僕の見解が異なる可能性は考えられますが、特殊な話ではなく、むしろ一定数の人々に同様の感覚が生じていることが否定できません
 時間が経過したことで、自分たちの生活を見直したり、いろんな生き方を考えていくことは、取り組みとして、とても大切だとは思います。こうした前向きの話ではなく、3年の時間が経過したので、何か大丈夫と思い込みたいとか、3年の時間が経過して、久しぶりに東京に戻ってみたら、以前と変わらないのほほんとした状態に溶け込みたくなる話です。
避難している人々本人がです。
 僕はこういう人たちに何を答えようかと思いますが、まず最初に話しておきたいのは、そんなに帰りたければ帰ればよいと思います。これは、本当にそう思います。
 3年の時間が経過して、問題がある状態は継続しているし、しかも今後、深刻化するであろうと、福島のみならず、東京でも同じように考えています。ですから、今の町の様子がどのように映ろうとそこには本質的な話はないと思います。しかも、その様子がどのように映るのかは、どうしても、人それぞれ違いますから、そうしたことも大きいです。しかし、そんなに戻ってみたら、同じような感覚がすると思われるなら、迷うことはありませんから、直ちに東京に帰ったほうがよいと思います。誰も、あなたが東京に帰ることを止めたりはしませんし、僕も止めるつもりはありません。あなたが、あなたの家族とどこに住むのかは、あなたの自由です。何人も移転・居住の自由は妨げられませんから、そうしたいなら、そうすべきです。なんでそうしないのか、そのほうが理解に苦しみます。というか、言っていることとやっている事の整合性がありません。
  実は、西へ西へと移住された、ある著名なクリエイターの方と話したことがあります。本当にお互いそう思っているのですが、少なくとも東京の最前線で仕事をしていた人間としては、東京を離れて避難した仕事上の喪失感覚は大変なものがあります。ほかの地で同じようなことができるなら何とかしますが、少なくとも国内では、東京以外にそうした創造的な仕事は不可能ですし、圧倒的に多くは東京で廻っています。ですから、自分たちのしていたそれなりの仕事を捨てることしか方法論がない立ち位置に、必要以上におかれたのがわれわれの立場ということです。こうした立場にいる人間というのは、避難者の仲ではごくごく少数です。ほかに代替物はありません。
 「でも、木下君、それでも命のことを考えたら、東京でやりつづけることはありえない。それをまわりにいくら話しても、当座の金を出すとまで話しても、決断しないんだよね。」こう彼は嘆きます。
 彼は、トップの立場なのに、その立場にこだわらずに、自分の選択をしました。僕も同じような感覚です。移住・避難に関しての積極的な選択をすることが大切だと思うからです。
 こうしたことを積極的に考える僕らの立場からすると、過剰に懐かしむ感覚そのものが、理解できないです。なにをどう考えるのか、基本も為されていないと強く思います。そういう感覚が、どうして被曝のことを考えていると言えるのか、まったく理解できません。
 実はこうした感覚と相まって、避難移住ということは、やはり個人選択の色合いが強いということです。夏だから、保養支援とか移住支援とかいう話をよく聞きますが、こういうものは契機に過ぎないのであって、個人個人が、結局はどう判断し、行動するのかしかありえません。保養支援をすることに拘る人々の話は良く聞きますが、何か本末転倒感覚があるようにも僕は思えています(保養問題に関しては、講演会やメールマガジンでも更に伝える所存)。
 さて、こうした懐かしむ感覚は、まちがいなく、カルト的なものに騙され易い感覚と似てきます。それも、政府側が、安全誘導を過剰にしている状況の中で、こうした雰囲気に足をとられていることを、ネットの中で敢えて周りに喧伝したい人々の意識は僕には理解できません。ちょっと前まで、危険しか表明しなかった人間が。
グロテスクです。
 また、そうした人々が、なぜか、EMや乳酸菌などに過剰に依存している話やワクチン全面反対話などに熱心であったりするのを同時に読むと、本当に「うーむ」と唸ってしないます。原因は同根です。
 3年以上が経過すると、この被曝問題に関心を持っていた人々にも、あからさまな現象が諸所おきるという事です。いろんな本性が、まざまざと見せ付けられる、そんな夏でもありま

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この日曜日に開催!!!   事前予約は金曜深夜までにお願いします。 

 【8/10(日) 三田医師&木下黄太 岡山 トーク「被曝影響と放射能防御」】

13時開場、13時半開演 きらめきプラザ (岡山市北区南方2丁目13-1) 

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