俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

差別社会ニッポン

2009-06-16 19:05:38 | Weblog
 アメリカでは人種や性や年齢による差別は禁止されている。唯一、能力による差別だけが許されているそうだ。このことが決してタテマエではないということはオバマ氏やヒラリー・クリントン氏やライス氏の活躍を見れば明らかだ。
 翻って日本ではどうだろうか。日本ではあらゆる差別が「悪」とされている。ところがこれが全くのタテマエでしかない。タテマエだから社会には差別が横行する。
 人種どころか民族や「」に対する差別がある。男女による差別もある。容姿による差別もあれば人柄による差別もある。
 但しビジネスに限れば、容姿による差別と人柄による差別はタテマエとは逆にある程度認められても良いと思う。
 容姿の良し悪しは決して軽んじられるべきことではない。「人は見かけが9割」という本がベストセラーになったように、見た目は大切だ。例えば悪党顔をしていればそれだけでまともなセールスマンとして成功する可能性は極めて乏しい。また人柄の良し悪しで差別すべきでないと考える日本人は実際にはごくごく少数だろう。
 タテマエに反し、無茶苦茶であるにも関わらず公認されているのが年齢による差別だ。なぜ60歳になったという理由だけで本人の資質に関わらずクビにされるのか理解できない。「定年」という概念が常識になっているから問題にされていないが、国際的な常識から見れば異常な制度だ。こんな制度が差別と感じないということに日本人の常識の異常さを感じる。
 差別には良い差別も悪い差別もある。良い差別を「区別」と言い換えるようなレトリックに頼るのではなく差別の必要性および不当性について改めて検証してみる必要がある。

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